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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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486 差し入れ

 マスター夫妻が普通の同僚だった頃のお話。

 前半は梢さん、後半はマスターの語りで。

 三十年ぶりに低温注意報が発令されたらしい。

 三十年ぶりということは、私が生まれてからは初めてのこと、ということで。


「寒いですよねぇ……」

 憂鬱な気分で窓の外を見るとまだ溶け切っていない雪が目に入って、更に憂鬱になる。

 子供の頃は雪が降ると嬉しくてうきうきしたのに、今は雪を見ると暗い気分になる。

「雪とお正月が憂鬱になると、大人になった証拠ってことでしょうか」

「何言ってるんですか、梢さん」

 苦笑しながらそう言う石川さんに、苦笑を返す。


「ところで梢さん、何かあったんですか? なんだか浮かない顔してますけど」

「……えーっと。こういう時、大人は『なんでもないですよ~』って言うんですよね」

 すると石川さんは、呆れ切った顔をして。

「今さら何言ってるんですか。梢さんにそんな大人の対応を求めてないですよ」

「うぐぅ!? ちょっ、酷くないですか!? 二十二歳のレディに!」

「二十二歳の大人のレディは普通、口の周りにランチのミートスパゲティのソースを付けてませんよ」

「なっ! ちょっ! 早く言ってくださいよ! さっきこのまま接客しちゃったじゃないですか!」

 手の甲で口を拭うと、ちょこっとミートソースがついた。

 恨めしい目で石川さんを睨むと。

「それで? 梢さんは何があったんですか?」

 何事もなかったかのように、しれっと尋ねてくる。


「……昨夜から、寒いじゃないですか」

「ええ、寒いですね。昨夜の最低気温、マイナス四度でしたっけ」

「……うち、にゃんこいるじゃないですか」

「ええ、いますね」

「…………今年のお正月、帰省したじゃないですか」

「ええ、お土産をいただきましたね」

 首を傾げ続ける石川さん。

「……帰省するのににゃんこを置いて行くわけにいかないんで、にゃんこを連れて帰りまして……新幹線の指定席を取ったんですよ」

「はあ」

「それでね……年が明けたら従兄弟たちがお嫁さんと娘ちゃんたち連れて、私の実家に新年の挨拶に来たんですよ」

「へえ」

「……しかも今は、給料日前」

「ですね」

「……つまり」

「つまり?」

 ごにょごにょと言葉を詰まらせた後。


「…………今、本当にお金なくて」


 ぼそっと小さい私の声が、お客さんがいなくてガランとした店内にやけに響く。顔が死ぬほど熱くなった。恥ずかしくて。

「しかもにゃんこいるから留守中もエアコン切れなくて、電気代が信じられない額になってたんですー! あああああもう何でこんなに寒いのー! 従兄弟たちの子がせめて2人だったらー! でも娘ちゃんたちすーっごく可愛かったーっ!」

 頭を抱えてそう叫ぶと、石川さんはポカーンとした顔で私を見ていて。

「見ないでー! 私を見ないでー!」

「いや、あの、すみません」

「謝らないでー! 心底気まずそうにしないでー!」


 両手で顔を覆うと、石川さんはうーとかあーとか気まずそうな声を出して。

「えーっと……頑張ってください」

「頑張ります……」

「もうすぐ給料日ですから……」

「……お給料入っても電気代で結構消えますけどね」

「それはまた……」

 そんな話をしている間に、カロンとベルを鳴らしながら新たなお客さんがお店に入って来た。

「いらっしゃいませー」

「お二人さまですか?」

 重苦しい気持ちを隠して笑顔を浮かべながらも、内心の溜息は噛み殺せなかった。



 帰宅する足が、ちょっと重い。

 買い物しようとスーパーに寄ったけど、最近は野菜が高価でなかなか手が出ない。

 さらにこの雪のせいでスーパーも品薄で、欲しい物はほとんど手に入らなかった。

「ううううう~……キャベツ食べたいよ~。白菜食べたいよ~。でも今の私に買えるのはもやしだけ……」


 ペットを飼うって、お金がかかる。

 ごはん代だけじゃなく、病気や怪我をした時の病院代も保険がないから高額になるし、なにより今回みたいに電気代もかなりかかってくる。

 でもにゃんこと一緒に暮らし始めたことは、これっぽっちも後悔してない。

 お金はかかるけど、それよりもっと大きなものをにゃんこは毎日くれている。にゃんこがいてくれるから心が救われること、いっぱいあるもん。


「よし、来月はシフト増やそう」

 最近はかなりシフト増えてるけど、それ以上にシフトに入れば、来月はちょっと楽になるかも。

「はぁ~」

 身体の中に沁み込んできそうなくらい寒さに身体を震わせて、真っ白な息を吐く。


 そして自宅マンションまでようやく辿りつくと。

「ああ、早くにゃんこに会いたい」

 にゃんこの顔や鳴き声、抱き心地を思い出して、心が少し浮き立った。

 早く帰ってにゃんこに会いたい。

 そう思って足取り軽く、廊下を歩いて自分の家の前まで来たら。


「ん? なんだろ、これ……」

 私の家の、玄関の扉の前に段ボールが置いてあった。

 不審物!? と思ったけど、封もされてないし、蓋は全開で中身が見えてる。

 おそるおそる箱の中を覗いてみると。

「……おおっ!?」

 中に入っていたのは。


 たくさんのお肉と、野菜と、お米。


「えええええええ!?」

 驚いてよろけて、廊下にお尻をついてしまう。

「えっ、何これ、何!? 誰かの忘れもの!?」

 周囲をきょろきょろ見回すけど、誰もいない。

 そして箱の中をよく見ると、なぜか各種商品券まで入っていて。

「えーっ! 何これ、何これーっ! け、警察に届けなきゃだめ!? ……って、これは……?」

 商品券の束の一番上に、一枚の紙がぺらんと乗っていて。

 そこには。


『にゃんこのファンです。にゃんこのお世話をしてくれているお姉さんへ差し入れです』


 ……パソコンで印刷した文字で、そう書いてあった。

「にゃんこのファン……ってことは、これは私がもらっちゃって良いのかな……?」

 不審なところがないか、持ち上げてみたりにおいをくんくん嗅いでみたりしたけど……特に怪しいところはない。


「も、もらっちゃうよ!? 本当にもらっちゃうよ!? だって高くて買えなかったキャベツも白菜も大根もお米も入ってるし! それに大好物の豚バラ肉もあるんだもん!」

 誰に言ってるのかわからないけど、そう言ってみた。でも当然だけど返事はない。

「うわー! 久しぶりに豚バラ食べられるー! お米もコシヒカリ五キロ!? きゃー! しかも商品券……ビール券あるー! やったー! 久しぶりに発泡酒や第三のビールじゃなくて本物のビール飲めるー!」

 重い段ボールにすりすり頬擦りをして、よいしょっと持ち上げて家の中に入る。


「ただいまー! にゃんこ聞いて! 君のファンから差し入れもらっちゃったー! やっぱり君は幸運の招き猫なんだねっ!」

「にゃーん」

 にゃんこを抱き上げてくるくる回って、鼻歌を歌う。

「鍋しよう! 今日は久しぶりに一人鍋! あ、コンビニでビール券使えたっけ!? ビール買いにいかなきゃ! 嬉しいよー! 嬉しいよー!」

 まだお酒飲んでないのに、酔っ払ったみたいにはしゃぐ私。


 その日の夜は、久しぶりにたくさん食べて、ビール飲んで酔っ払って、幸せな気持ちで眠った。



  ◇ ◇ ◇



「よう、遅かったな」

 居酒屋の暖簾をくぐればひらひらと手を振るご近所商店街の八百屋と肉屋の倅たちから声をかけられる。

 ビールに枝豆でワンコインの『とりあえずセット』を注文しながら石川はそのテーブルにつく。

「ああ、ちょっとな。それよりさっきは悪かったな。突然、買い出しと配達頼んで」

「なに、かまわねえよ。皆協力的ですぐ揃ったしな。あ、これ領収書な」

「そうそう。気にすんなって。こっちもよろしく」

 それぞれから差し出された領収書の金額に多少色をつけて渡すと、律儀に差額を返そうとするのでそれを断って。

「梢さんのためならってサービスしてくれてそうだしな」

「そりゃ商店街のアイドルのためだからな。では、無事にあしながおじさんの務めを果たしたってことで、乾杯!」

 お互いニッと笑って、タイミング良く運ばれてきたジョッキをカチンと合わせた。




 飲み会が終わり解散して、静かな寒空の下を歩きながら思い出すのは、耳の奥に蘇ってくる飲み会に遅れた理由。


『おいしー! おいしーよーう! お肉ー♪ お野菜ー♪ そんでもってお高いビール!』

 閉店作業を終えるところでかかってきた電話から聞こえてきた彼女の声。いつもの「もしもし」がなく、ただ大きめのリズミカルなひとり言が聞こえていたので、おそらく彼女のにゃんこがいたずらして繋がってしまったのだろう。

 間違い電話と分かれば切ればいいのだが、あまりに楽しそうな様子をつい聞き続けたくなり、なかなか切れなかった。

 毎年お歳暮でもらうビール券は、普段あまり飲まないせいか使うのを忘れ、だいたい期限切れでゴミ箱に行く運命だったんだが。彼女の手に渡ってあんなに喜ばれたのなら、ビール券も本望だろう。


 彼女が見ている世界はきっと、僕が見ている世界よりも色が鮮やかなんだろうなぁ。

 そんなことを考えていたら、ふっと笑みが漏れた。

「もっともっと、美味しい物食べさせてみたいなぁ」

 そんなことをするりと口にしていて、僕はちょっと驚く。

 金がないと嘆いていた彼女に、他のバイトメンバーがインフルエンザで急遽シフトに入ってほしいと頼んだら快く何度も引き受けてくれたり機転を利かせてサポートしてくれたりする礼として、差し入れをしただけのことだった。

 なのに、なぜ僕はそんなことを……?


 彼女の口の周りについていたミートソースが、さっき食べた賄いのミートソーススパゲッティよりも美味しそうに見えたことを思い出す。


 胸がざわっと何かの音を立てたけど。

 ざわめき続ける胸に、今は気付かないフリをした。

 梢さん、それ十分怪しいから! ってツッコミは誰が入れてくれるんでしょう?(苦笑)

 ゆかりさんとの母娘っぽさというか多少血筋は感じていただけたかしら。


 ゆかりさんの年齢を考えると、本来のこの時期はまださほど携帯電話が一般に普及してないはずなのですが、そこはファンタジーなご都合主義ということで。ふふふ。

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