478 ハンサムセット炎上スペシャル
いつもより長めの5千字オーバーですが、変なところで切らないほうが楽しめそうなので。
和樹さんがほんのり自覚しそうな同僚時代のお話です。
「うう……久々の休みだからって、買いすぎちゃったかな」
ニットワンピースにスエードのブーティ、新色ルージュにシフォンケーキ。
それぞれのショッパーを両手に抱えたゆかりは夜の帳が下りた街を一人歩く。
少しだけ欠けた月が街灯の上でも仄かな光を届け、その存在を主張している。
本日はゆかりの二週間ぶりの休日だった。
もちろん二週間ずっと連勤だったわけではないが、無理して力仕事をしようとした挙句ギックリ腰になって数日動けなくなった店主の代理出勤が原因で丸一日休みの日は随分久しぶりであった。
半日休みなどは挟んでいたとはいえ、本来は休日だった日に招集がかかることが続いてはさすがに心もささくれ立っていくものだ。
だが今日は、ゆかりは何事もなく無事に丸一日のフリータイムを満喫することができた。
ゆかりは憂さ晴らしをするかのように午前中に観たかったアクション映画を映画館で観た後、気になっていたカフェで敵情視察も兼ねたランチを済ませ、この夕飯時になるまでたっぷりとショッピングを楽しんだ。
後は家に帰るだけなのだが、一日中動きすぎて疲れてしまったゆかりは夕飯に悩んでいた。
お腹は空いたが家に帰ってから何かを作るのも面倒くさい。今日は休日なのだから、とことん休んでいたかった。
どこか適当な店で済ませるのが一番だが、荷物が多く長時間移動するのも大変だ。
さてどうしたことか……と立ち止まって携帯で周囲の店を探そうとした時ようやく気づいた。
そこがゆかりの職場に数分で行ける距離だということに。
外に出ていた看板を店内に、『OPEN』の札を『CLOSE』へ。
和樹は外気温に晒された逞しい腕を胸の前で組むとぶるりと身震いした。
秋から冬への移り変わりの時期であることもあり、日が沈んでからの冷え込みが段々と増してきている。
明日からはもう少し厚手の上着を持ってきた方がいいな、とひとりごちて和樹は喫茶いしかわ店内へと戻った。
後はレジを精算し店内の掃除、次の日の仕込み作業をすれば閉店作業は終了だ。
和樹は時間を確認すると今日休みを謳歌しているはずの先輩店員を思い出した。
ここ数週間ほど本業の仕事が立て込んで入りシフトに穴を開け、その上マスターのギックリ腰が重なったことで随分ゆかりには迷惑をかけてしまっていた。
今日は買い物をして気分転換するのだと聞いている。少しでもリフレッシュできていたらいい。そんなことを願いながらカウンターの椅子を机に上げようと手をかけた時、来店客を告げるドアベルの音が静かな店内に鳴り響いた。
和樹は苦笑いを顔に貼り付け振り返る。
「申し訳ございません、本日の営業は終了しまし、て?」
「あは。お疲れさまでーす……やっぱり、ダメですかね?」
断りの決まり文句を言いかけた和樹はその客を認識するとおや、と目を見張る。
『CLOSE』の札を無視して入ってきたその客は両手いっぱいに紙袋を抱え、申し訳なさそうに眉を下げながら扉から半身を覗かせているゆかりだった。
黒のタートルネックにカーキ色のスカート、タータンチェックのストールを羽織っており、勤務時にはあまり見かけない服装を新鮮に思いながら和樹は扉に近づきゆかりに問いかける。
「お疲れさまです、ゆかりさん。どうしましたか、こんな時間に」
忘れ物でもあっただろうか、と頭に疑問符を浮かべながらも和樹はとりあえずゆかりを店内へ招き入れることにした。
ゆかりの腕に提げてある大中小さまざまな紙袋がガサガサと左右に揺れる。
「いやぁ、一日買い物してたら晩ごはん作るのめんどくさくなっちゃって。ギリギリ間に合うかなぁと思ったけど一歩遅かったみたいですね。 あーあ、和樹さんの美味しいごはん食べたかったなぁ!」
ゆかりは大仰に嘆息すると和樹の反応を伺うようにチラチラと目線を寄越してきた。今にも「ぐぅ」と鳴り出しそうな、腹を抑えるそぶりまでして。
和樹は瞬時に口を手で抑えたが一歩遅く、隙間から笑い声が「ふはっ」と漏れ出てしまった。
そんな迫真の演技までしなくとも追い返したりなどしないのに。ゆかりはおねだりの仕方がわざとらしい。
和樹はゆかりの提げている紙袋すべてを手早く奪うと彼女の背を押してカウンターへと促す。
「どうぞお座りください、お客様」
「やった、さっすが和樹さん! ありがとうございます!」
わーい、と拍手しながら喜んだゆかりは
「荷物持たせちゃってすみません」
と恐縮しながら和樹に促されるままカウンターの真ん中の席に座った。
和樹は隣の椅子に奪った荷物を丁寧に置くとゆかりを振り返る。
「ゆかりさんにはここしばらく、いつも以上にご迷惑おかけしてましたから……これくらいお安い御用です。何でも作らせてもらいますよ」
「……何でもいいの?」
「ええ、何でもどうぞ」
余ってる食材で作れるものだけになっちゃいますけど、と付け足しながら和樹はキッチンへ戻ると冷蔵庫を開け、残っている食材を確認する。
レタスを切らしているためサラダは作れないが、ある程度のものは作れそうだ。
そのことを伝えるとゆかりは「そっかぁ」と顎に手をやり何か考えごとをしたかと思えば、目を輝かせながら和樹を見上げる。
キラキラとした瞳とニヤリと三日月を描くつやつやしたピンクの唇とのギャップが激しい。
「本当に何でもいいんですね?」
「ゆかりさん、マスターに内緒で買い出し帰りにアイス買い食いした時と同じ顔してますよ。何の悪巧みしてるんですか」
「悪巧みなんて失礼ですね和樹さんも食べたくせに! でも決めました。和樹特製ハンサムセットをお願いします!」
「和樹特製ハンサムセット」
和樹は意外なオーダーに思わず復唱してしまう。当然ながら『和樹特製ハンサムセット』なるものは喫茶いしかわのメニュー表には載っていない。つまり和樹におまかせということだ。
目の前には数回ドタキャン同然のシフト交代で大迷惑をかけた先輩店員が笑顔で鎮座している。
和樹の答えはもとから一つしかない。
「かしこまりました」
大きないたずらっ子の期待が混じった目線を受け、それならこちらも大いに遊んでやろう、と和樹は洗ったばかりの包丁を取り出した。
「お待たせいたしました。こちらご注文の『石川ゆかり専用炎上スペシャルセット』でございます」
「ちょっと。そんなの頼んでないんですけど」
ゆかりの無茶振りから十数分後、一日の休みをどのように過ごしたかを楽しく話していたゆかりの目の前にいくつかの皿が並べられた。
先程の意趣返しか、ゆかりにとって聞き捨てならないメニュー名を告げながら。
「『和樹特製ハンサムセット』はどこにいっちゃったんですか」
「こちらは、ランチ用のトマトスープに鷹の爪を入れてリメイクしたピリ辛アラビアータ風パスタです。ゆかりさんがよく言うSNSの『炎上』を表現してみました」
「スルーですか和樹さん」
非難めいたゆかりの視線は和樹お得意の王子様スマイルで流されてしまった。どうやら『炎上セット』なるものの説明が終わるまではこのわざとらしい店員然とした態度を続けるようだ。
「こちらはサラダ代わりのトマトとチーズのマリネです。甘酸っぱい僕の想いがたっぷり入っています」
「そういうこと言うから炎上するんですよ和樹さん」
「お腹が空いている、とのことでしたのでオマケでトーストと、まだ試作段階なんですが自家製サワークリームもつけておきました」
「うわっ、サワークリームまで作れるんですか和樹さん……!」
「最後に、食後のお口直しとして新作の『パンプキンタルト』が冷蔵庫で冷えています」
「全然話聞いてくれないけどすごく美味しそうですね和樹さん!」
無駄に豪華なセット内容に律儀にツッコミを入れていたゆかりも、落ち着いた声音で繰り出される料理の説明を聞いてるうちにどんどんと空腹と期待が高まる。ゆかりの平らな腹が今度こそ「ぐぅー」と鳴った。
和樹はその音にぱちりと瞬きを一つすると、笑いながら店員の顔から同僚の顔に戻して告げた。
「どうぞ召し上がれ」
「いただきます!」
ゆかりは満面の笑みで合わせられた手を解きパスタ皿の横に添えられたフォークを持つとパスタを巻きつけ、一口。
「ん~~美味しい!」
「それはよかった」
たぁんとお食べなさい、お残しは許しませんよ。
ありがとーおかーさん!
満面の笑みで和樹の腕を褒め称えると気を良くしたのか後輩が妙なキャラになったが、ゆかりは特に突っ込むこともなく食事を続けた。
リメイクとは思えない完成度のアラビアータ風パスタはトマトの酸味と鷹の爪の辛さが互いを引き立て合い、食欲を増大させる。
いつの間に用意したのか、ハートマークが描かれた爪楊枝の旗が刺さっている和樹特製サワークリームは刻んだ玉ねぎとパセリが混ぜてあり、こんがりときつね色がついたトーストに乗せて食べると幸せを感じるほどの一品だ。
サラダ代わりに、と出されたトマトとチーズのマリネは和樹がその場で簡単に作ったというドレッシングが絶妙だった。
マリネのチーズを箸で摘み上げたゆかりが気づいた。
「チーズまでハート型になってる!」
「それはそうですよ。炎上スペシャルコースですからね」
「うーん、自分で頼んでおいてあれですけど、もっと適当でよかったのに……和樹さんってつくづく凝り性ですよねぇ」
「やるなら最善を尽くしますよ。それに、こういう遊びがあった方が楽しいでしょう?」
いたずらが成功したように微笑む和樹を目の前にしてゆかりは単純に「凄いなぁ」と感心した。
一応喫茶いしかわではゆかりが先輩とはいえ、普通、閉店間際に来て無茶振りをかます年下の女の要求にここまで全力で応えられるだろうか。少なくとも自分には無理だとゆかりは思う。
これはもちろん和樹本来の優しさと凝り性という性格が起因するのだろうが、ゆかりはその中に『罪悪感』のような、後ろめたい何か気まずい感情が混ざっている気がしてならなかった。
急な欠勤でゆかりに休日返上で働かせてしまったことに対しての気まずさと言われればそうなのだが、きっとそれだけではない。
「……和樹さん。あまり気にしないでくださいね」
「え?」
「和樹さんの本業も、本業を優先するという条件で働いていることも承知してますから。さすがにドタキャン三連とかはきついですけど」
「すみません……」
「でも、和樹さんが自身で決めた道には脇目も振らず走ってっちゃってくださいね。私なら大丈夫ですから」
「……」
和樹が感じていそうな罪悪感なんて気のせいかもしれないし、見当違いのことを言っているかもしれないが、ゆかりは悩みながらも伝えることにした。
自分のことは気にせず、和樹がするべきことを迷わず選んで行けるように。
年上の優しい後輩が、負わなくてもいい傷を背負わないように。
そんなことを考えながら喋っていたためか目の前からの反応がないことに生意気に言い過ぎたか、とゆかりは焦った。
謝らなければ。あたふた手を振りながら慌てて口を開く。
「すみません! 余計なお世話ですよね! 生意気なこと言っちゃって……」
「ありがとう。ゆかりさん」
「え」
和樹はゆかりの謝罪を遮ると微笑んで短く礼を告げた。
それは普段の王子様スマイルとは程遠いぎこちない笑顔だったが、なぜかしっくり似合っているような気がした。
それと同時に見てはいけないものを見た気分にもなる。これは自分が見ていい表情なのだろうかと、いつも通り和樹ファンのJKからの厳しい目を想像してしまい戦々恐々だ。
「ゆかりさん。そろそろ食後のデザートはいかがですか?」
「えっ、あ、そうだった! 食べます食べます!」
脳内で炎上シミュレーションを繰り広げ頭を悩ませていたゆかりの目の前に和樹新作のパンプキンタルトが乗った皿を置かれ、ゆかりはルンルンでその皿に飛びつくことになったため話はそこで終了した。
だから、ゆかりは気づかなかった。カウンターに頬杖をついた和樹の眉が困りげに八の字を描いていたことに。
甘さ控えめのパンプキンクリームとタルト生地のしっとりサクサク具合を褒め称えるのに必死だったゆかりに
「ほんと、油断できないなぁ……」
という和樹の呟きも届くことはなかった。
こういうお遊びメニュー、お付き合い後はたまに和樹さんが出してきそうですよね。
いちごを混ぜたスポンジにたっぷり生クリームのデコレーションで「ゆかりさんの可愛らしさに相応しいでしょう?」とか。
ちょちょいとザッハトルテを作って「チョコの苦みで僕の悋気を表してみました」とか。
ゆかりさん的には美味しくて嬉しいけど、作るの難しかったり面倒くさかったりするメニューをあっさり作っちゃうところでちょっぴり複雑な気分になることもありそう。




