476-2 感謝の花束をあなたに(後編)
真弓と進は無事にビルの上階にたどり着き、人目を避けながら父の姿を探していた。
「お父さんは背が高いし顔も声もかっこいいからすぐに見つかると思ったのになぁ」
「ぼく疲れてきちゃった……」
「進、我慢して! お母さんを喜ばせるためなんだから……!」
会話に夢中になっていた二人は完全に油断していた。会議が終わった大きな部屋から大勢の関係者がガヤガヤと出てきたのだ。
「ん……? 子供!? 子供がいます!」
「なんでここに子供が入って来てる!」
「ヤバい、見つかった! 逃げるよ進!」
「う、うん!」
真弓と進は全力でその場から逃げた。二人ともかけっこやマラソンは常に一位や上位だったので足には自信があった。元来た道を走り抜け、エレベーターへと乗り込む。
「ま、待ちなさい!」
関係者の手は二人に届くことなく扉は閉まった。エレベーターは真弓の手によりさらに上の階へと登っていった。
ポーンと指定した階にエレベーターが止まる。扉が開き、エレベーターの外に出るとそこには恰幅のいい大きな男がぬぅっと立っていた。真弓は思わずビクリと震えた。
時間差で隣のエレベーターの扉が開いた。
「く、黒沢部長! 侵入者です! その子供たちを捕まえてください!」
閉まったエレベーターの扉を背に真弓は進を庇ってぎゅうと抱き締めた。黒沢の手がすぐそこまで伸びて来ていた。真弓は目を瞑った。
ポン、ポン。
暖かく大きな手のひらで頭をポンポンされ、そのままふわふわと撫でられた。おそるおそる目を開けると、しゃがみこんだ黒沢がそこにいた。
「お嬢さんこんにちは」
「こ、こんにちは……」
「そちらは弟くんかな?」
「は、はい!」
「帽子を外してくれるかい?」
真弓と進は言われるがまま深く被っていた黒い帽子を脱いだ。黒沢は進の顔をじっと見ると優しく囁いた。
「お前たち、石川の子供だろう?」
「父を……ご存じなんですか?」
「ああ、よく知ってるよ。こんなところで立ち話もなんだ。この奥に応接室があるから案内する、着いてきなさい」
黒沢は二人にくるりと背を向けると応接室があるという方向に歩いていった。真弓と進を追ってきていた者たちはことの次第を静かに見守っていた。
「お姉ちゃん、行こう? おじさん、悪い人じゃないよ」
「うん……」
二人は手を繋ぐと黒沢の向かった方向へと走っていった。
応接室に案内された二人は大きなソファーに腰掛けると、出されたジュースや茶菓子をご馳走になった。そして黒沢と話をした。
「石川真弓です! 小学一年生です。ほら進も」
「い、石川進です。来年から小学生になります!」
「そうか……私は黒沢という。真弓と進は今日は何しにここに来た?」
「お父さんを捕まえに来ました!」
黒沢は愉快そうに片眉を上げる。
「ほう……それはどうしてだい?」
「今日はお母さんの誕生日なんです! お父さん、またお母さんの誕生日をすっぽかすから、今日こそ身柄を確保してお母さんの元に連れてってやろうと思ってやって来ました!」
「そうかそうか……それはいけないお父さんだね」
黒沢は優しく二人に微笑んだ後、応接室の外に向かって語りかけた。
「だそうだ。石川、入ってこい」
真弓と進が黒沢の話しかけた方向を見やると、そこには灰色のスーツに身を包んだ父がいた。
「お父……」
「真弓! 進! お前たち自分が何をしたかわかっているか?」
静かに怒りをあらわにする父に二人は完全に萎縮した。
「真弓、今日、小学校は?」
「仮病使ってお休みしました……」
「進、幼稚園は?」
「わたしっ、私が無理やり幼稚園から連れてきましたっ! だからついてきただけで、進は悪くないのっ!」
進を隠すように抱きしめて一生懸命言葉を紡ぐ真弓の様子をみた和樹ははぁとため息をついた。
「いい? 今日真弓と進が突然いなくなったお陰で幼稚園の先生、小学校の先生、地域の大人の皆さん、二人の仲良しのお友だち……そして何よりもお母さん。みんなみんな二人のことを心配して、一日中二人を探していたんだよ。わかる?」
ことの重大さを知った真弓はハッとした後べそべそ泣きながら和樹に謝った。進もごめんなさい、と謝った。
一部始終を見守っていた黒沢は和樹に言った。
「石川、今日はもう帰れ」
「はっ……お言葉ですがまだ仕事が残っておりまして……」
「たまにはいい。家族サービスしてやれ。奥方の誕生日なんだろう? 今日は」
三人が自宅に着くやいなやゆかりが玄関に飛んできた。目を腫らして痛々しい様子だったが、和樹に連れられた真弓と進を見てゆかりはさらに涙を溢した。二人を両腕でぎゅっと抱き締め、か細い声で言った。
「進くん……真弓ちゃん……無事でよかった……無事で……」
「お母さんごめんなさい!」
「ごめんなさい……」
後ろからその様子を見ていた和樹はゆかりに言った。
「二人は僕をゆかりさんにプレゼントするために大冒険してたみたいだよ?」
「そっか……ありがとうね二人とも……お父さん連れて帰って来てくれて」
ピンポーンとインターホンが鳴った。和樹はすぐに玄関の外に出て、何やら受け取っている。配達員とのやり取りが終わり、受け取ったものを後ろ手に隠し、ゆかりに近づくと跪き、バッとそれをゆかりの目の前に出して言った。
「お誕生日おめでとう、ゆかりさん」
「わー! 今年もありがとうございます!」
ゆかりが受け取ったのは黄色いミモザの花束。和樹に手渡されたそれをゆかりは慈しむように見つめる。
「今年も?」
真弓が不思議そうに聞いた。
「うん。お父さん、毎年どんなに忙しくてもお母さんの誕生日にミモザの花束をくれるのよ」
そう言われれば母の誕生日の次の日には必ずミモザの花がリビングの花瓶に飾られていた気がする。まさか父からの母に対する贈り物だったなんて。
「いつも配達にしてたけど今日はタイミングがよかった」
「ですね~直接受け取ったのは久しぶりです。ありがとうね、真弓ちゃん進くん。二人のお陰だよ?」
それから四人でささやかながらゆかりの誕生日パーティーを行った。真弓が思い描いていた光景がそこにはあった。
数年後。
母の誕生日がミモザの日で、ミモザの花は男性から女性に向けて贈られる感謝の花なのだと知った真弓は父のことを見直すのだった。
子供たちは初めて見ただろうなぁ。泣き腫らしたお母さん。
以前「143 ミモザの花は甘やかに」でミモザの話を書いたのですが、初めて和樹さんがミモザを贈った時は、実は誕生日を知らなくて&ゆかりさんも教えてなくて……という設定があったりなかったり(笑)
ここから大冒険の後日談。
後日、ふらりと喫茶いしかわに現れた黒沢部長。子供たちと再会し、ゆかりさんに平謝りの謝罪をされつつマスターのコーヒーやランチをいただきつつ。
真弓「あっ、お父さんより偉いおじさん!」
進「おじさんこんにちは。おじいちゃんのコーヒー、すっごく美味しいんだよ」
ゆかり「先日は大変なご迷惑をおかけしました。お詫びに本日分のお支払いはこちらで」
黒沢「いや大して迷惑はかかってませんし、むしろ彼が有能とはいえ大量の仕事を任せすぎたこちらにも非がありますので、おあいこということで。お代は支払いますよ」
わやくちゃして結局、コーヒーだけはサービスにすることになり、大事な孫か世話になったんだからとマスターが張り切ってええコーヒーを提供。
黒沢「うむ。やみつきになりそうだ」
ドキドキしながら様子をうかがってた子供たちがほっとしてぱっと笑顔を振りまく。
子供たちが懐いてるので、そのまま先日のことをあれこれ雑談。改めて理由を細かく聞いてみると。
真弓「お父さんはお母さん大好きすぎて、お母さんといちゃいちゃできたらいちばん嬉しいの。いつもお母さんに好きって言いたいのよ」
ゆかり「真弓ちゃんたら、もう……」
うんうんと頷く進が口を開く。
進「お母さんもね、恥ずかしがるけどやっぱりお父さん大好きなんだよ。いつもいっぱいチュウとかぎゅーしてるし」
ゆかり「進くんっっ!?」
慌てるゆかりをよそに「んねーっ」と笑顔で頷き合う真弓と進。
真弓「だからね、お母さんの誕生日はホントはふたりでおデートしてもらおうと思ってたの。……いっぱい困らせて泣かせちゃったけど」
黒沢「そうか。ふむ……君らは、お父さんと一緒に仕事してる長田おじさんは知ってるか?」
大きくこくりと頷くふたり。
黒沢「自分たちだけでなんとかしようとする前に、長田おじさんに聞いてみるといい。本当にお休みできませんかってな。それに、おじいさん……マスターにも相談できれば良かったな。子供は、できると思っても足りないことが多いんだ。もう少し周りの大人を頼りなさい」
真弓・進「はぁい」
こうして若干いかつめなおじさんに懐く子供たちの姿がたまに見られるようになった。




