472 ブラックすら甘い
時期外れですが、交際期間のバレンタインのお話。
チリン、とドアベルの音色をお供に鉄平が和樹と共に喫茶いしかわに入ると、カウンター席から立ちあがった男がゆかりと向かい合って、カップケーキが入った袋を大事そうに持っていた。愛らしくラッピングされた、ファンシーな模様が散りばめられている透明の袋に収まっているチョコレート色の物体は、どう考えたってバレンタインの贈り物以外の何物でもないだろう。
瞬時にそこまで導き出した鉄平はおそるおそる和樹に視線を投げるが、和樹は涼しい表情をしている。
「あら、二人一緒なんて珍しいですね」
「帰りがけに見かけたから、拾ったんだ。ブレンドをお願いします。鉄平くんも飲んでいくかい?」
「え、あ、はい」
にこやかにゆかりと会話を交わしながら、和樹は先客の男から一つ空けた席に座る。
はて。聡美の情報によれば、かなりの頻度で喫茶いしかわに通っている和樹とゆかりはラブラブということたが、この状況で不機嫌になる様子がないとはどういうことだ? 内心で首を傾げながら鉄平は和樹の隣に腰を下ろす。
「ゆ、ゆかりちゃん……! これ、ありがとう。大事に食べるよ」
二人の来店で話が途切れていたことにしびれを切らしたように、男が声をあげる。
「ありがとうございます。マスターも喜びます!」
マスター……? なぜマスターが出てくるのだと考えてから、鉄平は昨年のことを思い出した。
昨年も日頃のご愛顧に感謝してとバレンタイン週間にはゆかりがチョコレートのスイーツを渡してはいたが、当時は喫茶いしかわの店員となっていた和樹が「僕の自信作です」とゆかりに懸想する男を牽制していた。つまり、今年はマスターがお客様に配るチョコを作ったということではないだろうか。
「でもこれ、バックヤードから持ってきてくれたよね」
「はい。今年は大きめに作ったから、場所取っちゃうんでカウンターに置いておけなくって」
ゆかりには状況説明以外の意図はないのだろう、がっくりと肩を落とした先客の様子に、首を傾げる。どの程度アプローチできていたのかは知らないが、躱されるならまだしも一切ゆかりに伝わっていなかったのだろう。こうなると、さすがに哀れだ。
「お待たせしました、ブレンドです」
和樹と鉄平にブレンドを出したゆかりの指先に和樹は流れるように指を絡めた。
「今日、指輪が仕上がったって連絡がありました。明日、受け取りに行きましょう」
「はい」
和樹が甘やかに微笑みながら言うと、ゆかりは嬉しそうに頬を染めて頷く。
ああ、そういうことか。
ゆかりが他の男にチョコスイーツを渡していても不機嫌にならなかった和樹と、指輪というワード。和樹は最初から今年もゆかりが客に渡すチョコは彼女のお手製ではないことを知っていて──もしかしたらマスターを手伝った可能性も高くて──なおかつ一緒に指輪を受け取りに行くような関係まで進展しているということだ。
「ご結婚オメデトウゴザイマス」
「「ありがとう」」
こちらから引導を渡してやる方がマシだろう。そう思って、鉄平が口にした言葉に、ゆかりは満面の笑みで応える。和樹がゆかりに言葉をかぶせてきたのは意図的にだろう。
「うふふ。実際に結婚するのはしばらく先なんだけどね」
「ははは。僕は今すぐでも歓迎しますよ」
傷心の男が会計を済ませて出て行くのを見送って、幸せオーラ全開で仕事を続けるゆかりと愛しいと雄弁に語る視線で彼女を見つめる和樹に、ブラックで飲んでいるはずのブレンドさえ甘ったるく感じてしまう鉄平だった。
鉄平くんもこの件に関してはよくフォローに回ってそうな一人。なんだかんだ苦労性。




