469 どんなコントですか
ゆかりさんと長田さんのはじめましては、こんな感じでした。
スーツを新調すべく外出していた長田は帰宅中、突然の雨に降られた。コンビニでビニール傘を調達したものの雨足が強くなり、定休日でシャッターの下りた商店の軒先に退避して様子をみる。
しかし、だんだんと雨足が強まるばかりか強い横風も吹き始めた。いっそ、店に入って時間を潰すのもありだろう。
そう思って軒先を出て方向を変えた瞬間、突風に煽られ傘が見るも無惨な姿に成り果ててしまった。
「嘘だ……」
ベコベコにひっくり返った傘を見詰め、雨に打たれながら立ち尽くした。
「あの、大丈夫ですか?」
どうしてこうも不幸は続くのだろう。やってしまった。これは非常にまずい。声をかけてきたのは喫茶いしかわの石川ゆかりである。非常にまずい。誰かさんの不機嫌極まりないオーラが漂ってきた気がして身震いする。
「まあ、傘が……」
バタバタと風に未だに煽られ続ける傘を見て彼女は気の毒そうな声を出した。
買い出しの帰りなのか、片手にビニール袋を下げている。中身の重さのせいで、そのビニール袋では心もとないように見えた。
「私、すぐそこの喫茶店で働いている者ですけど、よかったら、タオルでもお貸ししますよ?」
「あぁ、お気になさらず」
優しい人だ。しかし、まずい。このままでは喫茶いしかわに案内されてしまう。今日の喫茶いしかわには和樹さんがいるはずだ。びしょ濡れの部下がノコノコと喫茶いしかわにやって来た姿を見た和樹さんに視線で殺されるかもしれない。
早々に立ち去るべきだ。
彼女に背を向けたまさにその瞬間、背後から何かが千切れる音と共にゴトゴトと何かが落ちた音がした。
そして、自分の足元には綺麗な色をしたグレープフルーツがひとつ転がってきた。
「ゆかりさんはどこか抜けているというか……」
珍しく仕事に関係のない話、それもプライベートの生活を話してくれた時に、確かに和樹さんはそう言いながら笑っていた。あまりにも楽しそうに話すものだから、よく覚えている。
振り返ると、彼女を中心に四方八方に買ったばかりの品が広がっている。しかもあまりの雨の量に水の流れに乗って桃太郎の冒頭よろしく、果物が流れていく。それを懸命に追いかけ、拾っている石川ゆかりがいた。
「やっちゃったぁ!」
石川ゆかりさん、貴女は恐ろしい人だ。
何故このタイミングで雨が強くなり、自分の傘は壊れ、彼女が現れたと思ったらビニール袋が裂けてしまったのか。しかも流されていく果物たち。そして足元にはご丁寧にグレープフルーツまで転がってきた。もう逃げられない。まるでコントだ。いつから自分はコントの住人になってしまったんだ。
諦めて一度灰色の空を仰いでから、足元のグレープフルーツを拾い上げ、慌てふためく彼女に声をかけたのだった。
「お手伝いします」
◇ ◇ ◇
「ゆかりさん、大丈夫ですか?」
喫茶いしかわ前には和樹さんが立っていた。帰りが遅くなったことを詫びる彼女に
「それより早く中に入ってください」
と優しく彼女から荷物を受け取り、店内へと誘っていく。
彼女の代わりに傘を指していた自分はとりあえずまだ動かないでいた。というか、動けない。
「あの人が助けてくれて」
「そうでしたか。あ、ゆかりさんの分のタオルはここにありますけど、もう一枚、奥から取ってきていただけませんか?」
そんなやり取りが断片的に聞こえてきた。
パタパタと彼女が店の奥へと消えていく。そして、扉の前に戻ってきた和樹さんから笑顔が消えた。さようなら“喫茶いしかわモードの和樹”さん。
「どうした。入らないのか? お客様?」
お客様にそれは大クレームです和樹さん。やはり、もう“喫茶いしかわモード”ではない。九割は会社で事務仕事中の和樹さんだ。
先程までの柔らかい雰囲気は何処に行ってしまったのか。“九割鬼モード和樹”さんは、開いた扉の横に背中を預け腕を組み、見下すように鋭い視線を向けている。
「いえ、自分は……これで……」
「そうか、帰るのか……で?」
「で?」と言われるとは……その返しは地味に傷つく。和樹さんも分かってやっている。それならと出社後に伝えるつもりだった情報を手短に和樹さんに伝えた。
「了解。あ、長田これ半分持っていけ」
手渡されたのは先程まで石川ゆかりさんが持っていた買い出しのフルーツだった。
「これは?」
「もうほとんど店には出せないからな。それに、このままお詫びもできないで相手が帰ってしまうと、きっとゆかりさんが気に病むから」
なるほど「お詫びとしてのフルーツ」ということか。それならと、素直に受け取った。
「何があったか大体察するが……助かったよ。正直、帰りが遅くて心配だった」
ポロリと突然告げられた感謝の言葉に少しだけたじろいでしまう。身内のものが云々と言うような口ぶりに、聞いている方がなんだかむず痒い。それを誤魔化すように話を振ってみようとしたが、うまく言葉が出てこなかった。
「石川さんは……いい人ですが……その、先程起こったことは、まるでコントみたいでした」
何を言っているんだ俺。なんだコントって。いや、確かにあの時はそう思ったが、現場を見ていない和樹さんにはちんぷんかんぷんなはずだ。また「で?」と言われるか「は?」と言われてしまう。
「あぁ、彼女はすごいよ。一緒にいると僕もよくコントの住人になるからな」
予想外な返しに、思わず和樹さんの顔をまじまじと見てしまった。和樹さんがコントの住人に……コント? 何を、仰っているのか。和樹さんがコント? あまりのことに頭の中は軽いパニックに陥っている。ただ最終的に、しかし彼女にならそれは可能なのだろうな。という答えに落ち着いたのだった。
「……内緒だぞ」
確かにそう言った和樹さんは笑っていた。やはり、どこか楽しそうだ。
「はい。誰にも言いませんとも……それでは、失礼します」
「あ、その傘は置いていけ。ゆかりさんのお気に入りだから」
この人は、俺に濡れて帰れというのか……。
悲しむ俺の顔から察した和樹さんはジトッとした目で見て、店の中から一本のビニール傘を持ち出し、いつの間に用意していたのか、少し小さめのタオルまで一緒に差し出した。
「言っておくが、そこまで鬼じゃないからな」
有り難く頂戴し、石川さんからお借りしていた傘は和樹さんに手渡した。
和樹さんは、とても厳しい人だが、優しい人でもあるのは、知っている。ただ、それより先に頭に浮かぶのは、叱責されてばかりの自分と叱咤する和樹さんである。正直、一週間ほど前の失敗による痛みは現在進行系で引きずっている。ちなみに、心の方の痛みである。
それからようやく、喫茶いしかわに背を向けて歩き出す。歩いていく中で、先程のやり取りを思い出していた。
「気に病むから」
「正直、帰りが遅くて心配だった」
「彼女はすごいよ」
「内緒だぞ」
「お気に入りだから」
何気ないその言葉はすべて柔らかかった。声も、表情も、雰囲気も、すべてが柔らかい。あんな和樹さん、なかなか見られない。そう思うと、やはり石川ゆかりさんは只者ではないのだろう。
和樹さんは、気づいているのだろうか。自分が、彼女の話をする度に、そんな声に、表情に、雰囲気になることを。
我々は彼女のような善良な市民の生活を守らなくてはいけない。その使命感で動いている。しかし、あの時の和樹さんには、もしかしたら他の感情が少しだけでも含まれていたのではないだろか。
「俺は何を考えているんだ……」
そんな邪推をしては後々恐ろしい目に遭いそうだ。我にかえった俺は、慌ててその考えを振り払うように頭を振った。
後日、とある仕事の山を越えた辺りで
「そういえば、おまえあの時、彼女と相合い傘を……」
と虚ろな目の和樹さんにボソリと言われたが聞こえなかったふりをした。
俺はなにも聞いていません。だから和樹さん、口が滑ったと慌てて誤魔化すために「おっと手が滑った」とわざとらしく仕事の書類を俺の机の上にぶちまけるのはやめてください。これ片付けるの俺なんですよ、和樹さん。
あなた自身さえも、もしかしたら気付いていない何かに、俺が少しだけ気付いてしまっていたとしても、俺は何も言いませんから。
(cv.横尾まりor小宮悦子で)
ここから長田の、自分のことにはなかなか気付けない男と、その男以上に鈍い女のために苦労する日々が始まるのであった。
さて、前回あとがきで予告した『ヴァニラな雪女』連載開始しました。
最終話投稿日は11月1日です。
毎日1話ずつ楽しんでいただくもよし、完結後イッキ読みするもよし。
ここまで喫茶いしかわをお楽しみいただいてる方には楽しんでいただけるぽんこつラブコメになっていると思います。




