457 とある応援し隊員の思い出話・Case17
和樹さんだけが自覚していた頃のお話。
「ゆかりちゃんも? 本当、満員電車って嫌だよね」
「はい」
カウンター内に立つ看板娘のシュンと下がった眉にむむむと尖った唇。
その隣に立っていた看板男は腕を組んで二人の話を聞いていた。
カウンターに座っているのは小沢加代。
この喫茶店の看板娘である石川ゆかりの友人であり、常連客の一人だ。
近くの会社で秘書兼事務員として働いている加代は、大抵昼休憩を利用して喫茶いしかわにやって来る。
「今日は休日だけど来週お役所に提出する書類のことで呼び出されて、だからちょっと遅めのランチを食べに来たの」
普段より遅い時間に来た友人を不思議そうに迎えたゆかりに告げて、加代はカウンター席に座った。
その理由から、いつもの秘書に相応しいスーツ姿よりくだけたオフィスカジュアルな服装で来店している。
長袖の白いレースブラウスに同じく白のパンツスーツ姿の友人の姿を初めて見たのかゆかりは目を輝かせて、どこの店のものかと質問していた。
加代の服装を目にした和樹もさらりと褒めて、注文されたランチの準備に取りかかっている。
そんなわけで加代はゆかりや和樹と雑談をしながらスローペースでランチを取り、食後のコーヒーに追加で新作のプチデザートを頼んでいた。
容器にしたミニグラスにほろ苦いコーヒーゼリーと甘いバニラアイス、アクセントとして小さく砕いたおかきがトッピングされている。
「美味しい!」
「でしょう? これ和樹さんが考えたんですよ。おかきは既製品ですけどゼリーとアイスはこのデザートに限って手作りしてるんです!」
ゆかりはまるで自分が褒められたかのように胸を張り、自慢気な顔をしていた。
そしてその看板娘の表情を瞳に映した看板男の頬は心なしか紅く色付いているような。
おやおやこれはこれは、とランチ後のデザートを楽しむ顔を崩さないまま、加代は内心ガッツポーズを決めていた。
最近のゆかりははっきりと口には出さないものの和樹のことが好きだと彼を見る目が、やわらかな視線が言っており、恋心が筒抜けになっている状態だ。
和樹だってゆかりの気持ちを知ってか知らずか、明らかに他の女性に接している時とゆかりでは対応が違うし、彼女のことを憎からず思っているのではと加代は睨んでいる。
ちなみに同志は大島のおばあちゃまとあと何名かのご夫人達。
『ゆかりちゃん、和樹さんファンの女の子や女性が黄色い声を上げてると少し眉が悲しそうに下がってるし、彼女たちに和樹さんが営業スマイルを作ってるとご機嫌斜めになってその後塩対応になってるしねえ』
『和樹さんも和樹さんでゆかりちゃんがツンツンしてると焦った顔で顔色を窺ってるし、あんな顔今まで見たことなかったから新鮮だったわ。ほほほほ』
ランチタイムが終わった喫茶いしかわの奥まった席に座ってティータイムを満喫しているご夫人たちのテーブルに同席した加代はうんうん、と首を縦に振って頷く。
『何か切っ掛けがあればと思うんですけど私が下手に介入して二人が変な感じになっても困るし……』
『そうね。歯痒いけれど今はゆかりちゃんと和樹さん、二人を見守ることしかできないみたいね』
それが二日前の出来事。
そして加代が新作デザートを食べていた時までは平和な雰囲気だったのだけど。
「ねえ、聞いた? 最近、商店街の裏通りに続いている小道に痴漢が出るんだって」
「ええっ、知らない! 痴漢ってことは夕方か夜だよね。もうあそこの近道、暗くなってから通るのやめとこー」
中央付近のテーブルに座っていた女子大生らしき二人が、眉を潜めながら話しているのは、残念ながらさほど珍しくもない犯罪者の話だ。
「痴漢かあ。今の職業に就いてからはないけれど大学生の時とか高校生の時、満員電車でね。ああ、思い出しただけでゾッとする」
彼女達の話が聞こえた加代が肩を竦めると、ゆかりもうんざりとした顔で口を引きつらせている。
「私も中高生の時何度かあります。お兄ちゃんが運転免許取って学校まで送ってくれるようになってからは安心して通えるようになったんですけど」
「迷惑防止条例違反で六ヶ月以下の懲役又は五十万円以下の罰金。もっとも悪質なのはその程度では済みませんが」
そう話す強張った表情の和樹の背後に黒いオーラが見えて、うおおと小さく唸った加代だがゆかりは気付いていないようだ。
「さすが和樹さんですね! いざというときの法律の知識もバッチリだなんて!」
「ゆかりさん!」
「はい?」
至近距離なのに同僚から大きな声で名前を呼ばれて、看板娘は驚いて瞬きを繰り返している。
「今日から僕がシフトに入っている時は必ず自宅まで送りますからそのつもりでいてください」
「は? えっと、あの……? 和樹さんのおうち、私の家と方向違いますし、ここから私のマンションまで何分かかるか知ってますよね?」
「もちろん知っていますが、それが何か?」
否定は許さないとにっこりと綺麗に笑って見せる男の迫力にゆかりはたじたじになっていた。
納得いかないという顔をしたゆかりが加代に助け船を出してほしいと視線を送ってきた。
何この面白い展開。口元を緩めた加代は
「いいじゃない、ゆかりちゃん。喫茶いしかわでのお兄さん代わりの人に送ってもらったら」
と和樹の援護に回る。
「……お兄さんって喫茶いしかわでは私の方が和樹さんの先輩で和樹さんは私の後輩なんですからね」
「はい。ゆかり先輩」
「もう! 全っ然先輩を敬ってる感じがしませんよ」
これ以上二人と話をしても埒が明かないと思ったのかゆかりが唇を真一文字にして、膨れっ面になった。
表情豊かなのが看板娘の魅力の一つでもある。苦笑いした加代が思わず和樹の顔を見ると、そこには可愛いと書いてあってどう考えても両思い。
似た者同士め、とカウンター席のテーブルの下でグッと左手の拳を握りしめた加代はスマホを取り出して、通信アプリで同志の夫人達に報告していた。
和樹さん、「ゆかりさんを護らなければ!」という気持ちもありつつ、あまりのフラグへし折りっぷりに「これは本人の気持ちより先に外堀埋めたほうがいいな」という計算も入っていたりして。
加代さんの恋愛フィルターにはゆかりさんからぽわぽわしたハートが和樹さんのほうにふわふわ飛んでいくのが見えていたようですが……さてはゆかりさんのフラグクラッシャーぶりを知らないな?(苦笑)




