454 とある応援し隊員の思い出話・Case16
ゆかりさんのお隣さん(女性)視点のお話。
お隣さんは私の恩人だ。
よりによって給料日三日前に痴情の縺れとやらで雇い主が刺殺されてしまい、給料どころではなくなった時に彼女に助けられた。
自分で言うのも何だが私は苦学生である。それも長女(私)のみを搾取する毒親育ち。
人生詰んでると思いながら逃げるように親元を離れ流れ着いたこの町。
かろうじて高校は卒業しているものの自分の履歴書は真っ白に等しい。
こんな自分を雇おうとするのはタイムカードがないブラックな個人経営の店か、いかがわしいサービスをする夜の店ぐらいだろう。
斯くして私は前者のブラックを選びコンビニで働いていた。
初の給料日に普段より良いもの食べれるかな、その前に家賃払わなきゃと思っていた矢先の刺殺である。
職場は混乱の真っ只中でとても給料を求めることなどできない雰囲気だった。
ヤバイ。このままだとそういう店に行くしかないのか。
マンション近くの公園で暗く遠い目をした私に天使が舞い降りたのは次の瞬間だった。
「あの、お隣さんですよね。顔色悪いけど大丈夫?」
ベンチに座る私に腰を屈めて目線を合わせてくる女性に
「大丈夫……じゃないです。助けて」
とSOSを口にした時に盛大に鳴る私の腹の音。
「取り合えずご飯食べに行こうか。もちろん私の奢りで」
「え、でも本当にいいの?」
隣人のお姉さんは大丈夫、大丈夫とほんわかした笑顔で途方に暮れていた私の手を取り、立ち上がるのを手伝ってくれる。
どうしてかな。名前しか知らない隣人なのにこのお姉さんなら信用できる気がした。
そんな経緯で手を引かれるまま連れて来られたのはレトロな佇まいの喫茶店。
「マスター。少しだけ厨房借りてもいいですか」
「良いけどゆかり、早上がりしたんじゃなかったっけ」
裏口から入った喫茶店の中には人の良さそうな顔をした白髪混じりの男性が一人いて、掃除の最中なのか手にモップを持っている。
「そうですけどちょっと訳ありで、今から使う分の材料費は払いますね」
マスターと呼ばれた男性はお姉さんの言葉に簡単に頷くと床のモップ掃除に取りかかっていた。
お姉さんはバッグから取り出したエプロンを手早く身に付けると、奥から材料を持って来てコンロに火をかけたりと私のために慌ただしく動いてくれている。
待っている間、カウンター席に座る私の前にはお昼のまかないの残りだという和風たまごサンドが神々しい輝きを放っていた。
昨日の夜から何も食べていない自分には文字通り輝いて見える。
一口齧る。美味しい。この喫茶店、喫茶いしかわの看板男が作ったという特製和風たまごサンドは涙が出るほど素晴らしい味だった。
実際泣いていた私だけど二人は見えないふりをしてくれる。
お姉さんはこの喫茶店の看板娘だとマスターに説明されながら出来立てのバター香る特製ナポリタンを食べるとこれもまた号泣するぐらい美味しかった。
その後贅沢にも挽きたてのコーヒーとデザートまで出されてペロリと平らげた頃には、久方ぶりにお腹はパンパンに満たされて膨らんでいる。
喫茶店からマンションへと一緒に帰宅する時にお姉さん――石川ゆかりさんと話すと、あのハムサンドを作った人の話を聞いた。
彫りが深めのちょっとエキゾチックな王子様っぽい外見でエリート商社マン時々喫茶店のアルバイト(仮)でスポーツ万能の男性……って何それ少女漫画のヒーローみたいな設定。
そのヒーローの話をしている時のゆかりさんは嬉しそうな顔をしていた。
それはまるで恋する乙女のような表情。
最近ハマっている無料で読めるスマホのTL漫画のヒーローもこんな感じの設定だったっけ。
本当は設定特盛の万能ヒーローなのにそれを隠して平凡なヒロインに近付くヒーロー。
平凡なヒロインと言っても明らかに他のモブの女の子とは違うお肌つるつるで瞳はぱっちり描かれているのが定石だ。
隣を歩くゆかりさんの顔をチラッと見上げる。
年齢よりも若く見える童顔で、丸いつるりとした可愛らしいおでこが見えるヘアスタイルの可愛い系のお姉さんだ。
命の恩人のフィルターがかかっているとはいえヒロインと同じくらいお肌つやつやで黒曜石の煌めきをたたえた瞳はヒーローの話をしている時にキラキラと輝いている。
漫画だと二人の仲は急速に近付き、強引な展開で結ばれるのだけど現実ではそんなことないのかな。
それからもころころと表情を変えながら“和樹さん”や喫茶いしかわの話をするゆかりさんはやっぱりヒーローから溺愛執着されてしまうヒロインの顔になっていた。
「……ずきさぁん」
とある真夏の静かな夜、マンションの廊下に女性の声が響いていた。
静かな理由は河川敷で開催されている花火大会に住人が出払っているからだ。
今のゆかりさんの声だけど、どうしたのかな。
ドアスコープから覗くけれどよく見えない。
「ゆかりさん。そんなにふらふらしたらぶつかりますよ」
その代わりゾクッとするほどイイ声が聞こえてきて、ドアノブを握って部屋から出て行こうとしていた指から力が抜けていく。
お、お持ち帰りイベントってこと? どうしよう。このままだと正体不明の美声の持ち主にゆかりさんが頭から足の爪先まで美味しく料理されてしまう。
「ぶつからないよぉだ。かずきさんが助けてくれるから大丈夫だもん。だぁい好きなかずきさんが」
酔っているのかふわふわとした声だけどそうだ、ゆかりさんはしっかりとしているから好意のない人から自宅まで送られることを良しとしないだろうし、その前に撒いて逃げるだろう。
「まったくそんなこと言ってどうなっても知らないからな」
「ふふ、かずきさぁん、どうなるってどうしてくれるの?」
うわあ。これ、途中からTL寄り少女漫画のドS設定のヒーローの台詞だし振り回されるより振り回す系の小悪魔ヒロインの回答だ。
その次の日の朝、隣の部屋の扉が開いていつか彼女の口から聞いた特徴の男性が艶々とした笑顔で出てきたのを目撃して固まった。
ゴミ出ししてても掃き溜めに鶴でイケメンはお得だ。
それからお昼過ぎに廊下で見かけたゆかりさんの足取りは覚束なくどことなくぐったりとした様子に見える。数歩で歩くことを断念して、イケメンに抱き上げられていた。
そのまま室内に戻されていて――こんな時どういう顔すればいいのか分からない。
下世話だけど隣の壁に耳を当てるべきだっただろうか。
私は口元に笑みを浮かべながら半年前にゆかりさんの知人が紹介してくれた職場へ行く準備をしていた。
なんとなく、ゆかりさんと女子会できる関係になってそうなモブ娘ちゃん。




