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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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452 ゆかりさん的いい妻キャンペーン

 まだふたり(と一匹)暮らしだった頃のおはなし。

 様々な案件の後処理に加え和樹をご指名の契約が立て続けに舞い込み部下の不始末の後始末が重なり、彼は相変わらず、いやそれ以上の多忙な日々を送っていた。

 とはいえ昨夜までは堆く積まれた書類の山も目処が立ち、雑然としていた机上も現在は整理整頓され元通りに近い状態になっている。


「石川さん。お疲れさまです」

 右腕とも言える部下に缶コーヒーを手渡され、礼を言い受け取った。

「その、今日はご自宅の方に? でしたらワンちゃん、ブランくんにこれを」

 独身の頃に出張その他で自宅を空けたときに彼に愛犬の世話を任せたところ、懐かれてすっかり骨抜きになってしまったらしい。

 コンビニエンスストアの袋の中に犬用の骨型ガムが見えて

「気を使わせてすまない。今日か明日にでもあげてみるよ」

 重ねて礼を告げると「いえ」と逆に頭を下げられ恐縮されてしまう。

「奥様にもよろしくお伝えください」

「ああ」


 ここ三週間ほど、妻のゆかりとは毎日のように電話で声を聞き連絡は取り合っていたものの、一度どうしてもと手作りの弁当を差し入れてもらった(その時は外せない面会があり一目見ることすらできなかった)ものの、仕事が落ち着くと生身の彼女に会いたくて触れたくて仕方がなかった。

 逸る思いで駐車場に向かい愛車の鍵を指で回しながら顎に指をかけてフムと思案する。


 最近、妻から『おやすみなさい』などの日常の出来事を綴ったメールと共に妙な質問が届いていたからだ。

『和樹さんは猫派? 犬派? ブランくんと一緒にいたから犬派かな?』

『どちらかといえば犬派だけどゆかりさんが店に顔を出す靴下猫を可愛がるようになってから猫派にもなったから、どちらでもあるよ』

 一方、妻のゆかりは返信されたメールを見て

「なるほど。従順も好きだけどツンデレも好き。和樹さんって欲張りだなあ」

 ふんふんと首肯きながらスマホに指を滑らせた。


『呼び名ですけど旦那様にします? ご主人様にします? それともダーリンにする?』

『ゆかりさんの好きな呼び名でいいよ。余程変な呼び方でなければなんでも。君の可愛い声に呼ばれるのなら』

『もう、和樹さんてば気障なんだから』

 真っ赤になったウサギがピョンピョン跳ねる画像に照れ屋の奥さんみたいだと顔を綻ばせて早くこのウサギみたいな彼女のこんな顔が見たいと愛車のロックを外して乗り込む。

 妻の考えている事は幾ら年数を重ねても読める気がしないな、と苦笑しながら愛車のエンジンを始動した。



  ◇ ◇ ◇



 きっかけは主婦向けの昼の番組の特集の一つである『夫婦のマンネリ回避術~これで貴女も新婚の頃にタイムスリップ! 夫の愛を取り戻せ~』を視聴したことにあった。


 当初はおやつの煎餅を食べ、ほうじ茶で喉を潤しながら、ふーんと視ていたゆかりだったが、その回が好評で視聴率がよかったのか『仕事が多忙な夫の為に~いい妻キャンペーンで休日にイチャイチャしよう~』は今や第五段まで特集が組まれるほどの人気である。


「普段と違う衣装でお出迎えして呼び名も変えてみる。うん、これならできるかも」


 番組内で恋愛コメンテーターの女性が

「犬派の彼なら犬耳を付けて従順な仕草でわんわん。『これ貴方のために付けたんだよ。末永く可愛がってね。旦那様』猫派の彼なら猫耳で『べ、別に貴方のために猫耳付けた訳じゃないんだからねっ! 勘違いしないでよ。ダーリン』ツンデレ気味ににゃんにゃんと鳴いて色っぽい下着で夜のお誘いをかけると効果覿面ですよ」

 と昼番組なのに過激な発言をしていたが、さすがにそんな冒険は現在のゆかりにはまだ無理だと聞かなかったことにした。


 だけど犬派か猫派かは念のために聞いておいてもいいかもしれない、と夫に質問メールを送ることにする。

 明日は帰宅できそうだと連絡が来てからは舞い上がってしまい、頬の緩みがとまらないゆかりは何の衣装にしようかなあと考えながら番組に釘付けになっていた。



  ◇ ◇ ◇



 玄関の扉を開けるとメイドがいた。


「間違えました」

 と扉をパタンと閉める。

 仮眠は取ったが徹夜続きでメイド姿の妻の幻覚が見えてしまうとは……と夫は目蓋を擦りながら途方に暮れた。


「間違ってないから! ここは石川さん、和樹さんのお家ですよ!」

 愛しい声が聞こえて扉を開けると玄関ポーチで正座をしているメイド仕様の妻がいて、ブランは興奮気味に鳴いた後、ごろんと床に転がりヘソ天するという、なんともカオスな我が家である。


「ゆかりさん、その格好はメイド?」

「はい。前に遥ちゃんのお家でパーティが開催された時に何回かお手伝いしに行って、アルバイト料とこれもオマケだからと戴いた物なの」

 フリルが左右に付いた白のエプロンと黒のワンピース、いわゆるクラシカルスタイルなメイド服はゆかりによく似合っていた。


「縫製もしっかりしていて、量販店で売ってるなんちゃってメイド服とは雲泥の差ですよね」

 その場でくるっと回り「どうですか?」と妻が期待を込めて見上げてくるのに「可愛い」以外の感想が言えるだろうか。

「可愛いよ。ゆかりさんなら何を身に付けても似合ってる」

「うふふ。和樹さんだって、ラフな洋服もオシャレでいいなと思ってたけど、今のスーツ姿が一番素敵で好き」


 玄関ポーチに上がり見つめ合った二人はもう少しで唇が重なるといった時に、足元にすり寄るブランに「?」とつぶらな瞳に不思議そうに観察されて我に返る。

 ヘラっと笑いあい「ごめん」とブランを連れて室内へと向かった。



  ◇ ◇ ◇



 晩ごはんの後はリビングで二人くっつき合い、キスをしたり指を絡めたりとただひたすらイチャイチャする夢のような時間が待っていた。


「和樹さん、なにか私にしてほしいことある? 今ならいい妻キャンペーン中で二回までは無料ポイントでOKですよ」

「無料ポイントって有料ポイントがあるの? なんか、いかがわしい店みたいだな」

 ホォーと夫の真似をしてゆかりが半眼になり指をつねってくる。

「随分といかがわしい店の内容にお詳しいようで……」

「まあ、職業柄察してよ。ゆかりさん」

「嫉妬深いダメな奥さんでごめんね」

 反省の色を浮かべた妻が仲直りにと頬にちゅっと可愛いらしい音を立ててキスをしてきた。


「いいよ。僕の方が嫉妬深いから」

 お返しにと耳朶を甘噛みするとスタンプのウサギみたいに真っ赤で食べ頃になった妻に

「今日は頑張るね。それからお願いは何にしようかな」

 と愉しげな声で宣言する。

「ひっ! あんまりえっちなお願いはNGですからね」


 メイドさんをひょいと抱き上げて、向かう先を寝室にしようか、それとも風呂場にしようか、まあリビングのソファーでもいいかと真剣に悩む夫の顔を見て妻の頬がますます紅く色づいてゆく。


 耳元に囁かれ提案された夫の言葉にいい妻キャンペーンを始めたことを少しだけ後悔しながらゆかりは

「ばか。和樹さんのえっち。明日まででいい妻キャンペーンは終了ですからね」

 首の後ろに手を回して甘く微笑んだ。

 和樹さんにとっては「特大ご褒美キターーーッ!」です(笑)


 きっと朝ごはんは和樹さんが(抱き潰したゆかりさんが寝てる間に)自分でふわとろオムライスを作って、起きてきたゆかりさんに萌え萌えきゅーんなラブ注入のおねだりするんだろうな。


 いっそのこと「和樹さんってメイド喫茶にも詳しいんですね。よく行くんですか?」ってジト目のゆかりさんに聞かれてほしい(笑)


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― 新着の感想 ―
[一言] >いいよ。僕の方が嫉妬深いから よかった、自覚はあったw
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