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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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448 普段使いにしては

 付き合いたてで、恥ずかしくて周りにべらべらしゃべったりできなくて。

 一人でもだもだしてるゆかりさんのお話。

 最近の彼女は可愛いよりも綺麗になったねと言われることが多いらしい。

 彼女が看板娘として働いている喫茶店の名前は喫茶いしかわ。

 喫茶店の名が付いた特製ブレンドコーヒーと美味い軽食に、だいたい月ごとにメニューが変わる季節のデザートが評判になっており、ランチ時ともなればすべての席が埋まってしまうくらいには繁盛していた。


 少し前までは女性客の比率が高かった客席には、代わりに背広姿の男性客が座っている。

 かつて女性客が多かった理由を常連客に聞けば誰もが口を揃えて言うことだろう。

『ここには看板息子の彼がいたからね』

 と。

 しかしどんなに女性達の熱視線を受けていた色男であろうともうこの喫茶店で見ることはない。


『さあ。喫茶いしかわを辞めてから今はどうしていることやら。シフト変更とかで連絡取り合っていた携帯も辞めたその日の内に解約されてて繋がらなくなってたんですよ。便りがないのは元気な証拠で元気にしてるといいんですけど』

 そうにこやかに話す看板娘だが、会話の後伏せられた瞳には明らかに憂いが浮かんでおり、心中を察することができた。


『いらっしゃませ! お好きな席へどうぞ』

 一度この店に訪れた後、また看板娘のあの明るい笑顔に癒やされたいと足繁く通い始める客もいると聞いている。

 情報源はご近所商店街で働く従業員たちだ。


 喫茶いしかわのマスターは『二人ともある時期からいい感じに見えたんだけどね』と残念そうに眉を下げながら語り、女性のお客さんが減ってその分の売り上げがねえ、とカウンター席に座る常連客にぼやいていた。


 気がよくお節介な気質の多いご近所商店街の従業員たちのほとんどは看板娘を心配していたし、水を向けなくとも自ら彼等の話題に触れる者も多い。


 それでもいつかは風化していく話題だろう。

 どんなに彼が有能で美形で頭の切れる男で看板娘がどれほど頼りにしていたとしても、辞めた後、彼女と音信不通になったことは事実なのだから。




「わあっ! ゆかりさんのその首のネックレスってもしかして恋人からのプレゼント?」

 弾んだ声で看板娘に話しかけているのは二人組の若い娘達だ。


「素敵じゃない。ロイヤルブルーサファイアね。この粒の大きさだと……普通のプレゼントにしては高価だし、何か記念日に頂いたとか?」

「ちょっと、遥ったら。プレゼントの値段なんて……ってゆかりさん、口元押さえて急にどうしたんですか?」

「や、やっぱり遥ちゃんがそう言うなら本物なんだよね。渡された時に普段使いしてくださいって言われて着けたんだけど……」

 ゆかりの瞳は戸惑いながら自身の首にかけた贈り物を映している。


「あら、いいじゃない。毎日それを身に着けて自分のことを思ってください、そういうことだと思うし、それだけゆかりさんにメロメロってことでしょう。いいなあ、私も彼氏にそう言われてみたーい! 聡美もそうでしょ?」

「ん。そうだけど鉄平にそんな甲斐性ないってば」


 自分のことを思ってくださいか、言葉を繰り返している看板娘の頬は赤く染まっていた。

 その顔を間近で見た娘たちは

「ゆかりさんたら可愛い!」

 一層華やいだ声を出し、周囲の客達の視線を集めている。


 それから各々の恋人についての話題に夢中になっていた彼女たちは気付いていなかった。

 奥まったテーブル席に一人で座っていた若い男が右の拳をわなわなと震わせていたことを。

「ゆかりちゃん。お代、ここに置いておくよ」

「あ、すみません。ありがとうございます!」

 彼女達にくるりと背を向け、強張った顔をした男を誰一人として注視する者はいなかった。




 遥と聡美が店を出た後の看板娘の様子はというと、注文は間違えて聞き取ってしまったり何もない所で躓きそうになったりと散々な結果になっている。

 ネックレスを見ずとも首元を意識してしまい、つい先日できた恋人の顔を思い出してしまうからだ。

 自分の想像以上に高価だと指摘されたネックレスの価値に驚いたが、それよりも気になり頭に浮かぶのは宝石と同じくらいきらびやかな彼のこと。


 喫茶いしかわでも着けていて、ってやっぱりそういうことなのだろうか。

 ゆかりは赤みの取れない頬を押さえながら、明日からは普通に働かないといけないとフォローに回ってくれたマスターのことを思い出し、しょんぼりと肩を落とした。

 それでも途中からは気持ちを立て直して最初の方より普通に接客……できてたよね?


 閉店後に茶碗を洗い終えたゆかりは、そこでエプロンのポケットの中にしまっていた携帯が震えていることに気付く。

 慌ててタオルで手を拭くと携帯を操作した。

 流れている着信音は彼専用に選曲したもので甘い恋の歌が店内に響いている。


「はい。拭き掃除はマスターが手伝ってくれたし着替えたらすぐに帰れますけど」

 電話先の恋人の声を聞いている彼女の顔はゆるゆるに緩んでいた。

 ここまで影響出まくったら色々バレるんでしょうが、この日に問い詰めても……ということで、おそらくマダムたちの手練手管がゆかりさんに。ふふふ。


 にしても、存在感薄すぎるモブさん、お気の毒。

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