443-2 これも大好物(中編)
朝食の洗い物を済ませ、洗濯をし、掃除をし、家事を一通り終わらせた。
ひと段落したので休憩をしようと思いクッションを抱きながらリビングのソファーに寝転んだ。
ブランがゆかりにすり寄ってきたので、お腹の上に乗せてみた。
どうやら座り心地のいい体勢を見つけたらしく、そこに丸まった。
そんなブランを横目に頭を撫でながら脳内を占めるのは見目麗しい夫のことだった。
(結婚してから、甘さが増した気がする)
喫茶いしかわ同僚時代から優しい人だった。
決して怒らず、いつも笑顔を絶やさない人だった。
和樹さんの目を見て話すことには何の抵抗もなかった。
それはそうだ。
当時の和樹さんは、私に好意など持ってはいなかったのだから。
しかし再会して想いを自覚してからは、彼の目をじっと見られなくなってしまった。
私を見る目が、同僚さんの時とは明らかに違う気がするからだ。
とろけるような視線。
甘い視線。
悪戯っ子のような視線。
拗ねた視線。
……夜によく見る、狼のような視線。
たくさんある視線の中でも、特にその視線が苦手だった。
何回受けても、顔に熱が集まってしまう。
……思い出しただけで、身体が沸騰しそうになる。
(……いい加減、慣れないと)
はいはい、と軽くあしらえるようになれればゆかりの心臓の負担も大いに減るのだが、結婚して三ヶ月経った今も一向に慣れる気がしない。
どの種類の視線であれ、あの目に見つめられると何よりも照れが勝ち、赤くなってしまうのだ。
(だ、だいたい、あのイケメンフェイスが悪いのよ! あんな顔に見つめられたら、勝てるわけないじゃない!)
キューティクル輝くサラサラの髪。
黒曜石のようなきらめく瞳。
うっとりする声。
スラッとした身長。
細身なのに筋肉質な身体。
どこを見てもパーフェクト!
駄目なところを探す方が難関だ。
こんな完璧超人に言い寄られて勝てる人がいるなら見てみたいものだ。
(だいたい、同僚さんの頃と今の和樹さんに差がありすぎるのよ!)
未だ彼に慣れない原因はこれだ。
同僚さんはいつもニコニコしていた。
反面、喜怒哀楽がなかったともいえる。
いつも笑顔で微笑みながら、本当に思っていることは決して外には出さなかった。
他人とのパーソナルスペースも、一定の距離を置いていた。
必要以上に他人を自分に近付けさせなかった。
要は壁を作っていたのだ。
ところがどっこい、今の和樹さんは正反対に近い。
彼は、とてつもない引っ付き魔だ。
壁も、まったくない。
まず寝る時、必ず彼は私をぎゅうぎゅうと抱き締める。
彼が私をすっぽり包む時もあれば、彼が私の胸に顔を埋め、私が彼を包む時もある。
そういう場合彼は子供が親に甘えるような声を出しながら、色々な要望を言う。
頭撫でて
手を握って
ぎゅってして
キスして
離さないで
と、普段の彼からは想像も付かないくらいにベタベタに甘えてくるのだ。
これがまた心臓に悪い。
何を言われても真っ赤になってしまう私を見て笑いながら胸に顔を埋め、
ゆかりさんのしんぞう、すごいはやい
などと舌足らずな声で言われる私の身になってほしい。
一度、あまりにも恥ずかしくて今日は別々に寝ましょう! と勢いで言ってしまったことがある。
そのセリフを言った途端、甘い顔が鬼の形相になり寝室に運ばれ朝まで全身運動させられてからは彼からのおねだりを断らないようにした。
もう、あんな満身創痍になるのはゴメンだ。
そして、彼は普段の生活でも常に私に引っ付いてくる。
私が家事をしていると、てくてく、と後ろを付いてくる。
「和樹さんは座っていてください、私がやりますから」
と言うと
「夫の僕より洗濯物ですか」
とか
「ごはんは後で一緒に作ればいいでしょう。こっち来てください」
などと抗議してくる。
まるでおもちゃを取られた子供だ。
初めてそのセリフを聞いた時は、思わず言葉を失ってしまった。
リビングで座りながらテレビを見ている時や、ブランを構っている時も彼は隙間なくピッタリと横に座る。
座っているだけならまだしも、彼の手は常にゆかりを触っている。
手を握ったり、肩や腰を抱いたり、頭や頬を撫でたり、頬擦りをしたり、唇を寄せたり。
意を決して
「ち、ちょっと近くないですか?」
と言っても
「愛しい妻と同じ空間にいるのに離れる意味が分からない」
と、何の恥ずかし気もなく言ってのけた。
ここでも私はどうしたらいいのか分からずにあたふたするばかりだ。
そして、気付いたら膝の上に乗せられ彼に翻弄され、寝室へ運ばれるのだ。
しかし、こういう行動にとまどいはするが、実際はとでも嬉しいのだ。
彼の愛を、真正面から受け止められているから。
(和樹さんって、本当に、私のことが好きなのね)
………自分で言って恥ずかしくなってきた。
自分も、もちろん彼が大好きだ。愛している。
これは自信を持って言えることだ。
しかし、甘い彼に未だに慣れないせいで彼の十分の一も愛を返せてない気がする。
私も彼に愛を返したいのに、どうしても照れが勝ってしまう。
あのねっとりするような甘い視線も、彼の熱い身体の熱も、全然慣れない。
加えて、あのとてつもない押せ押せ攻撃。
……完敗だ。
「あぁ~っ! どうすれば慣れるのかなぁ。どう思うブランくん?」
お腹の上にいるブランに問い掛けるが丸まったまま。シカトだ。クゥンとも鳴かない。ひどいペットだ。
ブランを撫でていると、だんだん瞼が重たくなってきた。
(朝、早かったもんなぁ……)
今日は元々喫茶いしかわは休みだ。
しかし、彼の朝は早い。
無理しないで寝てていいよ、と彼は言ってくれるがそうはいかない。
夫のご飯を用意し、見送るのも妻としての立派な勤めだ。
結婚当初それを伝えると、とても嬉しそうな顔をした彼に苦しいくらいに抱きしめられた。
それからアラームを五時にセットし、二人で同じ時間に起き、朝ご飯を一緒に取るようにしている。
(……今は十四時前、か)
「ちょっとくらいお昼寝してもいいよね? ブランくん」
アンッ、と返事が返ってきた。
うん、肯定してくれた。
「ちょっとだけ、おやすみなさい……」
重くなった瞼を閉じたら、すぐに眠気は襲ってきた。
少しずつ、意識が遠のいていった……。




