443-1 これも大好物(前編)
午前四時五十五分。
五時にセットしているアラームが鳴る前に目が覚めた。
窓を見るとカーテンから眩しい光が射し込んできている。
(……朝、か)
私がむくりと起き上がるとペットのブランがクゥン、と鳴きベッドに近寄り頬擦りをしてきた。
そのあまりの可愛さにやられ、ブランを胸元に抱きながらすりすりと頬を寄せた。
しばらくそれを続けているとしつこかったのかブランがするっと腕の中から抜け出してしまった。
ブランく~~んと情けない声を出しながら再びブランを抱こうと腕を伸ばした。
「僕には、頬擦りしてくれないの?」
え、と思った瞬間私の身体を温かい熱が覆った。
驚いて首だけを後ろに向けると、寝起きだというのに間近で見るには心臓に悪いくらいのとても整ったパーフェクトフェイスがあった。
「おはよ、ゆかりさん」
寝起き特有の掠れた声が左耳に響いた。
そしてそのまま流れで耳朶を甘噛みされた。
驚きのあまり身体がピシッと固まってしまい、顔に熱が集まる。
遠くで五時にセットされたアラームが鳴り響いたのが聞こえた。
そう、彼こそが私のここ最近の悩みの種だった。
ジューッと、フライパンの中で目玉焼きが音をたてる。
私の名前は石川ゆかり。
三ヶ月前に結婚したばかりの新妻というやつだ。
今は夫と自分の朝食を作っている。
(あ、朝から刺激が強かった……)
先ほどの出来事を思い返しながら一人で赤くなっているとスリッパの音が近付いてきて真後ろで止まった。
そして先ほどと同じように背中から逞しい腕に包まれた。
「美味しそうだね」
肩越しから覗き込まれた。
ち、近い。
「も、もうすぐ出来ますから座って待っててください」
うん、と返事をしがらも彼は動かない。
むしろ先程より腕に力が加わり、私の右頬に彼が自分の左頬を擦り付けてくる。
あ、朝から心臓に悪い。
必死に平静を装いながら、目玉焼きをお皿に乗せた。
彼がくすっ、と笑った。
笑った振動がダイレクトに伝わってくる。
「ど、どうしたんですか?」
「ゆかりさんの頬っぺが、どんどん暖かくなってくる」
……バレている。
私の拙い演技力が、バレている。
「結婚してもう三ヶ月経つんだよ? まだ慣れない?」
「ご、ごめんなさい……」
ううん、今日も世界一かわいい。
そう彼が呟き、顎に彼の片手が触れた。
ちゅ、と彼の唇が私の唇に触れた。
下唇を挟まれ、ペロッと舐められた。
「………ッ!?」
私が真っ赤になりながら彼を凝視すると、彼から甘い視線が返ってきた。
再びその瞳に熱が宿り、顔が近付いてきた。
ピリリリリリッ。
「………か、和樹さん、電話」
「チッ」
………舌打ちした。
結婚してから気付いたことだが、彼は意外と短気で子供っぽいところがある。
初めて彼のそういう面を見た時にとても驚いたのを覚えている。
彼は渋々腕を離し、携帯を取りに行った。
(……あ、危なかった)
暴れる心臓を抑え、深呼吸をした。
起きてから何回心臓が破裂しそうになったことか。
チラッと彼を見ると、ついさっきまでの甘い雰囲気はどこにいったのやら、険しい顔で通話をしている。
私には決して見せない鋭い目つき。
私には絶対にしない厳しい口調。
私には絶対に出さない少し怖い雰囲気。
(……か、かっこいい)
これがいわゆるギャップ萌えというやつだろうか。
比較的童顔タレ目に属する彼はわりと柔らかい印象だ。
しかし、今みたいに職場の相手には割と厳しい対応をしているのをよく見かける。
私の前では優しい顔しかしないので、こういう男らしい面が新鮮なのだ。
しばらく彼に見惚れていると、彼がチラッとこちらを見た。
途端に柔らかい顔つきになり口パクで「どうしたの」と言った。
私は何でもない、と首をふるふると横に振ると彼が笑った。
その笑顔に、また顔が熱くなる。
この人が私の夫だなんて、嘘みたいだ。
くるっと振り返り、止まっていた作業を再開させた。
うん、綺麗に目玉焼きが焼けた。
朝食を食べ終わり、彼が職場に向かう。
玄関に向かう彼の後ろをついて行った。
靴を履き、ジャケットを羽織った彼が振り向いた。
ん、と顔を私に近付け、少し屈む。
で、出た。
いってらっしゃいのチュウというやつだ。
彼は必ずこれをやりたがる。
うぅ~っ、と唸りながら真っ赤になっていると頭上からゆかりさん、と甘い声が落ちる。
(……か、勘弁して)
なかなか動けないでいると、ほら早く、遅刻しちゃうよ? と彼が言う。
チラッと上を向けば、目を閉じている彼がいた。
……相変わらず心臓に悪い顔だ。
私はよしっ! と力を入れ、顔を近付けた。
ちゅ。
「い、いってらっしゃいませ……」
「くすくす。はい、行ってきます」
私の頬に彼が自分の頬をくっつけた。
最近はこれがお気に入りらしい。ついこの前までは、額同士をくっつけるのがお気に入りだったのに。
すぐに帰るから、いい子でまっててね。
唇が触れそうで触れない、絶妙な距離で彼が囁いた。
喉がヒュッ、と鳴った。
そして彼が顔を傾け、唇に熱が落ちた。
(……な、慣れない!)
新婚三ヶ月。
未だに甘すぎる夫に慣れません。




