442 if〜好きになった人がタイプです〜
毎度おなじみフラグクラッシャーゆかりさんを口説く和樹さんシリーズ。
最後のほう、少しだけ艶っぽい話題になるので苦手なかたはご注意を。
最近の居酒屋は便利だ。
ゆかりは机の上に設置してあるタブレットを操作しながら時間を潰していた。
机には引き出しが付いていて、開けると取り皿に箸と調味料、お手拭きまで用意してある。
メニューを開くと和洋食に分かれた一品料理とコース料理、それから今月のおすすめにデザートと見ているだけでわくわくした。
居酒屋には珍しくセロリのサラダがあり、これ和樹さん頼むだろうな、と唇を綻ばせて待ち人の反応を想像する。
通信アプリの音が鳴り、携帯を開くと『お待たせしてすみません。今からそちらに向かいます』と和樹からの連絡だった。
固いなあと思う。
思えば同じ喫茶店で働いていた時も彼はゆかりに敬語で接してくれていた。
初対面の時に年下なのだからもっと砕けた言葉遣いでいいですよ、と言ったのだが『そうはいきませんよ。石川さんは自分の先輩ですから』とにこやかな笑顔で否定する後輩は柔和な見かけによらず、なかなかに頑固。
それでも粘りに粘ってマスターと間違えちゃうからと『石川さん』から『ゆかりさん』へと呼び方を変えることに成功したし、一緒に店員として過ごす時間が増えると、自然と気安い雰囲気で話すようになっていく。
後輩である彼、和樹は、たまにしかシフトに入れないことを除けばとても有能な人だった。
スポーツ万能で料理の腕前もプロ並み、物知りでトーク力も抜群。柔和な笑顔のイケメンとくれば当然女性人気も高いというもの。
彼と一緒に働いているというだけでゆかりは嫉妬されたし、時にSNSで中傷されることさえあった。
それからは女性客が聞いたら誤解するような言葉を和樹に言われたら「いけません。炎上します!」と距離を取るようになったのだがどうしたことだろう。
物理的に距離を取ると和樹がゆかりを何か言いたそうな顔をして見つめることが多くなった。
そしてそれを見た女性客が「カズキさんが熱視線送ってる!」とまた炎上。
頭が痛くなったゆかりはそれからは和樹とは程々に距離を取り、誤解されそうな言葉をかけられそうになった時は脱兎の如く逃げることにした。
そうしても和樹から「どうかしましたか? ゆかりさん」と追いかけられることになったので意味のないことになってしまったのだけど。
今思えばゆかりは同僚だった和樹のことが好きだったのだろう。
仕事中に彼が携帯で女性の写真を見ていたら背後からそっと忍び寄って「彼女さんですか?」と声をかけてそれから可愛くない態度を取ったりとか、今思えばただの同僚で彼女でもないのにムッとしたりして恥ずかしい。
喫茶いしかわを辞めたその日には私物を入れていたロッカールームはもぬけの殻になっていた。
マスターは悟った顔をして閉店後、カウンター席に座るゆかりにコーヒーを入れてくれた。
そのコーヒーはなぜかしょっぱく海の味がしたのをしみじみ思い出す。
懐かしさに浸っていると席から待ち人の姿が見えた。
ゆかりは入り口で女性店員と会話してこちらの席へと歩いて来る和樹に小さく手を振り合図する。
和樹もゆかりに笑顔で小さく手を振り返す。すると周りの女性客のグループから「うわあ、イケメン」などとどよめく声が聞こえて、今も女性人気は変わらないなあ、とゆかりは苦笑いした。
和樹とゆかりは時々こうして食事をしている。
といっても交際している訳ではなく、ただの同僚からただの友人に変わっただけで口説かれたことも口説いたこともない健全な友人関係だ。
「お待たせ。ゆかりさん」
自分に一礼してから席に座る和樹の口調は通信アプリを通す時よりも幾分か砕けている。
「いいよ。和樹さん、相変わらずお仕事忙しいんでしょう? 目の下に隈ができてますよ」
指を指すのは失礼なので財布の中からレシートとペンを取り出して、さらさらと和樹の似顔絵を書いた。
もちろん目の下の隈を書くのも忘れない。
すっと似顔絵を渡すと和樹は面白そうな顔をしてまじまじとレシートと
「ウソ、こんなにソックリなのに……ほら似ているでしょう?」
と誇らしげな顔をしているゆかりを見つめていた。
「これが僕? ゆかりさん、絵心がないなあ」
「なら返して!」
「え、嫌です。これ僕にくれるために描いたんでしょう」
名刺入れにしまわれてから鞄に入れられて描くんじゃなかったと思うがもう後の祭り。
きっと自宅とかでニヤニヤ笑いながらさっきの絵を見るんだろうな、和樹さんたら性格悪い、とゆかりは唇を尖らせた。
和樹の指がタブレットを操作してサラダの頁で止まる。セロリサラダを一皿注文するのを見て、ゆかりは声を出さずに笑う。
その顔に気付いた和樹が何か問題でも? という顔をしてタブレットの端を人差し指で叩く。
それから意味もなく二人で顔を見合わせて笑った。
「和樹さん。今日はごはん食べたらそのまま帰るよね?」
「おや、もしかしてそういう意味で僕、誘われてます?」
そんなわけないでしょ、とゆかりは取り分けられたできたて熱々、外カリ中ジュワッの揚げ豚足を食べ進めていく。
友人関係で家飲み仲間でもある和樹とゆかりは外食をした後で、飲み直そうとどちらかの自宅を二件目にすることも多かったからだ。
むろん色めいたことは何もなく、押し倒したり押し倒されたりとかラッキースケベに遭遇することもない純粋な飲み会である。
「何かあった?」
言えないなら言わなくていいよ、との意味を視線に込めてゆかりは問いかける。
「うん。上の方から見合いしろって言われてる」
ゆかりと同じように豚足を食べて緩まっていた和樹の顔が途端にうんざりとした表情へと変わっていく。
「へえ。和樹さんって童顔だけどもう三十路だもんね」
「他人事だと思って」
「だって他人事だもん」
不機嫌そうな顔になった和樹がゆかりの取り皿から豚足を一つ、自分の皿へと移した。
「あーっ! 私の豚足! 大人気ないなあ。和樹さんって」
「友人なんだからもっと親身になってくれ。あとアドバイス」
「うーん。親身にねえ、そうだ。上の人にこれこれこういう人が自分のタイプだって説明してからお見合いをセッティングしてもらうとかは?」
「却下」
顎に手をかけてにっこり笑う和樹の目の奥は笑っていなかった。
あはは、とから笑いしたゆかりは
「じゃあ早く恋人見つけたら? 和樹さんのスペックなら引く手数多でしょ」
と軽い口調で言う。
どんな女性がタイプなの? と無邪気に聞くゆかりは和樹の急降下していく機嫌に気付いていないようだった。
「タイプね。男心に鈍感で好きだと言っても友人としての好きとしか受け止めない恋愛スキルゼロの年下の女の子かな」
「へえっ。和樹さんって変わってるね」
女の子ってことはもしかしなくても若い女の子のことだろう。二十代前半でも和樹さんならいけるいける。
自分は対象外であると信じてやまないゆかりはうんうん、と頷いた。
その顔を見て絶対分かってないな、と渋面になった和樹は深い深い溜め息を吐く。
「そういう君の好きな男のタイプは?」
「私? そうだなー好きになった人がタイプです!」
「ほぉー」
「え、ちゃんと言いますから私の皿からこれ以上奪わないで!」
お皿を両手でガードしたゆかりは好きなタイプ好きなタイプかあ、と呪文のように呟いた。
「マスターやお兄ちゃんのダジャレに引かない優しい人かな。あと一緒にいて安心する人」
和樹のことを思い出しながら言うとどうしても頬が緩んでしまう。
「なるほど。もしかしてもう実際相手がいて付き合っていたり――」
さっきより目の奥が笑っていないような気がするのはどうしてだろう?
「いません。いたらこうして和樹さんと食事したり二人で飲んだりしませんよ」
本当かと探るようにじいっと見つめられ、ゆかりは頭の中で優しく笑ってお客さんと話している元同僚の姿を消した。
和樹さんは同僚だった時より子供っぽいし意地悪、とてもいい性格をしている。
まあそれが素なんだろうしそういうところも好きなんだけど。
和樹さん私のこと女として見てないしいつも妹扱いされてるもの。
「それと一緒に飲んでも口説いたりしないし家飲みで私が狸寝入りをしても毛布をかけて寝かせてくれるそんな人がタイプかな」
好きだと気付かれたらもうこんなふうに会えないかもしれない。でも和樹さんって鈍いから気付かれないかも。
それから飲み物を追加しようとしてタブレットに手を伸ばすとその手を握られた。
ん? なぜか目の前の男の人の目元は赤くなっており頬も心なしか赤いような?
「和樹さん?」
この後の予定としてドラッグストアかコンビニに行くと相変わらず手を握られたまま早口で説明されて、「はあ、どうぞ」と頷く。
手持ちが少ないからとも説明され意味が分からぬまま、また頷いた。
「この後、ゆかりさんの家に行ってもいい?」
「いいけど和樹さん。寝ないの?」
「寝たい」
寝たいならご自宅でどうぞ、と言いかけたゆかりだが何となくそれは言ってはいけない言葉のような気がして口をつぐむ。
返事の代わりにゆかりからも手を握り返した。
彼女はまだ知らない。これから行った先のドラッグストアで籠の中に入れられた小箱を見て自分が固まることを。
それから特別な夜を過ごして和樹との関係が変わることも。
ドラッグストアに行くなら追加のおつまみ買わなきゃ。
そんなふうに呑気な顔をして笑う女の手をようやく手に入れたとぎゅっと握る男の手。
二人の認識はずれたまま初めて二人きりで朝まで過ごす長い夜が始まろうとしていた。
さすがの和樹さんでも、見合いをかわすために「惚れた女を全力で口説いてる最中だ邪魔すんな!」とは言えないよねぇ(苦笑)
この和樹さんは女避け見合い避けのためにゆかりさんにキスマークつけてほしいって頼むけどなかなかつかなくて、そのうち歯型でいいからつけてくれ! とか言い出しそう。




