440 君の目で確かめて
和樹さんがゆかりさんの友人から抜け出せなかった頃の話。
今日は早上がり。予め保冷剤を入れたエコバッグを用意しており準備万端。
帰り道に商店街を通ると、ゆかりは顔見知りの店主たちに声を掛けられて話したり会釈したりして目的地へと向かう。
昔ながらの佇まいの商店街は平日の昼間でも人通りが多く活気があった。
道のあちこちに立っているのぼり旗にはサマーセールとあり、それ目当ての買い物客も多いのかもしれない。
顔馴染みの精肉店に行き、奮発して普段よりいいお肉を買った。
それでも肉の日でお値段そのままお肉増量で買えたし、結果オーライ。
五百グラムと二人分にしては多いかもしれないけれど、彼は健啖家だし問題ないだろう。
余ったら冷凍してもいいし、と牛肉コロッケを二つサービスしてくれた精肉店の店主に礼を言い、次に向かう先は八百屋。
買い物かごに入れるのはピーマンと玉葱に人参と椎茸。冷蔵庫の野菜室にはレタスもセロリもあるし、と店主に会計を頼む。ここでもオマケでキュウリを一本頂戴してホクホク顔で家路についた。
彼の到着までおよそ三十分。
夕飯の準備といってもホットプレートをテーブルに置き、野菜をカットするだけだ。
火が通りやすいようにスライスしているうちにごはんが炊けたことを知らせる音楽が鳴った。
冷蔵庫にビールとノンアル、両方用意しているけれど焼肉を食べるならやっぱり炊きたて熱々のごはんでしょう。
さらに十分ほど蒸らしてからしゃもじでほぐすとつやつやふっくらごはんのできあがり。
この前は彼の家にお邪魔して、たくさん美味しいものをご馳走になったから、今日は私が張り切っておもてなししないと。
お酒は飲まないかもしれない。けれどノンアルを飲むかもしれないとおつまみの準備もバッチリ。
和樹さんの好きなセロリのおひたしと燻製卵。塩ゆでした枝豆とカシューナッッ等の豆菓子。
彼の仕事内容はゆかりには知ることはできないし、きっとこれから知ることもないのだろう。
けれど久々に会った時の目の下の隈などで和樹が自分を顧みない仕事をしていることぐらい推測できる。
先日偶然出先で遠目から見かけた時の彼は険しい顔で周囲にいるスーツ姿の男性達に何か指示をしていたようだった。
もちろん彼のことだから自己管理もきちんとしているに違いないし、そこにゆかりが入る余地なんかないことも分かっている。
でもせめて一緒にいる時、こうして食事をしたり家に招いた時ぐらいは何もせずリラックスしてほしい。
異性の友人に対する思いにしては特別な感情が含まれているように思えるが、ゆかりはそれに気付いているのかいないのか鼻歌を歌いながらデザート用のさくらんぼを準備していた。
「こんばんは。ゆかりさん」
「こんばんは。いらっしゃいませ! 和樹さん」
仕事帰りの和樹はスーツ姿で現れたのに対してゆかりは上下猫柄のルームウェアで出迎える。
これお土産です、と居間で有名な菓子店の紙袋を彼に渡されて礼を言う。
「気を使わなくてもいいのに。でもありがとう。和樹さん」
食後にさくらんぼと一緒に出して、和樹と食べよう。包みをキッチンに置き、ホットプレートのスイッチを入れた。
切り落としのロース肉を冷蔵庫から取り出していると居間からジュウジュウ、と焼ける音。
「先に野菜、焼いておくね」
急いでキッチンから居間に向かうと、菜箸を手にした和樹がホットプレートに油を引き、野菜を焼いていた。
「もう、和樹さんたら。今日はお客さまなんですから大人しく座っててください」
「うん。でも二人でやれば早く済むし、その分ゆっくりできるから」
和樹に笑顔を向けられて、ムムムと眉を寄せるゆかりだがそれはポーズだけで口元は揺るんでいる。
焼肉用のスパイスとタレ、それからメインの肉を持ち、彼が待つ居間へと弾むような足取りでゆかりは歩いて行った。
「さあさあ、和樹さん。遠慮しないで食べて食べて」
「はい」
まだほとんど肉を口にしていないこちらを気にした和樹が箸を止めるたびにゆかりは声をかけていい感じに焼けた肉を次々と彼の皿に乗せていく。
「あとは自分で焼くからゆかりさんも座って食べて」
「はーい。和樹さん。ごはんの次はビール? それともノンアルがいい?」
「じゃあノンアルで」
「了解」
ノンアルなのはもしかしたら和樹の携帯が鳴るフラグで、今夜は早くお開きになっちゃうかもしれない。
あーあ、とちょっぴり寂しい気分で冷蔵庫に向かい、おつまみとノンアルビールを二缶、トレイに乗せて大事な男友達のいる場所へと戻っていく。
「ほら、今度はゆかりさんの番」
自分を待っていたのは彼だけではない。席に戻ると焼き野菜とまだジュウジュウ音を立てているお肉がゆかりを手招きしていた。
ドン! と豪快に盛り付けられていたのは彼らしいというか何というか。
この歳上男性はこうやってすぐ自分を甘やかしてくるのだから本当にもう。
「ビール遠慮なくいただきます」
「はい。私も飲むので遠慮なくどうぞ」
ノンアルビールを注いだグラスを合わせて乾杯。
糖質オフだし後で私もごはん食べちゃおうかな。
「和樹さんって細身だし、その身体のどこにお肉とかごはん入っていくの?」
ちょっと気を抜けば簡単に身体のあちこちにお肉がついてしまう私はまじまじと彼の身体、特にお腹付近をじいーっと見つめる。
あんなに食べたのにお腹が出ていなくてスマートなままだなんて何かズルい。
「そりゃあこう見えても鍛えてますし」
私の頭にふといつかの記憶が再生されて慌てて頭を左右に振り、打ち消していく。
彼の指が自身の白いワイシャツを下に着ているインナーごと捲り、チラッと見えたのは見事に鍛えられた筋肉。
以前、和樹さんと子供たちの引率で海に行った時に目にした彼の引き締まった身体に綺麗に六つに割れている腹筋。いわゆるシックスパック。
「後から直接、君の目で確かめてみるといい」
それってどういう意味?
意味ありげに細められて私の心の奥底を覗いてくる瞳。
捕らわれてしまった私は息をのむと、友人から男性へと変わる予感を漂わせた人と迎える夜に胸を高鳴らせていた。
この後は……フラグが強力すぎまして(苦笑)




