1-5 聞こえなくても(後編)
朝ごはんは予定通り、ごま油で炒めた香ばしい筑前煮。
しっかり換気扇を回しても簡単にぷわぁっと広がるごま油の香りは下手な目覚まし時計より効果が高いのか、いつもより早い時間なのに全員しっかり起きていて身だしなみまでバッチリだ。
全員で楽しく朝ごはんを食べたら、朱塗りの重箱を風呂敷に包んだ子供たちは意気揚々と出発した。
筑前煮がじゅうぶん冷めたことを確認してお重の最後の段に詰め、冷蔵庫に入れていたいなり寿司のお重と重ねてこれまた風呂敷で包む。
「ゆかりさん、準備はいい?」
「はい、バッチリです。さ、行きましょう!」
「うん……その前に、エプロン外したほうがいいと思うよ」
うわ、やってしまった。ほんのり染まる頬を隠しながらエプロンを外すと、和樹さんは私を簡単に引き寄せる。ダンスでもしているかのようにくるりと反転させたかと思うと、ふたりの間に小さなリップ音。
「外出前の最後の仕上げですよ」
楽しげに取り出したのは口紅。思わずクスクスと笑ってしまう。
「もう。和樹さんたら」
目を閉じて薄く唇を開き、仕上がりを待った。
◇ ◇ ◇
喫茶いしかわに到着し、準備してきたものを運び込む。機械その他の準備は和樹さんとマスターにお任せして、私はオーブンでスコーンを焼き、フライパンで小さなホットケーキを焼いていく。甘いものが得意ではない人向けの、白菜や蕪の浅漬けは昨夜の仕事終わりに冷蔵庫に入れてある。
今日の参加者が次々に集まってくる。飛鳥ちゃんと佳苗ちゃんもやって来て、ペンライトや百均で買ってきたというサイリウムを次々と取り出しては配っていく。あ、もちろんお代は参加者からきっちり集めてますよ。中学生にお小遣いから全部出しなさいなんて、さすがに言えませんし、言うつもりもありませんから。
ペンライトを配り終えた飛鳥ちゃんと佳苗ちゃんは、私が用意していた食べ物をどんどん運んで積極的にお手伝いしてくれる。
常連の皆さまは、いなり寿司などをつまみながら、久々に店に顔を出した和樹さんを質問攻めにしていて、時折聞こえてくるのろけとそれを囃すヒューッという声がちょっと恥ずかしい。カウンターごしにお茶を受けとる飛鳥ちゃんがニタリと笑いながら囁く。
「相変わらず愛されまくりですね」
「ええ、まあ。ふふふっ」
佳苗ちゃんには“ゆかりさんてスゴイですね”と書いたスマホの画面と尊敬の眼差しをなぜか向けられた。どこかにスゴイ要素があっただろうか。
カランと入り口のカウベルが鳴り、子供たちが入ってきた。
「ただいま」
「お届けものしてきたよ。喜んでた。また頼むって」
「お疲れさま。ありがとね。さ、もうすぐ始めるから、手を洗ってらっしゃい」
「はーい。飛鳥姉ちゃん、僕らが戻るまで始めないでね」
「戻ったらすぐ始めるからね」
「じゃ、始めまーす」
ノリの良すぎる参加者の皆さまは、飛鳥ちゃんの音頭に拍手喝采。今から元気よくサイリウムを振り回しているおっちゃん……酔っぱらってないわよね?
室内を薄暗くして、ブルーレイを再生する。
佳苗ちゃんがリモコンを操作する画面を見て大島のおばあちゃまが気付く。
「あら、字幕あり/なしって選べるの?」
「そうなの! 私も前に見せてもらって驚いたけど、字幕あるから歌詞とかMCで話してる内容とか全部わかるんだよ! 今はまだ、字幕ついてるライブ映像ってとっても少なくて、字幕つけてほしいってメーカーにリクエストしたり字幕つけてくれてありがとうってお礼したり、がんばって増やしてもらおうとしてるって」
さっと佳苗ちゃんがスマホ画面を飛鳥ちゃんに向けて、にこりと微笑むと、飛鳥ちゃんが代読する。
「“字幕は、聞こえない私たちが情報を得る大事な手段。小さい子供がお昼寝中のママが音を消して映像を楽しむとか、聞こえない私たち以外の人にもいろいろ役に立つから、字幕つき映像大事だし嬉しい。”」
なるほど。お昼寝の子供はぐずりやすいから、起こして泣かれると大変だもんね。
映像本編を再生すると、公演開始前のざわざわした客席が映った。すぐに始まった客席の手拍子とグループ名のコールに合わせて私たちもコールする。
すうっと会場の照明が落ちて公演が始まると、ギラギラしてるのに計算され尽くした照明やそれを活かしたダンスの見せ方、登場の演出などに圧倒される。店内は、年齢を感じさせない女性陣の黄色い声に男性のうおぉーっという野太い声が混じって盛り上がる。ペンライトを振ったり、真似できるところだけアイドルくんと同じダンスを踊ってみたり。
私も楽しくなって、カウンターのそばの席でニコニコとペンライトを振っていたら、隣に座る和樹さんが私のお腹に手を回してきた。ひそひそと聞いてみる。
「どうしました?」
「ゆかりさんが楽しそうなのは嬉しいけど、他の男を見てニコニコしてるのがちょっと……」
「もう、焼きもちやきだなぁ。私がいちばん好きなのは和樹さんだって知っているくせに。はい、和樹さんもお揃いで楽しみましょう」
ポンと私と同じデザインのペンライト(飛鳥ちゃんが気を遣って手持ちのペンライトからお揃いを選んでくれた)を手渡してから、私は映像の客席と同じ動きでペンライトを動かす。
私のお腹にがっちり回した左腕は解かれそうもないので、ほんの少し彼に身体を預けるように座ってから、私の左腕を彼の左腕に重ねる。
「和樹さんは、私と一緒に楽しんでくれないんですか?」
ちょっと拗ねてみせる。
「まさか」
私のこめかみに唇を寄せてから映像に合わせてペンライトを振り始めた彼にホッとして、たまに他の人に聞こえないように小声で会話しながらライブ映像を楽しんだ。
……上映会が終わって今の体勢で見てるのバレたら、とんでもない勢いでからかわれそうだなぁ。
そんなことをぼんやり考えつつも、佳苗ちゃんと飛鳥ちゃんと、子供たちと常連の皆さまと。みんなで笑い合っているこの風景がとても愛しい。
「おう、ゆかりちゃんお茶おかわり! ……って、すまねぇ!」
くるっとこちらを振り返ったおっちゃんは、慌てて頭を下げた。一斉にこちらに視線が集まると、イケメンアイドルに向ける以上の歓声が響いた。
頬に熱が集まった私は、慌てて彼の左腕をぺちぺち叩いて逃れようとするが、ますます力を入れられてしまった。どうしよう。
「あー……和樹くん、ほどほどにね? お茶は私が入れるから、そのまま座ってて」
「あうぅ……すみません。ありがとうございます、マスター」
街のはずれの喫茶いしかわ。
ここには今日も、笑顔が溢れている。
ひとまず“第1話・完”ということで、いかがでしたか。
少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいです。
なお第2話は、1週間から10日くらい作品への反応を見て、ジャンルやタグなどの調整をしてから更新しようと考えております。