407 真弓もできるもん
掃除機をかけ終わったゆかりのところに真弓がきて、エプロンをくいくいと引っ張った。
「うん? どうしたの真弓ちゃん」
「おかあさん、あのね。まゆみ、ちゃんとひとりでごはん作ってみたい」
「ひとりで? お母さんやお父さんのお手伝いはなしでってこと?」
「うん! だからまゆみもできるかんたんなの、おしえて」
「いいよ。じゃあ……うーん。一度に何種類も作るのは大変だから、生姜焼きとコールスローサラダでどうかな」
「うん! やってみる!」
お気に入りの桜色のエプロンを付けた真弓は胸の前で両手を握りしめながら、ふんすふんすと鼻息荒く気合を入れている。ゆかりは思わず苦笑して、真弓の両肩に手を添えた。
「そんなに力入れなくていいのよ。刃物を使ってたら、手が滑って怪我をする原因にもなるから、力を抜きましょう。はい、お手々ぶらぶらーってして」
準備体操のように手首からぶらぶらと両手をふると、真弓も真似をする。
「ぶらぶらー」
「うん、力抜けたね。じゃ、始めましょう」
「はいっ!」
「まずはキャベツを洗って、せん切りにします」
「せんぎりって、ほそーく切るやつだよね」
「そう。わたしも和樹さんも包丁使うの好きだから包丁でサクサク切っちゃうけど、まだ手が小さくて慣れてない真弓ちゃんはそれだと大変だから、これを使います。じゃん!」
ゆかりはスライサーを取り出した。
「あ、これたまねぎうすく切るやつ」
「そうだよ。今日はこれでキャベツを切ります。まず、キャベツをシュッシュッてできるように切って小さくしておこうね」
ひとまずキャベツはくし形にすることにした。
「このキャベツは大きすぎて、真弓ちゃん用の小さい包丁で切るのは難しいね。ここだけ、お母さんがやるね」
ゆかりがキャベツを八分の一サイズにカットした。
「このサイズならスライサー使えるから、これをボウルの上にセットして、シュッシュッてしてみて」
「シュッシュッ。あ、ほそく切れてる。これせん切りだよね。すごい!」
「すごいね真弓ちゃん。スライサー使うの上手! これでいっぱいせん切り作ってください。せん切りは生姜焼きに添える分とコールスローにする分があるから、たくさん必要で大変だと思うけど」
「はい! がんばります!」
「キャベツが小さくなった最後のほうは、刃物で怪我しないように気を付けて。無理にスライサーを使おうとしないで、そこだけまとめて包丁で刻んでもいいからね。じゃあ、お母さんは他の用事を済ませてくるから、せん切りお願いね」
「うん」
ゆかりはやる気に満ちた真弓の頭をひと撫でしてにこりと笑うと、キッチンから出ていった。
数分後、ぱたぱたとスリッパの音をさせてゆかりがキッチンに戻ってきた。真弓はラストスパートに入っていた。
「わあ、かなりキャベツのせん切り進んだねぇ」
「ふう。さいごのちっちゃくなったところはまだだけど、ほかはぜーんぶせん切りできたよ」
「うん。よくできました。じゃあこの小っちゃい芯の部分だけ包丁で切ろう。そうそう、猫の手で押さえて、トントントンって」
慎重に包丁を動かして、最後までキャベツを刻んだ真弓は、満足感いっぱいのドヤ顔になった。
ゆかりは楽しげに平皿を四枚出しながら真弓に説明する。
「よーし。じゃあ、生姜焼きに添えるキャベツはお皿に盛り付けてください。それ以外はコールスローにするからね」
「じゃあ、おかあさんと、すすむと、わたし。おとうさんはたっぷり」
「ふふっ。じゃあ、ラップして冷蔵庫に入れておこうか」
真弓がおぼつかない手つきでラップをかけ、ゆかりが冷蔵庫にしまう。今のうちにと豚のこま切れ肉を冷蔵庫から出しておく。冷えたままより室温に戻しておくほうが、作業しやすいから。
「じゃあ、続けて残ったキャベツでコールスローサラダを作ります。まず、お塩でしんなりさせます。えーと……この量ならひとつまみでいけるかな。真弓ちゃんの手のサイズならふたつまみがいいか。真弓ちゃん、親指と人差し指と中指でお塩をつまんで、キャベツにぱらぱらーってかけて」
「こう?」
「そうそう。もう一回同じことして。今度はお塩がキャベツ全体になじむように手でざっくり混ぜて……うん、それでいいよ。このまま十分くらい置いてしんなりさせます」
「次はきゅうりね。これもスライサーでシュッシュッした後、一回お塩パラパラして混ぜます。最初は包丁で先っちょ切ろう」
先端を包丁で切り落としてから、まるまる一本をスライサーで薄い輪切りにし、塩を振って水気を出す。
「きゅうりはキャベツよりしんなりしやすいから、すぐにしんなりするよ。じゃあ、今のうちに生姜焼きに使う玉ねぎの皮をむいておこう。今日は、小さめの新たまねぎを二個使おうかな。じゃ、お願いします」
これは何度もしたことがあるお手伝いなので、かなり慣れた手つきで玉ねぎの皮をむく真弓。そのまま包丁で上下をスパッと落とす。
「おかあさん、できたよ」
「うん。上手にできたね。じゃあ先にコールスローサラダを仕上げましょう。ほら、きゅうり見て。かなり水分が出てしんなりしてるでしょ」
「そうだね。びちゃびちゃ。このお水ぜんぶきゅうりから出たの?」
「そうよ。じゃ、これを絞ります。きゅうりのお水ぎゅって絞って、こっちのボウルに入れてね。終わったらキャベツも同じようにこっちのボウルにぎゅっと絞ってからこのボウルに移して」
「わかった」
小さな手でぎゅっと絞る。真弓の手はまだ小さくて、うんと力を入れてもそこまできつく絞ることにはならないから手加減がどうこうという話はしなくても大丈夫だろう。
「きゅうりもキャベツも、いつもはシャキシャキしてるのに、お水出たらちがうんだね」
「そうだね。シャキシャキのままでもいいんだけど、水分が多いままだとドレッシングが薄くなってしまうの。今回はこれから生姜焼きを作るし、お父さんが遅くなったら美味しいまま食べてもらえなくなるかもしれないから、塩をふって出た水分を絞ってもらったのよ」
「ふうん、そっか」
「そうなのです。ふふ。じゃ、これ。コールスローサラダの味付けになるドレッシングね。これをかけて、全体に味がつくように混ぜてください。できたら冷蔵庫にしまって冷やしておこうね。食べる直前に盛り付けてね」
「はいっ」
真弓はとぽとぽとドレッシングをかけて、サラダを取り分けるときに使う大きなスプーンとフォークで全体を返すように混ぜる。
「おかあさん、できました!」
「やったね、真弓ちゃん! じゃあこれは美味しくなるように冷蔵庫にしまっておきましょう」
パチパチと拍手したゆかりはラップがわりに、ボウルのサイズに合わせたシリコーンの蓋を密着させてからコールスローサラダを冷蔵庫にしまう。
ここでガチャリと玄関が開き、進が「ただいまー!」と元気に帰ってきた。ゆかりはキッチンから声をかける。
「おかえりー! 野球の練習で泥だらけでしょ。着替えもタオルも置いてあるから、先にお風呂入っちゃってねー」
「わかったー!」
すぐに風呂場でシャワーを使う音が聞こえ始めた。
ゆかりはくるりとキッチンに、真弓の隣に戻る。
「続けて、生姜焼きを作りましょう! 玉ねぎの続きからね。四つ割り……まず包丁で半分にして、もう一回半分になるように切ると、玉ねぎが四つになるよね。まずはそこまでやってみて」
「うん……できたよ」
「次は、この玉ねぎを中心と真ん中と外側の三つにほぐして。だいたいでいいよ。うん、そうそう。中心は一つ一つが細いから、このまま使います。真ん中は、細くなるように半分にします。外側は、中心や真ん中より太いでしょ。だから細さが同じくらいになるように、三つに切ります」
最初の一切れだけは、ゆかりがサポートする。
「これは包丁を横にするほうが切りやすいから、玉ねぎも横にして、切りたいところに包丁を合わせて……そうそう。それから、玉ねぎが動かないように、包丁の上から左手をかぶせてへりを押さえて。このまま包丁をおろして……ストン。はい切れた。真弓ちゃん、続きをお願いします」
「はい」
真弓が玉ねぎを薄切りしてる間に、調味料などを出しておく。
「あ、切り終わった? 次は、タレを作っておきましょう。酒、みりん、しょうゆが大さじ一に対して生姜のすりおろしが小さじ一くらい。今回はお肉の量が多いから、二杯ずつにしようね」
ゆかりは計量スプーンの大さじと小さじを指さして説明する。真弓は一つ大きく頷いてから、慎重に酒、みりん、しょうゆを大さじで二杯ずつ量って、小鉢に入れていく。
「生姜は、皮ごとすりおろすと風味も強くなるけど、今回はこっち。チューブのおろし生姜を使おう。生の生姜をすりおろしたものより風味が控えめになるから、ちょっぴり多めでも大丈夫だよ」
小鉢にチューブのおろし生姜を加え、全体をかき混ぜる。
「今度はお肉の下処理です。これは豚肉。豚こま切れ肉です。こま切れ肉はもう食べやすい大きさに切られてるから、そのまま使います。まずこのお肉をポリ袋に入れて。ここに小麦粉を大さじ一加えます。このスプーンで一杯分ね」
ゆかりの説明を真剣な顔で聞いた真弓がポリ袋に豚こまと小麦粉を入れる。
「袋に空気が入るようにして、入口をくるくるして閉じて、このままいろんな方向にシャカシャカしましょう」
シャカシャカシャカ。
「そろそろいいよ。袋を開けてみて。小麦粉が全体にまぶされてるでしょ」
「うん。ぜんぶのぶたにくさんがおしろいしたみたいになってる」
「ふふ。そうね。小麦粉はなくても作れるんだけど、これをしておくとタレが絡みやすくなるの。美味しくなるひと手間ってやつね」
ゆかりは指をピッと一本のばすと顔の前で小さく二、三回振ってにっこり。
「次は、玉ねぎを軽く炒めましょう。まず換気扇を回して。それから、これね。これはテフロン加工のフライパンだから、油を引かなくても焦げつかないの。ここに玉ねぎを入れて、中火で炒めます。中火は……ほら見て、コンロの火の先端がフライパンにつくくらいね。透き通ってきたらOKよ」
真弓はコンロの火の状態を確認してふんふん頷くと、持ってきた椅子に乗って、玉ねぎを炒め始めた。
ゆかりはその横で、作り置きしていただし汁と豆腐とわかめを冷蔵庫から取り出した。だし汁を火にかけ、塩蔵のわかめを水洗いして戻し食べやすいサイズに切り、だし汁へ。豆腐も二センチ角くらいに切り、だし汁に投入すると、真弓が炒めている玉ねぎの状態をチェックする。
「そろそろ大丈夫だよ。透き通った玉ねぎさんはこのお皿に移して。玉ねぎさんはいったん休憩です」
ここで風呂から上がった進がひょこりとキッチンに顔を出した。
「ねえ、きょうのばんごはん、なぁに?」
「真弓ちゃんが作る生姜焼きとコールスローサラダです。あとお味噌汁。もうすぐできあがるから、先に髪乾かしておいで」
「やった! しょうがやき、すき!」
ガッツポーズでぴょんと一回飛び跳ねた進は慌ててドライヤーを使い始めた。
「じゃあ次はお肉を焼きます。同じフライパンで大丈夫よ。お肉を入れて、できるだけ重ならないように広げて焼きます。あんまり触らなくても大丈夫。だいたい焼けていい色になってきたらひっくり返すの。豚肉は生焼けにならないように、しっかり火を通してね」
菜箸を使って肉を広げ、焼き上がるのをじっと見つめている真弓。
ゆかりは真弓の様子を見守りつつ味噌を取り出し、豆腐とわかめの入った鍋に溶きのばし始めた。
「あ、そろそろ片面焼けたね。ひっくり返して、ここで玉ねぎを戻します。うん、そう。ここからは菜箸よりもこっちのほうが上手くできると思うから、これ使おう」
ゆかりは真弓にシリコーン製の調理スプーンを渡す。
「お肉と玉ねぎが混ざるように……そうそう、その調子。ここで味つけです。さっき作ったタレを入れて絡めましょう。生姜が沈んでるから残らないように、もう一回ぐるぐるってかき回してから入れてね」
真弓は小鉢からタレをフライパンに回しかけた。
「お。説明してないのにちゃんと回しかけたね」
「だって、おかあさんがよくやってるもん。まゆみ、おかあさんが作ってるところ、ちゃんと見てるもん」
自信満々でにっこり笑う真弓を笑顔でぎゅっと抱きしめるゆかり。
「じゃあ、調理スプーンでタレがしっかり絡むように全体を混ぜて。うんうん。そうそう。いい感じ」
ゆかりは真弓を褒めながら、味噌汁の鍋の火を止め、生姜焼きを乗せる皿をフライパンの近くに用意する。少し考えるように小首を傾げてからミニトマトを取り出し、洗って水気をきり、キャベツの横に添えた。
「しっかりとろみがついたね。火を止めて、完成!」
ぱちぱちと拍手してから笑顔でハイタッチする。
「真弓ちゃん。生姜焼きの盛り付けをお願いします。あら進くん、お味噌汁のお椀出してくれたの? ありがとう」
「へへっ。ぼく、おはしだすね」
「うん、お願いします」
「できた!」
生姜焼きの盛り付けが終わったらしい。キャベツと同様、お父さんは大盛りになっている。
「おお。とっても美味しそう。食べるの楽しみ。じゃ、コールスローサラダも盛り付けようか。生姜焼きはお母さんがテーブルに持っていくね」
冷蔵庫から出したコールスローサラダは、真弓の手で一人分ずつガラスの器に盛りつけられた。少し控え目に。
「だって、サラダは明日でも食べられるし、おかわりすればいいもん」
だそうだ。
ゆかりのエプロンのポケットから、ピロンと音がする。和樹からのメッセージだった。確認すると表情がぱっと明るくなる。
「お父さん、もうすぐお家に着くみたい。一緒にあったかい生姜焼き食べられるね。じゃ、サラダは真弓ちゃんがテーブルに持っていってね。進くん、お味噌汁持っていくお手伝いをお願いします」
子供たちは元気に返事して、くるくると夕ごはんの支度をしてくれる。
「ごはんもまゆみがやる!」
「じゃあ、ぼくがはこぶ!」
「ふふっ。ふたりとも頼もしいなぁ。じゃあお願いね」
玄関の外で、慌てたような足音が聞こえる。いつもよりせわしなく玄関の鍵を開け、和樹が飛び込んできた。
「おかえりなさい」
「ただいま、ゆかりさん。晩ごはんは?」
「今からですよ。鞄とジャケットは預ります。手洗いうがいだけお願いしますね」
「わかりました」
洗面所で手洗いうがいを済ませた和樹がダイニングに行くと、食卓についた子供たちが落ち着かなさそうにそわそわしている。
「ただいま、真弓、進」
「おかえりなさい」
「おかえりなさい、おとうさん。あのね、きょうのごはん、まゆみが作ったの」
「それは食べるのが楽しみだ」
「お母さんほど美味しくできてないかもしれないけど、一生懸命作ったから」
「大丈夫。絶対美味しいから」
和樹は席に着きながら、しゅるりとネクタイを外し胸ポケットに入れ、首元のボタンを外す。そんな会話をしている間にゆかりが戻ってきてすとりと座る。
「じゃ、全員揃ったし、食べましょうか」
「そうだね。いただきます」
「いただきます」
皆で手を合わせると、競うように箸をとる。
「おいしい!」
「ぜんぶおいしいね」
「真弓も料理上手なんだな。お母さんに似たからかな」
「あら、わたしよりお父さんに似たらもっと料理上手ですよ」
そのまま、今日あったこと、聞いてほしいこと、いろんなことをしゃべる。
「あ、あのね、おかあさん。あとでもう一回作りかたおしえて。ノートにかいておくから」
「もちろんいいよ。食べ終わったらおさらいしようね」
「うん。こんどはおかあさんいなくても、ひとりでできるくらいがんばるから」
くすくすと笑い合いながら楽しそうな母娘を、幸せを噛みしめながら眺める和樹。
進はちょっぴり唇を尖らせて不満そうだ。
「ぼくもできるもん……」
「そうだな。じゃあ進は、今度の休みに僕が教えるから、一緒にお昼ごはんでも作ろうか」
「いいの?」
「もちろん」
「やりたい! おかあさん、ぼくつくってもいい?」
「ええ。楽しみにしてるわね」
週末の男飯講座開催が確定した瞬間だった。
真弓ちゃんが生姜焼きとコールスローサラダを作っただけのお話でした。
あれ? 文字数使ったわりに、中身がない、だと……?(苦笑)
生姜焼きは、私が知ってる中でいちばんシンプルなレシピを載せました。
シンプルで失敗しないレシピだと思うのですが、いかがでしょう?
<生姜焼き・材料>
・豚肉 200~300g
・玉ねぎ 半個~1個
・小麦粉 大さじ1
・酒 大さじ1
・みりん 大さじ1
・しょうゆ 大さじ1
・生姜 小さじ1(好みで増減してOK)
甘じょっぱさを出すために砂糖を入れるレシピが多いのですが、私は入れなくてもみりんの甘さでじゅうぶんかなと。甘くしたいときは、ハチミツ入れて焼き目をつける方向にシフトすることが多いですね。
豚肉も、今回はこま切れ肉使いましたが、別にごま油で肩ロースを炒めてもいいですし、筋切りの手間さえ惜しまなければ厚みのある一枚肉をじっくり焼いてもいいです。
今回はこども向けということで最も手間と失敗の少ないであろうこま切れにしました。
私が普段作るときは、全部分量一緒だから計量スプーンじゃなくてそのへんのスプーン使うし、生姜はその時の気分で入れるどころかお寿司のパックについてる甘酢漬けやテイクアウト牛丼の紅生姜使うこともあるし。
最近お高い玉ねぎじゃなくて白ネギや青ネギ入れるときもあるし。下手したらニラとか入るし。
お肉をひき肉にしてそぼろにして卵でとじちゃうこともあるし……って、これはもはや別の料理名つくやつだった。
とにかく大失敗さえなければ食べられる、くらいのつもりなので、かなりフリーダムです。




