401-1 娘が愛する人、娘を愛する人(前編)
ゆかりさんのお兄さん、リョウさんが結婚のご挨拶に行ったときのお話。
「もう、お父さんったらソワソワしすぎ」
リビングで意味もなく歩いてみたり、かと思ったら座ってみたりする僕に妻は可笑しそうに言う。
そんな妻は毎週見ているテレビ番組を見ていていつもと変わらない様子だ。
「母さんは緊張しないのか?」
「緊張? しないわよぉ。むしろ楽しみだわ、娘の恋人をおもてなしできるなんて♪」
ふふっと笑いながら妻は立ち上がる。
中身が空になったコップを鼻唄をうたいながらキッチンに持っていく妻を見て、僕は小さくため息をついた。
今日は娘の彩月が恋人を連れてくる。
以前から娘に恋人がいることは聞いていた。付き合ってもうすぐ一年になるらしい。その恋人自身も付き合い初めてすぐに僕と妻に挨拶をしたいと言ってたみたいだが、彼の仕事が忙しかったりタイミングが合わなかったりで結局今日まで一度も会わずにいた。ちなみに、弟の慶介は何度か会ったことがあるみたいだ。
しかし、その間にも二人は同棲するようになったりと順調に関係を築いていると娘から聞いている。
そして今日、僕が仕事が休みで運良く休みをとれた彼と一緒に娘が日曜日の昼下がりに実家に帰ってくる。結婚の挨拶をしに来るみたいだ。反対する気などこれっぽっちもないが、やはり娘が恋人を連れてきて結婚の話をされるのは父親としては淋しいものだ。
妻の父親も僕が挨拶に行った日はこんな気持ちだったのだろうと、今なら痛いほどにそれがよくわかる。
ガチャ。バタン。
玄関の鍵が開けられドアが開きそして閉まる音が聞こえる。
「ただいまぁ」
「あら、来たわね」
パタパタとスリッパを音たてながら妻が玄関へと向かっていく。
ついに来たか。緊張で思わず固唾を飲む。
「おかえりぃ。あら、あなたがリョウさんね! いらっしゃい」
「こんにちは、初めてまして」
「あらあらまぁまぁ、こんなイケメンゲットするなんて彩月もやるわね!」
「ちょっとお母さん!」
「ふふふ。あら? お父さーん、彩月たち来たわよ」
ああ、呼ばれてしまった。ついに娘の彼氏とご対面の時がきた。
ふぅと一息つき立ち上がり、そっとリビングの入り口から顔を出し玄関の方を見てみる。
「あ、お父さん! ただいま」
僕に気付いた娘が愛らしい笑顔を向けるのでほっこりしたのも束の間、娘の隣に立つ彼もこちらに視線を伸ばし目が合う。
想像していた人物像と全く違い、僕は驚きで目を大きく見開いた。
僕が想像していたのは、どこにでもいるような平凡な男だった。しかし視線の先にいるのは、普通のネイビーのスーツを纏ってはいるものの、その……随分と垢ぬけきった男だった。
チャラいとまでは思わないが、もはや平凡なんて言葉は似合わない気がする。
まさか彩月がこういうタイプのイケメンを我が家に連れてくる日が来ようとは。
「ほら、お父さん。そんな所で見てないでこっちにいらっしゃいな」
「あ、ああ」
妻に促され僕は玄関へと向かった。
妻の隣に並び娘と娘の恋人と向き合う。近くで見ると、彫りは深いのに穏やかという印象が最初にくる顔立ちだった。ふむ、悪くない。
「お父さん、お母さん。改めて、こちらがお付き合いしてるリョウさん」
頬を赤く染め照れながら娘は隣に立つ彼を紹介する。
「はじめまして、彩月さんとお付き合いさせていただいております石川リョウと申します。本日はお時間を頂戴し、ありがとうございます。大切な娘さんとお付き合いしているにも関わらず、挨拶に来るのが遅くなってしまい大変申し訳ありません」
真っ直ぐな瞳を僕らに向けそう言うと、彼は深々と頭を下げる。その姿を見た娘も
「紹介するのが遅くなってごめんなさい」
と彼同様に頭を下げた。
「もう、謝ることなんてないわよ! 二人とも頭をあげて靴脱いであがりなさい」
スリッパを並べながら軽やかな口調で妻は言う。
二人は頭をあげ、「ありがとうございます。おじゃまします」と言って彼は靴を脱ぎ玄関にあがる。そして、僕らに背を向けないように斜めに向き膝をつき下座の方へと自身の脱いだ靴を揃えた。
よくできる青年だと思いながら、僕も妻もスマートに行われたその行為を見ていた。
「こちら彩月さんからご両親がお好きだと聞いたので」
「あらぁ、わざわざいいのに。でもありがとう。ここのどら焼き私たち大好きなのよ」
リビングに入り席に座る前に彼から手土産を渡された妻はルンルンとしながら、お茶の準備を始めた。
対面キッチン前のダイニングテーブルを挟み僕と妻、そして娘と恋人で向き合い座る。
「で、プロポーズはなんて言われたの?」
「……っ! ゲホゲホ」
まるで世間話をするかのように、用意したお茶をだし席に着くと妻がウキウキと娘に聞く。
僕はお茶が変なところに入ってむせるし、娘は目を丸くして顔を赤くしてるし、彼は目をぱちぱちと瞬かせてる。
おいおいおい、いきなりそんなこと言うから二人とも驚いてるじゃないか。
ちらっと妻の方を見れば、ニコニコと何か変なこと言ったかしらみたいな顔をしている。
「あの」
口を開いた彼の声に、妻の方から視線を移すと同時に僕は自然と背筋が伸びた。
「先程も申しましたが、大切な娘さんとお付き合いしているのにも関わらず挨拶に来るのが遅くなってしまって申し訳ありませんでした。初めてお会いするのに失礼だとは重々承知しておりますが、彩月さんとの結婚のお許しをいただきたくて本日伺わせていただきました」
背筋を綺麗に伸ばし、真っ直ぐな瞳で僕たちにそう言った彼は椅子から立ち上がる。
「未熟者ですが、精一杯彩月さんを大切にし幸せにします。彩月さんと結婚させていただけないでしょうか」
「いいわよー。ね、お父さん?」
即答で妻が軽快にそう言うと彼も娘もぽかんとしていた。
きっと反対されると少なからずそう思ったのかもしれない。
「僕も反対するつもりはないよ。座りなさい、リョウくん」
僕の言葉に彩月と彼は顔を見合わせて安堵の表情を見せ笑い合う。そして、彼は「ありがとうございます」と綺麗なお辞儀をして席に着いた。
「で、プロポーズはなんて言われたの?」
「やだぁ、そんなの内緒に決まってるじゃない」
「あら、いいじゃないの。ねえリョウくん?」
初めて会ったのにも関わらず、早速名前で呼ぶとはさすが妻だ。
けれど、なんだか娘が落ち込んでいるように見えるぞ。
「私が名前で呼ぶのに時間かかったのに、お母さんは簡単に呼べちゃうなんて……」
「あはは。彩月さんは照れて中々呼んでくれなかったよね」
「正直今でも呼ぶのは緊張します」
「おや、そうなのかい? そんなふうには見えなかったよ」
「顔に出さないようにしてるんですーだ」
二人のやりとりを見て妻はクスクス笑っていた。
「そうだ! 今日は夕飯食べていきなさいよ! お寿司でもとりましょう」
「お寿司! せっかくだし食べていきましょうよ、リョウさん」
「えっと……」
彼がチラッと僕を見る。
そうだよな、妻だけじゃなく父親である僕からも声をかけなきゃきっと首を縦には振りづらいだろうな。
「せっかくの機会だ。食べていきなさい」
僕がそう言うと彼は嬉しそうな笑顔を見せる。娘もまた嬉しそうに微笑んでいる。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「ふふ。よかったねリョウさん」
「はい」
「ご飯までまだまだ時間あるし外でも散歩に行ったら? この辺案内してあげなさいよ彩月」
「どうします? 行きますか?」
「うん。彩月さんが育ったところをもっと知りたいな」
「えへへ。じゃあ、案内してあげましょう」
「ふふ。楽しみだなぁ」
二人が楽しそうに会話するのを見て僕は席から立ち上がり、リビングから出ていった。




