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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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394-2 if~例えばこんなプロポーズ・ドツボのきっかけは勘違い~(後編)

 和樹が消えてから一年がたった。学生生活をエンジョイしている聡美と鉄平。そんな恋人同士(ふたり)を見ながらゆかりは少しだけ羨ましさを感じていた。

 いつまでも報われない思いを抱き続けても仕方がない。


 実はこの後ゆかりは誘われた合コンへ行く予定だった。和樹みたいな規格外イケメンじゃない、自分の身の丈に合った普通の人との新しい出会いだって必要じゃないか。そう思いながらゆかりは鼻歌を歌いながら閉店の準備を進めていく中、カランッとドアベルが鳴った。


「あ、ごめんなさい。もう閉店……って、え?」

 ゆかりは呆けて店内に入ってきた男を見やった。そこには一年前までこの店にいた男がいたからだ。けれど、彼は常の空気とは違いピリリとした表情でゆかりを見る。

「和樹さん?」

 思わず、名前に疑問符が付くほどに。


 グレーのスーツを着た男は無言でゆかりの傍までやってきた。ふてくされた顔を隠しもせず。

「帰りますよ。準備が終わったら送っていきます」

 ぶっきらぼうに、無表情に、或いは不機嫌に。とにかくそんな空気のまま和樹はゆかりに進言してきた。いや、なんで? という言葉を飲み込みながら「は、はぁ」と頷くことしかできない。


 なんだか嫌な予感がすると思いゆかりは和樹へと声を掛ける。

「あの、和樹さん」

「……なんですか?」

 随分と不機嫌ですけど、どうしたんですか? なんて気軽に聞ける空気じゃない。ゆかりは眉根を寄せて話題を選ぶ。


「急に、どうしたんですか? 一年ぶりですよね」

「ええ、一年ぶりですよ。というか一年しか経ってないんですが?」

「は、はい?」

 一年『しか』経っていない。しかしゆかりからしてみれば、一年『も』経っているのだ。何をそんなに苛立っているのだろうか。店内の掃除を終えて、ゆかりはある決意をする。


「掃除終わったので着替えてきますね」

「……」

 和樹のぶすくれた顔は相変わらず。ゆかりはどうしたもんかと思いながらバックヤードへと行った。

(に、逃げようっ!!)


 荷物も持たずゆかりはバックヤードの窓を開けてそこから器用に這い出る。おそらく十分も誤魔化せないだろう。一年ぶりに会ってなぜああも不機嫌のままなのか。普通に考えればただ疑問を問えばいいのだが、なんだか嫌な予感しかしないものだから、ゆかりには逃げる以外の選択肢がまったく見えない。

(あ、合コン……)

 いや、それどころじゃない。スマホもロッカーに置きっぱなしにしているため連絡も取れない。申し訳ないと思いながらもゆかりは急ぎ足で逃げていく。


 さてここはどこへ逃げればいいのだろうかと頭の中で張り巡らす。いっそ実家へ逃げるのもある意味手だろうがそこは最後の手段に取っておきたい。

 何をそこまで怒っているのか判らないが一日もすれば機嫌も直ろう。



 ◇ ◇ ◇



 石川ゆかりが合コンをするという情報を得た。

 和樹はゆかりが合コンをするという事実に驚愕を隠せない。

 たった一年しか経っていなのに、こうも容易く浮気をされるとは思わなかった。いや、女からしてみれば一年も連絡が付かないことの方が薄情なのだろうかと考えて。しかしその事実にいら立ちを隠せない。


 明日は一年ぶりの休みだったけれど、明日を待つわけにはいかない。急ピッチで仕事を終えて、無理矢理に時間を作り一年ぶりに訪れた喫茶いしかわは何も変わってはいなかった。

 ゆかりの様子も問題はない。まぁ合コンへ浮気をしに行くぐらいなのだから変わりはないのだろうが。あまりにも自分が不機嫌すぎたという自覚はある。

 ゆかりから話しかけられることはほぼなく、掃除を終えた彼女が着替えにバックヤードに籠るまで剣呑な空気が流れていた。


(とにかく、ゆかりさんと話をして……)

 話をして、どうする? いや、腹は決まっているのだからプロポーズをすればいいだけだ。逃がすつもりもないし断らせる気もない。

 残務処理云々はあるけれど、どの道自分との将来を選んでもらう気しかないのだ。

(まぁ……とりあえずゆかりさんとは話をしてそこから――)


 ふと、和樹は喫茶いしかわに掛かっている時計を見た。着替えをするだけで随分と長くないだろうか。

 あれから十分は経過している。なんとなく、嫌な予感を覚えてノックもせずにバックヤードへと行けばそこは――もぬけの殻だった。



 ◇ ◇ ◇



 はぁ、とため息を吐いて。ゆかりは後ろを振り返った。今さらだけど鞄を置いてきたことは失敗だったなと思いながら公園のブランコに座る。家に帰ろうにも鍵がロッカーの中だから取りに戻らないといけない。しばらく時間を置いてから喫茶いしかわに戻りそれから帰宅をしよう。それまではどこかで時間を潰さなければ。


 とはいえ、考えなければいけないことはある。

 なぜ一年ぶりに来た和樹はあんなにも機嫌が悪かったのだろうか。あんなふうに機嫌を悪くさせている彼を見るのが初めてで、思わず逃げてしまったというのが本音だ。


 ブランコを揺らせば、ギィっと少しだけ錆びついた音が鳴る。コンビニにもいけない、もちろんファミレスに入って時間つぶしなんてできやしない。

 はぁっと再びため息を吐いたその時、揺らしていたブランコがぴたりと止まる。


「どこにいるのかと思えば……」

「か、ずき……さん」

 いつの間にか背後に立たれ、和樹はゆかりの退路を断つようにブランコの鎖を握る手を包み込んでくる。安堵した表情と不機嫌な表情がないまぜになりゆかりを見下ろした。


「なんで逃げたの」

「和樹さんが怖い顔をしてるから……」

「……僕が不機嫌だったことは謝ります。でもまさかこんなふうに逃げるとは……まったく……」

 チカチカと街灯の電気が点灯している。


「頭……冷えましたか?」

「ついでに肝も冷えました。スマホぐらいは持ち歩いてください。いざという時連絡が取れない」

「じゃあどうしてここに」

「単純な推理です。鞄の中には鍵も財布もあった」

「見たんですか!?」

「あなたが逃げるからでしょう!」

「う……」


「申し訳ないとは思いましたが鞄の中を漁った結果、あなたが何も持たずに逃げたことは明白でした。ならゆかりさんはどういう行動をとるかを単純に推理したまでです。鞄をロッカーに入れっぱなしにしていたということはどこかのタイミングで喫茶いしかわに取りに戻るつもりだった。であれば時間つぶしをしなければいけない。じゃあどこで? となった時にゆかりさんの性格上時間つぶしのためだけにコンビニに入ることはないと思い除外しました。となると」

 公園しかない、という結論に至ったらしい。たしかにその通りの行動はとっているのだけれど、こうもあけすけに見破られると何も言えなくなってくる。


 和樹は空いているもう一つのブランコに座る。

 この状況で逃げたところで意味はないだろうと思いゆかりも何も言わず座ったままだ。

「僕が不機嫌になった理由、判らないんですか?」

「え?」

 なんだそれ。まるで自分のせいだと言われているようで思わず小首を傾げる。


「わ、判るわけないじゃない。っていうかそれ、私のせいなんですか?」

「あなたが合コンに行くという話を小耳にはさみまして」

「……は? え?」

 小耳にはさんだ? どこで? いや、そんなことはどうでもいい。なんだかんだこの街に知り合いは多いのだから、そういう情報が入ることもあるのかもしれない。しかしだ、そうじゃなくて。


「どうして私が合コンに行くと和樹さんが不機嫌になるんですか」

「どうしてって……本気で言ってますか? 自分の彼女が合コンに行くと聞いて笑顔で送り出す男がいたらおかしいでしょ!?」

 たしかに。ああ、なるほど。そういうことかと納得しかけてはたとなる。彼女? 誰が、だれの?


「……あの。彼女って、誰のことです?」

「は?」

 一旦温まりかけていた和樹の機嫌が一気に氷点下まで下がった気がした。

「僕の彼女があなた以外に誰がいると言うんですか?」

「ごっこ遊びじゃなかったんですか?」


 同時に発した言葉に、和樹の機嫌は更に落ちて限界値まで下がっていく。

「ごっこ……遊び?」

 表情が見えない。いや、判らない。ぞわぞわと背筋が震える。和樹がブランコから立ち上がった瞬間、ギィっとブランコは音を鳴らした。ゆかりの目の前に立ち、信じられないものを見るような目で見下ろしてくる。


「ごっこ、遊び……つまり、ゆかりさんは僕の男心を弄んでいたと?」

「なんでそうなるんですか! 違います!」

「だって僕は言ったでしょう!? 付き合ってくださいって!」

「……え?」

 言われた、たしかに言われた。それは覚えている。だがしかしそうじゃない。そうではなくて……あれは――


「ほんき、だったの?」

「逆に、なんで本気じゃないと思ったんですか? そもそも本気じゃないと思ってたなら、最後会った日に僕に抱かれたのはどういう意味ですか? まさか誰でも良かったんですか!? じゃあ僕でもいいじゃないですか!」

「お、大声でとんでもないこと言わないで! っていうか支離滅裂になってるし……誰でもいいわけないでしょ!? か、かずきさんだったから……最後だと思ったから……だいたい、信じられるわけないじゃない……あなたみたいな人が私みたいな普通の女に告白してくるだなんて……いつもの……冗談だと思うに決まってるじゃない……」

 だからゆかりも諦めて悪乗りに付き合ったのに。まさかこんなことになっているだなんて。


 和樹はブランコの鎖ごとゆかりを抱きしめる。

「なら――僕はあなたのことが好きです。冗談でも嘘でもなく……信じてください」

「……和樹さん」

 ゆかりは顔を上げて和樹を見た。疲れ切った顔は自分が知っている和樹とは百八十度違う。


 だからこそ、ゆかりは首を横に振った。

「駄目ですよ。疲れてる時にそんなこと言ったら」

「は?」

 人間疲れていると判断を誤るのはよくあることだ。

「ちゃんと寝て、疲れを取ったらそんな世迷言なんて思わなくなりますから、ね?」

 疲れているからこんなことを言いだしたのだ。


 まるで子供に言い聞かせるような言い方をして、ゆかりは一人納得していく。いや、ゆかり自身もその言葉で自分に言い聞かせているのだ。これ以上振り回されて堪るものか、これ以上叶わない恋に身を投じるのは辛すぎると。


 しかしそんなことを言われた和樹は呆けたままゆかりの言葉をかみ砕く。

「いや、今のところ……そのセリフが出る状況でした?」

「出る状況ですよ。和樹さん疲れてるんでしょう?」

 空を見上げて和樹は大きくため息を吐くが、さすがにこれは誰も責められないはずだ。フラグクラッシャーだということは判っていたはずなのに。


「本気で言っても冗談に取られる、改めて言ったら世迷言扱いされる……ねぇ、ゆかりさん」

「はい」

「あなたどうしたら僕の言うことを信じるんですか? 閉じ込めればいいですか?」

「ふぇっ!? 物騒なこと言わないで! ちゃんと寝て起きたらきっと昨日のことは疲れてたんだなぁっておもえるは――ふぐっ!?」


 頭を押さえられ、ほぼ無理矢理と言っていいほどの口づけをされる。舌を思い切りねじりこんできたかと思えば舌を吸われて甘噛みをされる。自由になる手をバタバタとさせてみるものの一切意味がなく。馬鹿力で押さえられて抵抗は抵抗にならない。

「ふっ――ぁ」

「ん――逃げるな」

 腰を引き寄せられありえないぐらいに密着させられる。


 ようやく口づけから解放されたかと思えば、肝が冷えるほど壮絶で綺麗な笑みを見せた。

「あなたが信じないなら僕はあなたが信じるまで言い続けますし遠慮なく手も出していこうと思いますが良いですよね? 嫌とは言わせませんよ。しょうがないですよね? 誠実に行ったら僕の行動は世迷言扱いされる始末ですから。あなたが首を振る限り僕はあなたに好きだと言い続けます。ああ、安心してください。あなたが首を縦に振ったら愛してると言い続けてあげますから」

 頬をひきつかせながら、ゆかりは気が付く。あ、この人ぶちぎれてる……と。

 けれどもう既に時遅く。


「いやぁ、楽しみですね。あなたが僕との赤ちゃんをお腹に宿すのが先か、僕と結婚するのが先か」

「け、結婚っ!? ちょ、いつの間にそんな話に!?」

「そういう話にさせたのはあなたですからね。大丈夫ですよ。順番がちょっと違うだけで工程も結果も変わりませんから。実は明日、一年ぶりのまともな休みなんです。指輪買いに行きましょうね」

「ひ、ひぇっ」

 にっこりと、それでいてまったく笑っていない目で自分を見てくる和樹に対し、ゆかりは諦めて白旗を振る未来しか想像できなかった。


 勘違いから始まるお付き合いを書いてみたらこんな感じになったので、これを本編にするのはちょっと……ということでボツにしたのでした。

 普通の恋愛小説とかドラマだったらこっちを採用するんだろうなと思いつつ、そんな引っ掻き回し方はしたくなかったのです。


 このルート採用したら、和樹さんは暗い方向でしか悩まない強引グマイウェイな人になりそうなんですもの。

 いかにゆかりさんを笑顔にするかじゃなくて、どうやって閉じ込めておこうって考えそうで。

 ヤンデレが過ぎるよ、和樹さん(苦笑)


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