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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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394-1 if~例えばこんなプロポーズ・ドツボのきっかけは勘違い~(前編)

 ゆかりさんが少し恋愛脳で和樹さんの思考回路がちょっぴり物騒方面に向いていた場合。

 途中でゆかりさん視点と和樹さん視点が入れ替わります。


「好きです。付き合ってください」

 そんな、言葉がフロアから聞こえてきた。見れば喫茶いしかわきっての看板店員・和樹が女子高生から告白をされていた。ゆかりは惚けてその様子を見る。いくら客数が少ないとはいえ他にもお客さんの目はあるだろうに。


 そこに至り、あざとさに気が付いた。とどのつまり。

(ああ、そういう……)

 ずるい女のやり方だ。女子高生とは言えども女は女か。この空気はやや断りづらいところもある。振られれば、あの女子高生はおそらく泣き始めるだろう。

 だが。


「ごめんね。気持ちはすごく嬉しいけど僕は今仕事が手一杯で」

「お仕事の邪魔なんてしません。支えます」

 支える、と言い切るのか。すごいな、最近のJKは。ぼんやりとゆかりはその光景をただ眺める。

「ごめん。たとえ誰が告白してきても僕の中の信念は変えられないんだ」

 和樹はひどく充実した顔で残酷な言葉を放つ。


 この瞬間、和樹が勝った。だって女子高生の目の前に突き付けられたのは壁だ。そして、男としての矜持も突きつけられた。これ以上の悪あがきは無駄だと悟ったのだろう、女子高生は涙を流しながら、応援しますといってその場を去った。


(ずるい人……)

 ――たとえ誰が告白しても。

 その言葉はゆかりを蝕むには十分だった。我ながら難儀な人に片思いをしているものだと自覚する。すると先ほどの告白劇なんて無かったかのように和樹が戻ってきた。


「すみません。ゆかりさんに任せきりで」

「いいえ、構いませんよ。それにしてもやっぱりモテモテですね」

「物珍しいだけですよ」

「またまたー、でもいちいち断るのも大変なんだから特定の彼女でも作ったらどうですか?」

 是非ともそうしてくれ、と願いを込めて。だってじゃないとゆかりはいつまでもこの完璧超人に想いを寄せることになる。わりと、自分勝手で傍迷惑で余計なお世話な進言だ。


「……特定の彼女、ですか」

「ええ、特定の」

 でも、多分彼はこう答えるだろう。「今は仕事が忙しいので無理ですね」と。

 けれど。


「なら、ゆかりさんがなってくれますか?」

「……」

 思わず、持っていたコーヒーカップを落としかける。惚けてゆかりは和樹を見た。ニコニコと性質の悪い笑みで笑っている。誠実さはゼロだった。

(からかわれてる……)

 間違いなく、絶対に。けれど、このままからかわれっぱなしなのも癪だ。だから敢えてゆかりは乗ってみる。


「いいですよ」

「……本気ですか?」

「ふふ、さてどうでしょう」

「案外小悪魔だなぁ。じゃあ――僕と付き合ってもらえますか? ゆかりさん」

 あれ? まだこの寸劇を続けるんだ。そんなふうに思いながらゆかりは笑ってみせた。


「しょうがない人ですねぇ、和樹さんみたいな人に付き合えるのなんて私ぐらいですよ?」

「はは。それは光栄です。じゃあゆかりさん、今日は飲みにでも行きませんか? さすがにいきなり手は出しませんから」

 くつくつと男は笑う。なるほど、すべてはこれに繋がるわけか。やっぱり色男の誘い方は常軌を逸している……ような気がする。

 これがもし和樹じゃなければイラっとすること請け合いだ。


 だからゆかりは何を考えるわけでもなく和樹に付き合って夜の街へと出かけていった。そう、飲みに行ったからと何があるわけじゃない。本気にするほど馬鹿でも純粋でもない。

 判ってる。そういう冗談の一種でしょう? 本当に性質の悪い男だ。女心をもてあそぶ。

 でも、気軽にそういう冗談が言えるからこその距離感だ。


 たぶん、仲が良いといっても過言じゃない。ただし想いがまったく別物だけれど。ゆかりはあくまで異性に対する感情で、和樹は……まぁ良いところで友人だろうか。けれど、ゆかりはこの時間が好きだった。和樹が友達ごっこをして、ゆかりは自分を騙して仲のいいふりをする。

 滑稽で、哀れで、それでいて心地よい。


 そんなある日のこと。とうとう別れの日は訪れた。

 和樹と恒例の飲み会の帰り道。喫茶いしかわをやめることを告げられる。

「……そう、ですか」

「あっさりしてますね」

「そんなことないですよ、だって……」

 寂しい。悲しい。ごっこ遊びは滑稽だけれど心地よいから。

 一体いつから錯覚していたんだろう。この人が自分のそばにずっといるってことを。

(そんなわけ、ないのにね)

 バカみたいな自分の感傷に傷つけられる。するりと和樹の手がゆかりの頬に触れてきた。


「待っていて、くれませんか?」

 ひどい人だと思った。目の前の彼は、ひどく察しのいい男だからきっと自分の想いに気づいているのかもしれない。ならば、いつかの女子高生のようにこっぴどく振ってくれればいいものを。残酷な人、本当にひどい男だ。

 でも、悔しいぐらいに自分は彼のことが大好きで、ゆかりは涙を浮かべてしまう。


「ゆかりさん……」

 手酷く振ればいいものを。なのに、和樹はその日ゆかりに手を伸ばして――抱いた。

 翌日、自分の部屋で目覚めて全部夢だと思ってしまうぐらいにはなんの痕跡もなかった。

 いや、唯一ゆかりの身体に執拗に残されたキスマークが証拠にはなるだろうが……それだけだ。自身の体を抱きしめて、ゆかりは泣きじゃくる。こんな終わりかったってないじゃないか。

 振られるだけならまだしも、抱かれて、爪痕を残されて――

「馬鹿……余計に忘れられなくなるじゃない」



 ◇ ◇ ◇



「好きです。付き合ってください」

 そんな言葉を告げられた。女子高生に。いや、勘弁してくれと和樹は思う。真剣な瞳でこちらを見てくる彼女は果たして傍から見ればどう映るのだろうか。思わずちらりとゆかりの顔を見るが――呆けている。まぁ当然だろう。


 さて、どういえば傷つけずに(土台無理な話だろうが)話を終えることができるのか。有体に好きな人がいますと言えば良いか。いやいや、そんなことをすればゆかりに飛び火しそうだ。

 間違ってはいないけれど、それは本懐ではない。

「ごめんね。気持ちはすごく嬉しいけど僕は今仕事が手一杯で」

「お仕事の邪魔なんてしません。支えます」

 ああ――なるほど。そういう。


 和樹はため息を吐くのを我慢してにっこりとした笑顔を作った。大人げなく言えば、では仕事中に呼びとめお子ちゃまの自己満足な告白劇に付き合わせることは仕事の邪魔とは言わないのだろうか。

 ああ、なるほど。そういう。

「ごめん。たとえ誰が告白してきても僕の中の信念は変えられないんだ」

(まぁ、ただ一人、例外はいるけど)


 少しばかり、酷いことを言った自覚はあるけれど。まぁ実際そうだろう。たかが女子高生に自分の中の信念を変えさせられて堪るかという話だ。案の定、女子高生はボロボロと和樹の前で泣きじゃくり、そのまま『応援してます』とつぶやいて去っていった。

 ここで可哀想なことをしたと思わないあたり、ドライなのだろうか。

 カウンターに戻り、ゆかりに声を掛ける。


「すみません。ゆかりさんに任せきりで」

「いいえ、構いませんよ。それにしてもやっぱりモテモテですね」

「物珍しいだけですよ」

「またまたー、でもいちいち断るのも大変なんだから特定の彼女でも作ったらどうですか?」

 笑顔でなんてことを言うのだ。この娘は。相変わらずのフラグクラッシャーっぷりに辟易する。いっそ襲ってしまおうかと思うけれど、それでは彼女の心を得ることはできないだろう。


「……特定の彼女、ですか」

「ええ、特定の」

「なら、ゆかりさんがなってくれますか?」

「……」

 それは、意趣返しだ。どうせゆかりのことだ。「またまたぁ、和樹さんってばそういう冗談本当にうまいんですから」とでも答えることだろう。


 が。

「いいですよ」

 思わず一時停止して、和樹は驚く。一瞬空耳かと思ったけれど。

「……本気ですか?」

「ふふ、さてどうでしょう」

 どこかほくそ笑む顔に、弄ばれたことに気が付いた。酷い女だと思う反面、組み伏して自分の物にしたいと思ってしまう。


「案外小悪魔だなぁ。じゃあ――僕と付き合ってもらえますか? ゆかりさん」

 笑顔で言えば、ゆかりは驚いた顔をした。それから

「しょうがない人ですねぇ、和樹さんみたいな人に付き合えるのなんて私ぐらいですよ?」

 なんてことないふうに言いながら穏やかに笑って見せた。

(こ……れは)

 まさかのノリで言って、まさかの了承がもらえるとは思わなかった。


「はは。それは光栄です。じゃあゆかりさん、今日は飲みにでも行きませんか? さすがにいきなり手は出しませんから」

 駄目だ。馬鹿みたいに浮かれている。和樹はそっと自覚をするけれど、口から出てきた「手は出さない」の一言に少しだけ後悔した。

 でも、交際初日から手を出して体目当てだったなんて思われたくもなかった。




 そんな、石川ゆかりとの清い交際が続けられる中で街を離れる時が訪れた。ゆかりと離れねばならない時だ。

 ゆかりとデートする場所はいつも飲み屋だった。多少色気は欠けるものの、今この現状で悪目立ちするわけにはいかないと考えていたからだ。それでも彼女は笑って受け入れてくれる。

 どこまでも器の広い女だと思いながら、『和樹』は別れを告げる。この仕事が終われば彼女との将来に向け突き進む気は満々だったが。


「……そう、ですか」

「あっさりしてますね」

「そんなことないですよ、だって……」

 泣きそうな彼女の頬をさすりながら、和樹はどれほどまでにゆかりが愛おしいのかを自覚する。別れは一時的なものだ。それはどうしようもない。けれど、必ず迎えに来る。

「待っていて、くれませんか?」

 ひどいセリフだと思った。ゆかりは頷くこともなく頬杖をついたまま顔を伏せる。


「ゆかりさん……」

 ふと、和樹は恐怖を感じた。もしも再会できずに自分が死んでしまったら、彼女の中での自分はどうなってしまうのだろうか。

 自分のために涙を流す女を見て思う。抱きたい。このまま自分の物にしてしまいたい。

 そう思った瞬間、和樹はゆかりに手を伸ばした。清い交際を続けて二か月。ここで漸く和樹はゆかりと初めてキスをした。


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