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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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37-2 フラグクラッシャー回避計画(後編)

 雨の中、閉店間際の喫茶いしかわに駆け込むと、ちょうどゆかりが外に出ようとしていたところだった。

「いらっしゃい、和樹さん」

 駆け込んできた和樹にゆかりは一瞬驚いた顔をしたが、ふわりと微笑んだ。その微笑みに心臓をわしづかみされた気分になる。

「すみません。閉めるところでしたか?」

「いいえ。大丈夫ですよ」

 そう言って、いつものカウンター席に案内してくれる。


「いつものをお願いします」

「はーい。その前にタオル持ってきますね。そのままだと風邪引きますよ」

「あ、すみません」

 バックヤードに行くゆかりを見送り、それから店内を見た。

 ほかの客はいない。マスターも不在で二人きり。チャンスである。


「はいどうぞ」

「ありがとうございます」

 ゆかりが戻ってきて、タオルを手渡される。和樹はそれで頭やスーツについた水滴を拭いた。

 少し湿ったタオルをカウンターに置いて、和樹はゆかりを見つめた。

 彼女は鼻歌交じりにコーヒーを淹れる準備をしている。


「ゆかりさん」

「はい?」

「好きです。僕とつきあってください」

「もう、またですか」

 笑いながら、ゆかりはこちらをちらりとも見ない。

 今回の告白も不発に終わったようだ。しかし和樹は食い下がる。

 今日はすがる気持ちで近所の縁結びで有名な神社にお参りをしたおかげか今のところ職場からの連絡は来ない。

 すごいな神社。


「ゆかりさんの気持ちも聞きたいんですけど」

「はいはい。私も和樹さんのこと、好きですよ」

「本当ですか! じゃあ、僕と結婚してください!」

「はいは……え?」

 おざなりな返事であったが、好きという言葉にテンションが跳ね上がった和樹は立ち上がってプロポーズをした。


 ゆかりがようやくこちらを見た。驚いた顔をして固まっている。

 長田の言ったとおり、さすがにプロポーズを冗談にとらえないだろう。

 和樹は今度こそ伝わるだろうとゆかりを見つめる。

 ゆかりは固まっていたが、何か考えるように視線をさまよわせ、そして何か思いついたようにぽんと手をたたいた。

 和樹は一転、嫌な予感がした。


「もう、また質の悪い冗談なんか言って。そういうことを軽々しく言っちゃだめですよ? 私じゃなかったら本気にしてますよ」

 何で本気にしてくれないんだ。長田の馬鹿。嘘つき。

 和樹は部下を詰りながら頭を抱えた。


 しかしここで諦めるわけにはいかない。

 一応ここまでは想定済みだったりする。運任せであるが、逆転できる可能性は、ある。


「ゆかりさーん、結婚しましょうよー。後生ですからー」

 和樹はわざと、冗談っぽく言った。

「えー、和樹さんと結婚ですかー。和樹さんモテるから苦労しそうですねー」

 ゆかりが乗っかってきた。和樹の目が光る。


「大丈夫ですよ。僕はゆかりさん一筋ですから。これからも、ずっと。死んでも」

 真剣にゆかりを見つめると、彼女は頬を染めて、それから目をそらした。

「そ、それは嬉しいですね。でも私は喫茶いしかわでこれからも働きたいので」

「それも大丈夫です。僕はゆかりさんの行動を束縛しませんから。結婚しても、喫茶いしかわで働いてかまいませんよ」

「あら、それは助かります。じゃあ私は喫茶いしかわで働きながら和樹さんの帰りを待っていますね。和樹さんの大好きな和食を作って」

 ゆかりが言った瞬間、脳内に和樹の部屋で料理をするエプロン姿の彼女が思い浮かんだ。

 いい。めちゃくちゃいい。


「ゆかりさんが待っててくれるなら、僕はどんな仕事でも頑張れます! ……でも、僕の仕事は本当に忙しい。出張も多くて家にだってあまり帰れません。ゆかりさんには寂しい思いをさせます。それでも、待っててくれますか?」

「え? はい。だって大変なお仕事なんでしょう? 仕方がないですよ」

 冗談だと思っているはずのゆかりは、なぜか真面目に返してくれた。

 その言葉に、和樹はよかった、と安堵してつぶやく。


「じゃあこの書類に目を通して記入をお願いします」

「はい?」

 鞄から書類を取り出すと、ゆかりがぽかんとした。そんなゆかりに、和樹は微笑む。

「結婚するときは報告書の提出が必要なんですよ。面倒だと思いますが、よろしくお願いします。それからもちろん婚姻届にも。ああ、その前にゆかりさんのご家族に挨拶も必要ですね」

「は? え? は?」

「あ、あと」

 和樹は立ち上がって、カウンター内に入った。


「あ、か、和樹さん。カウンター内には……」

 混乱しながらも、カウンター内に入ってきた和樹にゆかりは注意する。それを無視して、和樹はゆかりの左手を取った。

 そして薬指に銀色のリングをはめる。

「えっと、これは」

「婚約指輪です。よかった、ぴったりで」

「ぴったりすぎて怖いんですけど。私の指のサイズ、何で知ってるんですか」

 ゆかりが左手薬指と和樹を交互に見た。


「えっと、和樹さん?」

「この指輪が無駄にならなくてよかったです。あ、もし気に入らないなら今度一緒に買いに行きましょう」

「そうじゃなくて! ……冗談、ですよね?」

 おずおずと見上げるゆかりに、和樹はこれ以上ないさわやかな笑みを浮かべた。

「冗談でプロポーズなんてするわけないでしょう。ちなみにこれまでの告白も冗談じゃありません」

「え゛」

 目を点にするゆかりに、和樹は盛大にため息をついて見せた。


「本当、ゆかりさんって鈍感というかなんというか……」

「そ、そんなことないです! ていうか結婚!? 本気ですか!?」

「もちろんです。ゆかりさんからもOKもらいましたし」

「いや、あれは冗談に乗っかっただけで!」

「だから冗談じゃないと言ってるでしょう。あ、取り消しはできませんので悪しからず」

「え、え、ええー」

 展開に頭がついていってないようだった。

 さらに混乱するゆかりに、和樹は近づいた。

 しかしゆかりは後ずさる。


「ま、待ってください、あの、あの」

 焦りすぎて言葉がうまく出てこないのか、ゆかりはぱくぱくと金魚のように口を開閉する。

 混乱はしているが、嫌がられてはいない……と思う。

 和樹がさらに一歩近づき、ゆかりが後退する。それを繰り返していくうちに、ゆかりの背中はバックヤードのドアにぶつかった。


「あ、あの、えっと」

 ゆかりがこちらを見上げてきたので、和樹も見つめ返す。すると彼女は頬を染め恥ずかしそうにうつむいた。

 その顔は襲いたくなるほど、可愛らしい。

 和樹は自分を抑えつつ、もう一歩ゆかりに近づく。そして逃げ場のなくなった彼女の頬をなでた。


 びくりと体を震わせるゆかりに、和樹は耳元で囁くように言う。

「ゆかりさん。諦めてください。僕はあなたを諦められない」

「な、なんで……なんで、私なんですか」

 ゆかりが少し震えた声で聞いてきた。


「私、美人じゃないです」

「ああ、ゆかりさんは美人というより可愛いの部類ですね」

「そ、そうじゃなくて。……スタイルだって、普通です」

「そうですか? すごくそそられますけど」

「なっ、何言ってるんですか!」

 思わず顔を上げるゆかりを、和樹は真面目に見つめる。


「僕はゆかりさんのすべてが好きです。ちょっとずれているところも、天然なところも」

「それ、褒めてます?」

 じとりと睨むゆかりに和樹は笑う。

「もちろん。……あなたと会えると嬉しいし、話すだけで楽しい。あなたが笑うと気持ちが温かくなる。そばにいるだけでどきどきして、無性にあなたに触れたくなる。ずっと、一緒にいたい。理由はこれじゃだめですか?」

 和樹が首をかしげて笑うと、ゆかりは困ったように眉尻を下げ、うつむく。


「……私はモテません。実は、男性と交際した経験がないんです」

 知ってます、と和樹は心の中でつぶやく。その理由も、ゆかりに惚れて痛いほど理解した。ここまで苦労するとは思わなかった。いや、半分自分のせいではあるのだが。

「和樹さんはモテるでしょう? 私なんかより、もっといい人がいると思うんですけど……」

「ゆかりさん以上の人はいませんよ。僕は、ゆかりさんがいいんです」

 和樹はきゅっとエプロンを握るゆかりの手をほどいて、指を絡ませた。


「正直今すぐ結婚したいくらい好きなんですけど、ゆかりさんの気持ちを無視するつもりはありません。だから、とりあえず僕とつきあってください。必ず、僕を好きにさせて見せます」

「すごい自信ですね」

 ゆかりが笑う。

 そして少し考え込んで、まっすぐ和樹を見上げた。


「……私も、和樹さんと一緒にいると楽しいんです。お店に来てくれた日はすごく嬉しいし、来ない日はすごく寂しい。和樹さんが笑ってくれると、嬉しくて、心臓がどきどきします。……ずっと不整脈かと思ってたんですけど」

「いや不整脈って」

 和樹は脱力した。

 しかし、これは、もしかして。

 和樹は期待に満ちた瞳でゆかりを見る。


「でも、私も和樹さんと同じ気持ちだからだったんですよね? えっと、だから、あの……よろしくお願いします」

 そう言って、ゆかりが頭を下げた。


 そんなゆかりを、和樹は力強く抱きしめる。

「ゆかりさん、ゆかりさん」

「わあっ。ちょ、く、苦しいです!」

「嬉しいです、僕」

「ちょっと力緩めて!」

「あ、すみません」

 慌てて離すと、ゆかりは苦しさで涙目になっていた。


 和樹はゆかりを愛おしそうに見つめ、彼女の唇に軽く口付けをした。

 本当なら貪ってやりたいところだが初めてであろう彼女に対する配慮である。

 キスをされたゆかりはぽかんとして、それから顔を真っ赤にして口を押さえた。


「い、いきなり何するんですかっ」

「何ってキスですよ」

「わ、わかりますよそれくらい!」

「じゃあゆかりさん。もう一回キスしていいですか?」

「そ、そういうことを聞かないでください!」

「いきなりはだめなんでしょう?」

 和樹が笑うと、ゆかりは頬を膨らませた。

「今日はもうだめです!」

「おや、残念」

 ここでがっついて怯えさせるとまずいと思い、和樹は素直に身を引いた。


「ほ、ほら! 和樹さん、カウンターから出て! コーヒー淹れなきゃ!」

「はいはい」

 ゆかりに背中を押されて和樹はカウンターから追い出された。

 和樹は自分の席に着くと、真っ赤な顔のままコーヒーを淹れるゆかりを嬉しそうに見つめる。


 どうぞ、とコーヒーカップが差し出され、和樹はお礼を言う。

「それで、晴れて両思いになったというわけですが……ゆかりさんはやはり式は挙げたいですか?」

「え、えっと……あの、ですね。式は挙げたいほうなんですけどその前に……恋人というものに憧れがありまして」

「はい」

「そ、それで、すぐに結婚じゃなくて、おつきあいをしてから、でいいですか?」

 もじもじしながら頬を染める可愛いゆかりの頼みを断れるものなどいるだろうか。いや、いない。


「わかりました。では、結婚を前提でつきあうということで」

「はい! 和樹さん、あらためまして、よろしくお願いします!」

 えへへと笑うゆかりに、これまでの戦いが走馬燈のように頭に流れる。


 和樹はその苦労の数々に心の中で涙し、そして彼女にわからないようにガッツポーズをした。

 和樹さんにとってグッジョブすぎる提案をしてくれたはずの長田さん。

 なのに(コロッケWARSのときの対応を思い出す)……不憫属性が過ぎますよね。

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