387-1 ゆかりさんにふさわしい水着(前編)
「今度の月曜日なんですけど、私、海に行くことになったので喫茶いしかわにいませんから、来る時は連絡くださいね」
いつもの如くゆかりの手料理に舌鼓を打っていた和樹は、口の中に残っていたシーフードピラフ(和樹の出張土産をふんだんに使ったものだ)をごくりと飲み込んだ。
「海に?」
「はい、海に」
「誰と?」
「聡美ちゃんと遥ちゃんと私の三人で」
指をピンと三本立ててそう言ったゆかりに、和樹は眉を顰めた。
「……あれ? その顔はあまりよろしくないって感じですか?」
和樹の反応にゆかりがそう聞くと、和樹は「ええ、まあ」と頷いた。
ゆかりが目をぱちくりとさせているその様子からは、夏の海がどれほど危険なのかをまるで分っていないのだろうなと察せられた。
薄着になる夏は、特に海のような場所では男も女も開放的な気分になりやすい。ゆえに注意力が散漫になったり、いつもより気持ちが高揚にして思いもしない行動をとったり、中にはそれに乗じて良からぬことをしでかす輩もいる。そういった場合、被害に遭うのは決まって若い女性だ。
常日頃から警戒心を持てと言っているし、出会った頃よりもだいぶ気を付けてはいるようだが、やはりゆかりはゆかりだったかと和樹は痛む頭に手をやった。
しかし、口煩く言うのも束縛しているようでみっともないし、何よりも余裕がないと思われたくはない。だからと言って、ゆかりをあんな野獣の巣窟に向かわせたくはない。腹を空かせた肉食獣の群れに兎を放り込むようなものだ。
しかも、海ということであれば水着。
自分だってまだ見たことがないのに……と思ってしまうあたり、やはり自分は独占欲が強いのだろうかと思いつつ、いや違う、心配なだけだと言い訳しながら和樹は言った。
「女性だけで夏の海に行くのはあまり感心しません。トラブルに巻き込まれる可能性が高いですから。聡美さんも遥さんも彼氏がいるんだから何もゆかりさんを誘わなくても……」
言外にゆかりにも夫(自分)がいるのだから行くなと伝えてみたが、ゆかりはそれにはまったく気付くことなく「それがですねぇ……」と深く溜息を吐いた。
「聡美ちゃんと鉄平くんは今喧嘩中なんです。本当は二人で海に行く約束をしていたらしいんですけど、鉄平くんがうっかり忘れて別の予定を入れてしまったんですって。それに怒った遥ちゃんが『じゃあ、私と二人で行こう! あんなヤツ放っておいて!』って言い出して、聡美ちゃんも喧嘩した直後だってこともあって、その勢いのまま『行く!』って言っちゃったんですよ」
「はあ。つまり、鉄平くんは聡美さんが女性だけで海に行くことは知らないんですね?」
「そうなんですよ。ちなみに遥ちゃんの彼氏もこのことは知らないんです。何やら大事な試合が控えているらしくて、集中させてあげたい時期だからあまり我儘言いたくないって。いじらしいですよねぇ」
遥にその言葉が適切かどうかはこの際どうでもいいが、何やら暗雲が立ち込める展開にもはや不安しかない。徐々に真顔から険しくなる和樹の様子に気づかず、ゆかりは続ける。
「でも、女の子二人だけなんて危ないじゃないですか。聡美ちゃんも遥ちゃんも可愛いし、絶対に男の人が放っておきません。ということで、大人の私が一緒に行くことにしたんです。あ、このこと、鉄平くんに言っちゃダメですからね」
しーっと人差し指を口元に持ってきてそう言ったゆかりに、和樹は溜息を吐いた。
「言っておきますけど、ゆかりさんも狙われる対象ですからね?」
「え? 私ですか? JKという最強な二人がいるのに、わざわざ私の方に来るわけないですよ」
私なんて二人の陰に隠れた景色の一部にしか思われませんと言い切るゆかりに、和樹はまたもや大きく溜息を吐いた。
前々から思っていたが、ゆかりの女子高生に対する理解が世間一般とズレているように思えて仕方がない。彼女たちも至って普通の人間なのだが……。
「日にちは変更できないんですか? 海に行くなら車があった方がいいだろうし、今度の金曜なら僕も体が空くんですけど」
頭の中で素早くスケジュールを組み立て直してそう提案するも、ゆかりは首を横に振った。
「ダメですよ。お休みがもらえるなら、体をしっかり休めてください。そうやって人のことばかり気にかけてたら、和樹さん、いつか体壊しますよ? それに、金曜日は聡美ちゃんに予定が入っているので無理です」
休日は人のことより自分のことに使ってくださいと、まるで叱るように眉を寄せてそう言ったゆかりに、和樹は自分の恋人のために使ったっていいだろうと思いつつも「はあ」と曖昧に頷いた。
「あー、ちなみに彼女たちのご両親は?」
「平日ですし、皆さんその日はお仕事だって聡美ちゃんが。って、和樹さん。もしかして、私だけだと頼りないと思ってます?」
「頼りないというよりも心配です。さっきも言いましたけど、女性だけというのが、ちょっと」
「えー、大丈夫ですよ。そのために私が行くんですから。それに、常に三人で行動するように心掛けますし、警戒心も忘れません」
お任せくださいと胸をドンと叩くゆかりに、和樹は溜息を吐いた。
たしかにゆかりは成人した大人の女性ではあるが、性格が非常に素直というか、騙されやすいというか。その点、まだ聡美や遥の方が警戒心は強いのではないかと思う。いやでも、聡美も割と天然なところがあるし、何よりもお人好しでトラブルに巻き込まれやすいし、遥は年頃の女の子にありがちなテンションの高さと調子に乗ってしまうところもあるから、この三人が共に行動したところで心配はまったく、これっぽっちも拭えない。
「あ、もう食べ終わりました? じゃあ、片付けちゃいますね。和樹さんはリビングで休んでてください」
気難しい顔をしている和樹にゆかりは首を傾げつつも、空いた食器を持って席を立った。
和樹はゆかりの背中に向かって「ごちそうさま」と声を掛けながら、リビングのソファーに腰かけるとポケットからスマートフォンを取り出し、とあるところにメッセージを送信した。
その様子を見ていたブランがソファーにひょいっと飛び乗ってきた。まんまるな瞳でジィ~ッとこちらを見つめるブランに苦笑すると、ゆかりに聞こえないよう小声で「心配しなくても僕の愛しい奥さんは守ってみせるよ」と頭を撫でた。ブランは『任せたぞ』と言わんばかりにフンッと鼻を鳴らしてソファーから降りた。
「和樹さぁん、コーヒー飲みます?」
コーヒーサイフォン片手にゆかりがそう聞いてきたので、和樹は「いただきます」と答えながらポケットにスマートフォンをしまった。
ゆかりはコーヒーカップふたつを手に和樹の隣に腰かけると、
「さっきの話の続きなんですけど、実は一つ問題がありまして……」
と、眉尻を下げて溜息を吐いた。
ゆかりに渡されたカップを受け取りながら、問題はひとつどころじゃないだろというツッコミを心の中だけで入れつつ言葉を待っていると、ゆかりは深刻な表情で言った。
「何を隠そう、私、泳ぎが苦手なんです」
「……はあ」
隠すも何も予想通りすぎてなんとリアクションすればいいのか分からず、和樹は笑顔を作り出すことも忘れて真顔で頷いた。
それに、苦手なら海に行くなよと言いたくもなったが、ゆかりが何やら大真面目な顔をしているから、とりあえずは彼女の次の言葉を待とうとコーヒーを口にした。
「なので、海に縁がなくて、プールに行ったのも学生の時以来で。つまりですね、持ってる水着がスクール水着しかないんです」
神妙な面持ちで放たれたゆかりのとんでもない発言に、和樹は盛大にコーヒーを噴き出した。
「え、やだ。和樹さん、大丈夫ですか?」
ゲホゲホッと咽る和樹に驚いたゆかりに、大丈夫な訳があるか! と叫びたいが、それどころではない。
今、和樹の脳裏にはしっかりとスクール水着を着たゆかりの姿が浮かんでしまい、思わず『見たい』と思ってしまった自分を頭の中で思い切り殴った。
そりゃあ実年齢よりも若く見えるゆかりが着れば似合うだろうし、可愛いとも思うが、そういう問題じゃない。似合う以上に、可愛い以上にエロい。半端なくエロイ。もう色々とヤバい。
成人した女性がスク水着る目的がアレ以外に考えられないのは自分の想像力の欠如なのか。それとも偏見なのか。変態なのか。
僕にそんな趣味はなかったはずなのに……と自分に幻滅しつつ、背中を擦るゆかりに視線をやった。




