381-2 えだまめチャーハン(中編)
ふと気になって横を見ると、黙々と枝豆の殻を剥いている和樹。それを眺めたらちょっとだけ食欲が鎌首をもたげる。
そっと近づくとまだ剥いていない房を一本抜き取り、さっと開いて枝豆を口に入れた。微かな塩気と優しい素朴な味が舌の上に広がる。歯ごたえは予想したよりも良く、とてもぷりぷりしていた。
「あーもう、だめですよ。つまみ食いなんて行儀が悪い」
もちろん和樹に見つかってそれこそ母親のような小言をもらうが、蛮勇ゆかりは気にもとめず、大胆にも和樹の目の前で二回目のつまみ食いを成功させた。
「こら! いい加減にしましょうね」
苦笑しながらゆかりから笊を遠ざける和樹を半眼で見つめると、蛮勇改め、いたずらっ子ゆかりは、普段では考えられないほどの速さで腕を伸ばし、またもや笊からひと房頂戴すると、今度は自分の口ではなく、和樹の口めがけて房を強く押した。
ゆかりを注意しようとして口を開いた瞬間を狙ったかのように、勢いよく房から飛び出した枝豆が和樹の口の中に消えていった。
反射的に口を閉じ、手を口元に当てる和樹。一応喉が動いていないので、飲み込んではないようだ。ちょっと奥に飛び込みそうだったので安心。まあ、少し手元がずれて、指が和樹の唇に当たってしまったのは許してほしい。
それでも自分のいたずらが成功したので満足したゆかりは、えっへん! と手を腰に当てて片目をうっすら開ける。
どう? 美味しいでしょう?
そう言わんばかりの態度に、いきなり唇に触れたゆかりの指の感触やら、口に飛び込んできた枝豆やらで驚いていた和樹は、咄嗟に反応ができなかった。そしてゆっくりと咀嚼する。
すると、お、これはなかなか、といった表情を浮かべた。ゆかりの勝利である。
晴れた気持ちで調理に戻るも、こっそり和樹の様子を伺えば、作業を続けながらも時おり小さな豆を選んで口に放り込むのが見えた。
なんだ、和樹さんだって子供っぽいじゃない。
年上の男性が見せる子供っぽさに可愛いく思ってしまいながらも、気を取り直してゆかりは調理を再開した。
さて、次は何をするんだっけ?
ざっと状況を確認したゆかりは思い出したように、従業員用スペースと化した冷蔵庫の片隅から数日前から常備している「あれ」を取り出した。小さめの耐熱ボウルに醤油、料理酒、「あれ」を入れ……ようとして、先程から執拗なほどにこちらに向けてくる視線の方向を向いた。
爽やかな雰囲気と穏やかさが売りの優男の和樹が、あり得ない! と顔にでかでかに出している。目は軽蔑するような、信じられないという気持ちを如実に伝えてくる。口は完全うぇっと言いたそうな形だ。総合すると、なんて顔しているんだ、である。
前から思っていたけど、和樹さんって便利系調味料は使いたがらないよね。
数回ほど和樹の賄いを調理段階から見ていたゆかりはそう確信している。和樹は、食材・調味料・器具に拘り、料理方法もゆかりから見ると丁寧すぎるほどで、ザ・料亭にしか見えない料理とか、ザ・三ツ星レストランな料理を軽々と作って提供する。まさに拘りの料理人だ。
絶対家には小料理店もびっくりの調理器具と調味料が揃っているはず。
そんな和樹は“これを入れておけばとりあえずOK!”なものは使わない。
昨今、食品メーカーがドレッシングなり、ソースなり、便利系の調味料を使ったレシピを公開するも、和樹はそれを見て“一から作る”男だ。ゆかりから見ると、結構めんどくさい。
反対にゆかりは典型的な主婦料理だ。時短、手抜き、便利調味料どんと来い! 最終的に美味しければ大勝利なのだ。正規ルートな手順を知らないわけでも、丁寧な料理ができないわけでもない。ただ、すっ飛ばしても大丈夫な方法があればそちらを選ぶ、というだけだ。ないのなら、ゆかりだって丁寧に作る。
さて、この状況だと「あれ」を投入しようとする行為が、面倒な男のルールに反したのだろう。ぐっと眉間にシワを寄せ、面倒な男こと和樹がボウルを睨みつけている。正確にはゆかりの手に握らている「あれ」を睨んでいる。
「……ゆかりさん、まさかとは思いますが、それは味」
ゆかりは手のひらを和樹に向けてさっと挙げ、それ以上は黙らせた。
あまりにも威厳を込めてすっと手を挙げたので、なぜか和樹は黙ってしまう。
それを見たゆかりは神妙に頷くと、いきなり「あれ」……チューブタイプに力を入れて中身を練りだした。ああっ! と隣で叫び声が聞こえたが、知ったことではない。遠慮なく掻き混ぜて電子レンジに入れ、温める。万能調味料万歳。我らの賄いに栄光あれ。
温めたお手製ソースにごま油を入れて、さらに掻き混ぜた。ちょっと味見をして問題がないことを確かめる。抗議を無視された面倒な男はぶつくさと何やら愚痴を言いながら、豆を取り出す作業を再開していた。
「あれ」は立派なプロ用の調味料なんだけどなぁ、と思いながらふと和樹の手元を見る。
「和樹さん、皮剥きそこらへんでいいですよ」
すでに三分の二は剥き終えている豆の皿を手に取って、ゆかりは炒める準備に入った。和樹が驚いたようなので、説明してなかったと振り返る。
「剥いてないのも料理に使うので」
ゆかりとしては回答したつもりだが、それでも不足らしい。
ますます不思議そうにこちらを見てくる男を無視して、ゆかりは中華鍋を取り出した。
喫茶いしかわになぜそんなものが、と思うだろう。メニューにピラフ、バターでご飯を炒めたオムライスなどはあるが、すべて今までは通常のフライパンだった。それがいつの間にか存在している中華鍋を使うようなり、今に至る。ゆかりとマスターの見立てでは、拘る男、和樹がこっそり置いたんだろうと読んでいる。というか、それしか考えられない。
中華鍋の軌跡を思い出しながらも、鍋を強火で温める。
頃合いを見計らって油を入れ、油がいい温度になったらニンニク、ネギ、ベーコン、枝豆を入れてとにかく炒めた。元々火が通りやすい食材たちだ。あっという間にニンニクのいい匂いが充満し、ゆかりの食欲を刺激する。ぐっとお腹がなりそうになるのを我慢して、炒めたそれらを一旦皿に戻す。
次にまた油を引いて温めると、溶いておいた卵をさっと入れる。さらにいつの間にか和樹が用意してくれたご飯も一緒にいれ、油に馴染ませるように炒めた。時おり鍋を振ってそれっぽくする。
手持ち無沙汰な和樹は、サラダを作ることにしたらしい。
冷蔵庫から材料を取り出す和樹に、私がやりますよ? と声をかけたら、にんにくの匂いを嗅いだらお腹が空きました……とやや恥ずかしそうに言って、トマト、きゅうりをカットする。要は早く食べたいので、他の料理は自分が作る、ということらしい。
待たせてしまうのも申し訳ないし、理由はどうであれ手伝ってくれることに越したことはない。
お願いします、と返答して、ありがとうございます、も付け足す。和樹はそれには微笑んで応えると、最近ゆかりがハマってこっそり常備しているオクラを塩もみして湯掻き始めた。ゆかりの私物だが、和樹が使えば最高に美味しい何かに変わるだろう。それを知っているので、ゆかりは特に咎めることはしなかった。
和樹がオクラを湯掻いている横で、ゆかりは鍋に先ほど炒めたものを鍋に戻し、さらにおたまで軽快に炒めた。ご飯が油を吸ったのを確認し、先ほどのゆかり特性炒飯ソースをぐるっと淵に沿うように回し入れる。そして手早く混ぜ合わせた。
入れる瞬間にまた微妙な意図を感じる視線が向けられたが、やはり知らぬ存ぜぬで無視する。
最後におたまに少しのお湯を乗せて、淵から回し入れた。ご飯がふっくらするちょっとしたテクニックで、石川家ではよく使う。
さて、一部不評な調理過程があったが、枝豆の炒飯ここに誕生である。




