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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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381-1 えだまめチャーハン(前編)

 従業員として仲良くなりつつあった頃のお話。

 ふんわりと(ざる)から立ち上る湯気の向こうから、まだかまだかと期待を胸にすっと覗いてくる彼に苦笑しながら「手伝ってください」と呼びかけるとある日の午後。



 ランチタイム最後の客が入口のドアを潜る。偽りのない感謝の言葉と、またの来店をお願いする声をかけて、一息つく。

 いつも以上に忙しかったランチタイムはこれにて終了。遅めのランチを取っていた客を見送り、店内に戻る時にさっとCLOSEDの札をかけた。夕方の仕込みのためだが、あまりに働きすぎた従業員の休憩時間確保のためでもあったりする。

 少しの申し訳なさと、ようやく休憩に入れるという体の欲求がせめぎ合ったがCLOSEDの札が「休憩入ってよし」と言ってくれたので、申し訳なさを店の外に置き去りにして颯爽と戻った。


 店内では和樹が既に洗い物を始めていた。

 カウンターに遮られていて手元は分からないが、おそらく彼なら手早く、正確に終わらせるだろう。そのまま仕込みに入るかもしれない。そう予想して、ゆかりはテーブルの片付けに入った。

 食器を引き上げ、テーブルを拭き、フォークなどのセットと綺麗に拭いたメニューを置く。今週のおすすめ! と書いてあるゆかりお手製のプラケースに入ったポップアップはちょっとだけ念入りに拭いて、置き直す。自信作なのだ。


 ホコリを立てないようにさっと床を掃き、ドアを少し開けてほんの一瞬空気を入れ替える。粗方の掃除を終えると、レジに向かい、レシートの紙の補充をした。レジの横に置いてある喫茶いしかわのショップカードは、減っていないので特に補充はしない。今日のランチは常連客と、お昼という僅かな時間に効率よく食事がしたいだけの客がほとんどだったので、出番がなかったようだ。

 後者の客にはできるだけ興味を持っていただきたかったが、まあ仕方ない話だ。前者の客は相変わらず人の良い方達ばかりだったので、ゆかりとしては忙しかったけど楽しい時間でもあった。


 と、ショップカードから脱線して今日のランチタイムの感想を思い浮かべていると、厨房からゆかりを呼ぶ声がした。和樹の仕事が終わったらしい。

 ゴミを出す彼が見えたので、ゆかりもゴミ出しを手伝った。


 さて、一通りの作業が終わればようやく従業員の休憩である。ゆかりがかけたCLOSEDの札が有効なうちに済ませないといけない。ちなみに和樹からはCLOSEDの札がかけられたことに何も言ってこなかったので、彼も同意見だとゆかりは受け取っている。

 ゴミ出しから戻り、手をしっかり洗ったゆかりは冷蔵庫を開けた。ぐるっと見渡し、ちょっと首をかしげ、悩ましい表情を一瞬だけ零す。でも直ぐにこれだ! と確信したように頷いた。


 和樹が興味津々でゆかりの肩口から覗き込む。

 いつもは気配を消して背後に立つ男が気配をそのままに近寄ってくる時は純粋な興味しかない、と無意識に理解しているゆかりは特に驚きもせずに目線だけで「やりますか」と伝えた。それを受けた和樹はお手並み拝見とばかりにニッコリと笑った。

 それはもうド正直な胡散臭さ百パーセントという、とてつもなく器用な笑顔だった。


 ふつふつ。ごとごと。鍋にたっぷりの水を張り、たっぷりの塩を入れ、強火で湯を湧かす。

 湯が沸く間に冷蔵庫から取り出した、ゆかりがご近所さんにもらった大量の枝豆を洗って塩で揉む。

 鍋が湯気を立てて騒がしくしてきたので、笊いっぱいの枝豆を鍋に投入した。喫茶いしかわの業務用鍋だからこそ受け止められる量の枝豆たちは早速お湯の荒波に揉まれ始める。家庭で食べる量であれば茹で時間は三~四分といったところだが、この量だと果たしてどうなのか。

 軽く握った左手の人差し指を少し緩め、第二関節あたりを唇に当てた。親指はそっと下顎に触れる。右手は甲で左腕の肘をさり気なく支え、“いかにも考えています”というポーズを思わず取ってしまった。


 そうして鮮やかな若草色になりつつある枝豆達を睨んでいると、湯気の向こうからくくくっとわざとらしい“つい抑えきれませんでした”的な声が聞こえる。そちらを向くと、喫茶いしかわで最も“いかにも考えています”ポーズを披露する彼が優しげに微笑みながら、すっと鍋を指さした。時間的に湯を捨ててもいいタイミングだ。どうやら問題ないらしい。すっかり良い色になった枝豆たちを笊にざあっとあける。


 ちなみに、火を止め、重たげに鍋を持ち、勢いよく湯が捨てられるまで、湯気の向こうにいた彼はなぜかカウンターに入ってきて、先ほどの笑顔から一変、初めて子供をお使いに行かせる母親のような顔をしていた。そわそわとか、はらはらと擬音がつきそうな。どうも心配しているらしい。いやいや、お湯ぐらい捨てられますよ。


 いつもはゆかりのほうが百面相(褒められているとは思えない)と言われるが、最近は和樹だって随分表情豊かになった。さっきのお母さんな表情とか、レパートリーが増えた胡散臭い笑顔とか。

 ゆかりはそう考えているが、悲しいかな、和樹の表情の機微が分かる立ち位置の人間は少ないし、その中で和樹の心情を表情や態度であらかた察してしまう人間はもっと少ないので、和樹は百面相説の支持者は今のところゆかりだけである。


 笊にあけた瞬間に立ち上る湯気。カウンターに入ってきた和樹との間にまたもや発生した脆い壁はほんのわずかな塩の匂いと、豆特有の青い匂いを運んでくる。お湯からあげたばかりの枝豆は熱いので、少し冷まそうとすると、隣の男が覗き込んでくる気配を察した。おやっと軽く驚いて彼の表情を見ると、何やらきらきらしたお目目。ふうん? なるほど?


 これからの作業を考えると、ゆかり一人よりは目の前の期待に満ちた彼を巻き込んだほうが効率が良さそうだ。そう心の中の小狡いゆかりが意見を述べる。

「和樹さんも手伝っていただけますか?」

 小狡いゆかりが勝利した瞬間だった。


 手伝いを要請された男は目をぱちぱちと瞬かせると、にっこりと笑って

「もちろんです。お手伝いしますよ」

 と快く引き受けた。

 今回の胡散臭い笑顔は、仕方ないから手伝ってあげます。枝豆を食べたいからじゃないですよ? という意思を隠す気もない笑顔だった。


 器用で手の早い(語弊があることは否定しない)彼が枝豆をひたすら剥いている横で、料理の準備を始める。冷蔵庫から本日期限切れのベーコンと白ネギ、ニンニクを取り出す。ニンニク、白ネギはみじん切りに、ベーコンは細切りに。次に卵を二人分。冷蔵庫から取り出し、溶いておく。


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