37-1 フラグクラッシャー回避計画(前編)
初めて喫茶いしかわに来たのは、一緒に取引先を回っていた先輩の誘いでだった。
先輩がそこの看板娘に好意を持っていたのはすぐに気付いたので、自分が惚れられたら厄介だと、できるだけ邪魔をしないよう気配を消していた。
それからすぐに栄転した先輩が去っていった後も、こだわりのコーヒーが恋しくなり、時折足を運んだ。
看板娘への好意からではなかった……はずだった。
(それなのに)
和樹はちらりと横目でゆかりを見た。
アイドルタイムで他の客がいないなか、食器の後片付けをしているゆかりは、鼻歌交じりで機嫌が良さそうだった。別に和樹と二人きりだからと言うわけではない。彼女は特別嫌なことがない限り、いつもこうなのだ。
「そうそう、今度友達と美味しいと噂のラーメン屋さんに行くんですよ。ほら、駅前の」
「ああ、ゆかりさん一度食べてみたいって言ってましたよね。感想期待してますよ」
「まっかせてください!」
ゆかりが話す内容はたいていこういった食べ物の話題ばかり。
あそこのケーキがおいしかったとか、あそこのパスタがおいしかったとか色気より食い気といった具合に。
これまで関わってきた女性は和樹といると甘ったるい声でしおらしさをアピールしたり、カマトトぶったりと猫をかぶっているものが大半だ。
だから自然体のゆかりに、和樹は大いに落ち込んだ。
(絶対男としてみてないよな……)
和樹はそっとため息をつく。
なんだか悔しくて、和樹は彼女にちょっかいをかけるようになった。少しでも男としてみられたくて、彼女の言う炎上発言をしたりこれまで以上に優しく接してみたりしたのだが、すべて不発。
彼女はとてつもなく鈍く、そして天才的なフラグクラッシャーだった。
ここまで鈍くて、さらにはフラグをクラッシュさせられると並大抵の男は心が折れる。
和樹は彼女に交際歴がないことに納得した。納得し、彼女が鈍いことに感謝した。なぜなら和樹はこの鈍くて容赦なくフラグをクラッシュするゆかりに惚れてしまっていたからだ。
別に経験がない女性が好みというわけではないのだが、もし過去に彼女に触れたことのある男がいたらと考えるだけで嫉妬してしまう自分は重症だ。
あんなに好意を持たれたらやっかいだと思っていた相手に、自分のほうが好意を持ってしまうとは、なんだか負けた気分だったが、ゆかりにならそれでもいいかと思える。
和樹はゆかりを盗み見る。
楽しそうに、後片付けをする彼女は実に可愛かった。前から可愛いとは思っていたが、自分の気持ちに気付いた今は、以前の百倍くらい可愛く見える。
「……ゆかりさんって可愛いですよね」
「は?」
思っていた言葉がするりと口から漏れてしまった。
ゆかりがぽかんとこちらを見た。その顔が、徐々に青くなっていく。
「な、何言ってるんですか! 過激派女子高生に聞かれたら炎上ですよ!」
妙な構えのポーズをして、ゆかりはきょろきょろと警戒する。
和樹に可愛いと言われて青い顔をするのは彼女が初めてだった。
実に面白くない。
「ゆかりさんはそんなに炎上するのが嫌ですか」
「当たり前じゃないですか! 敵意を向けられて嫌じゃない人はいません!」
確かに。
和樹は納得するが、もやもやは晴れない。
「僕のことは嫌いではないんですよね?」
「へ? はい。もちろんですよ」
「僕はゆかりさんが好きですよ」
ついて出た言葉は秘めておこうと思っていたものだった。
だから和樹は自分で自分に驚いたし、ゆかりも垂れ目がちな大きな目を丸くして、驚いていた。その顔が徐々に赤みを帯びていく。
「だ、だからそういう炎上発言は……!」
思わずこぼれた本音に一瞬しまったと思ったが本気にとらえなかった彼女に安堵し、そして、顔を赤くするゆかりさんも可愛いな、と和樹は思う。
溜飲が下がった気分になった。
「もう! そういう冗談は言わないでください!」
「いえいえ、冗談じゃないですよ。僕はゆかりさんが大好きですから」
「だからそういうことは~~っ!」
顔を真っ赤にしてゆかりがぽかぽかとグーで殴ってくる。
冗談ではないんだけどなぁ。
そう思いながらも和樹は笑って謝罪した。
「ごめんなさい。って、痛い、痛いです。ゆかりさん」
「もう、もう!」
「ごめんなさい。今度来るときは先日お話しした超人気パティスリーの個数限定シュークリームを差し上げましょう」
「え、本当ですか? やったぁ! 約束ですからね?」
さっきまで怒っていたのに、ゆかりはすっかり上機嫌だ。そういうところも好ましいと思う。
(……それにしてもさっきのゆかりさん、一段と可愛かったな)
好きですよ、といった後のゆかりの表情は、とても可愛かった。
顔を真っ赤にして、少し潤んだ目を大きく見開いて。
何ならもう一度見てみたい。
そんな理由で、和樹は本音混じりのからかいを、二人きりの時限定でゆかりに一日一回はすることにした。
そしてそれは楽しかった。真っ赤になったり時には顔を青くしたり。たまに、本当にたまーにだがこちらの告白に乗ってくるときもある。彼女は冗談で言っているのだが、「私もですよ」と言ってくれたときは抱きしめたくなるのを抑えるのに苦労した。
ゆかりの反応は毎回少し違っていて飽きなかった。何よりいつも以上に彼女の瞳に自分が映るのがとても嬉しい。和樹の告白すべてを冗談で片付けるゆかりに安堵しつつ、残念にも思った。
まるで小学生の男子が好きな女子をからかうようなそれは海外勤務が始まる直前まで続いた。
そして一年の海外勤務を終えた今。和樹は非常に困ったことになっていた。
◇ ◇ ◇
「ゆかりさん。好きです」
閉店間際の喫茶いしかわにはゆかりと和樹しかいなかった。
好機と言わんばかりに、和樹は思いを口にした。
今、和樹を縛り付けるものはなかった。
このまま今生の別れになるのは耐えられない。
何より、ゆかりが自分以外の誰かのものになるなんて、考えるだけでも嫉妬で狂いそうだった。
だから改めて喫茶いしかわの常連客になり、虎視眈々と告白する機会をうかがって、今日、その日がやってきたのだ。
和樹が想いを告げた後、ゆかりは目を見開いた。そして破顔する。
その笑顔に期待して、和樹の腰が椅子から浮く。
「懐かしいですねえ」
「……は?」
「和樹さんはそうやって冗談言って私を困らせてたんですよね」
心から懐かしそうに笑う彼女に、和樹は困惑する。
(あれ? もしかして冗談と思われてる?)
「いや、冗談じゃなくて……」
そのとき運悪く電話が鳴った。舌打ちしそうになるのをこらえ、見ると職場からだった。
「すみません。ゆかりさん。今日はこれで。……今度来たときに話しましょう」
「……? はい」
たぶん、いや、絶対分かっていないだろうゆかりにコーヒー代を渡すと、和樹は喫茶いしかわを出た。
あの日はタイミングが悪すぎた。
そう思い、和樹は仕切り直すことにした。
しかしなかなかうまくいかなかった。
まず二人きりになかなかなれない。
二人きりになれて、告白をしたとしても、ゆかりは相変わらず冗談ですませる。
そして本気だと説明しようとすると、必ず職場からの連絡がくる。
誰かの陰謀かと思えるほど、本当にうまく事が運ばなかった。
◇ ◇ ◇
「ゆかりさんが僕の告白を本気にしてくれない」
自販機の前でつかの間の休息をしていると、和樹がぽつりと呟いた。和樹はコーヒーの缶を握り、うつむき加減だったが絶望感がにじみ出ていた。
そんな上司の姿を見たことがない長田は内心狼狽えつつ、話を聞くことにした。
「ええと、どんな告白をしたんですか?」
「好きです、と言った。会うたび言ってるんだが本気にしてくれないんだ。最近じゃしつこいですよと怒られる始末だ」
告白して怒られるってなんだ。
長田は内心つっこんだ。
「本気だって言えばいいじゃないですか」
「そういうときに限って職場から連絡が来るんだ。これは僕とゆかりさんをくっつかせないための誰かの陰謀かもしれない」
「そんな馬鹿な」
しかし百人中百人がイケメンだというだろう和樹の告白を冗談で済ませるとは。告白の言葉はストレートだが雰囲気とか状況とかはどうなのだろう。
「……真面目に告白してるんですか?」
「当たり前だろう! 海外勤務前とは違って100パーセント真剣に言った!」
「……海外勤務前とは違ってってなんですか?」
引っかかるワードに和樹を見ると、彼は黙ってコーヒーの缶を見つめている。
「……海外勤務前、よくゆかりさんに好きですと言ってからかっていた」
「小学生じゃないんですから……」
長田は呆れ果てた。
「だってしょうがないだろう! 顔を真っ赤にして怒るゆかりさんがすごく可愛いんだ! 最後の方は慣れて流されていたけど……」
和樹がため息をつき、それにつられるように長田もため息をついた。
「自業自得でしょうが」
「くそっ!」
「過去の自分への責任転嫁(?)は止めましょう。もう告白すっ飛ばしてプロポーズしたらいかがです? さすがにプロポーズを冗談とはとらえられないでしょう」
もう面倒くさくなって、適当に長田は言った。それこそ冗談だったのだが、和樹が「その手があったか」と目を輝かせた。
「え? いや、今のは冗談で……」
「そうだな! 遅かれ早かれ結婚するんだから問題ないよな! でもゆかりさんのことだから油断は禁物だ。まずは……」
ぶつぶつと呟く和樹は獲物を狩る目だった。
(やばい。この人本気だ)
長田は冷や汗を流しながら、切に思った。
ゆかりさん逃げてくれと。




