355 if ~あさってな自覚~
恋愛ぽんこつっぷりが逆転してた場合のお付き合いのはじまりifストーリー。
「僕はゆかりさんの家の壁紙になりたい」
目の前の彼は唐突にそう言い放つ。私は口にしようとしていた枝豆を取りこぼした。
「あの……和樹さん、酔ってます?」
「ビール一杯じゃ酔わないです」
「ですよねえ……あ、わかった。寝てないんだ、寝不足でしょ」
「いえ。急ぎの仕事は落ち着いたので昨日は七時間、ぐっすり自宅で寝ました」
「あはは……健康的……」
思わず苦笑いを浮かべるが、目の前の彼は思っていたリアクションが返ってこなかったことが気に入らないのか、ぶすくれた顔を見せる。
ここは週末の夜、浮かれた客で賑わっている個室居酒屋。
私と和樹さんは『常連客』兼『同僚』から時々こうして飲みに行く『飲み友達』へと関係が進化した。
今日も彼から『手羽先とビールいきたいです』と連絡があり、『さらに餃子はどうでしょう?』と内心ドキドキしながら返してみれば『乗った』と決定した飲みの席だった。
あの頃の、ただの同僚だった私たちなら前もって予定を決めて、ある程度プランを立てた上で出かけていたのに、今ではたったのメッセージ三通で簡単に予定が決まってしまう。
それだけ仲が良くなったということなのか、それとも、最早そういう対象にすら見られていないのか。
正直、彼の心がまったく読めなくて、この関係を『飲み友達』以上に進化させたい私は、どう行動に出ようか図りかねていた。
「僕はゆかりさんの家の壁紙になりたい」
二回言ったよ、この人。
脳内は彼の真意がわからず大混乱だけれど、平静を装って涼しい顔でビールを飲み込んだ私はとりあえず、と手にしていたビールジョッキをゴトンとテーブルに置いて、居住まいを正す。
「和樹さん、その心は?」
「君の全てを知りたい」
直球も直球、ストレートすぎる言葉を食い気味に言われてしまい、私はジョッキの半分しか飲んでないにもかかわらず、顔が火照るのを感じる。もしかして和樹さんも私と同じ気持ちなのでは、と。
しかし、「だって」と言葉を続けた彼の雰囲気からはそういった甘さは一切、感じられなかった。
「ゆかりさんの家の壁紙になれば、四六時中君のことを見守り続けることができるし、ゆかりさんの全てを知ることができます。だから壁紙がベストだ」
うんうん、と納得し頷く彼。しかし発言はかなり、いや完全にアウトだ。モデルをも凌駕する顔面から、至極真面目な口調で放たれているからまともそうに聞こえるのであって、喋っている内容と壁紙というチョイスからして変態じみている。決して、彼には言わないけれど。
小さく溜息をついた私は、手羽先にかぶりつこうとしている彼に向き合う。
「でもね、和樹さん……仮に私の家の壁紙になったとして、どうして私の全てを知りたいんですか?」
「え」
キョトンと虚をつかれたような顔を見せる彼にさらに言葉を続ける。
「私たちはただの飲み友達ですよね? 普通はただの飲み友達に対してその人の全てを知りたいなんて思わないし、見守りたいって思わないと思いますよ」
「え、そうなんですか……?」
「普通は」
「でも、僕らは飲み友達だ」
「そうですね、今は飲み友達ですね」
わざと『今は』をはっきりと強調するように言ってみるが、言われた当の本人は相変わらずキョトンとした顔をしている。
鈍い。ここまで伝えて、自分でも言っていながら無自覚って……鈍すぎるよ和樹さん。
周囲から『鈍い』『鈍感』と散々言われてきた私だけれど、自分よりも遥かに鈍い人を初めて見た気がする。
「和樹さんのそれは、普通は好意を持ってる相手に対して思うことです」
ここまで言えばさすがにわかるよね、自覚するよね、とストレートな言葉で彼にぶつけてみる。
「そうですね……僕はゆかりさんに好意を持っています」
まっすぐ私を見つめてくるその瞳のきらめきに、私の心臓は外に聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい音を立てて速く脈打つ。
やっと、やっと彼に伝えることが――。
「でもそれはゆかりさんもでしょう? 飲み友達とはつまり友人、好意を持っていなければこうして飲みませんよね?」
ああ、と思わず私はガクッと項垂れてしまう。
そうか、そう来たか。たしかに間違ってはいないけれど、私の好意と和樹さんが考えている好意はまったくの別物なのに、和樹さんはその違いがわかっていない。
私は和樹さんが好きで、和樹さんも無自覚だったとしても私のことを想ってくれているはずなのに伝わらないんじゃ、いつまでたっても私たちの不毛な関係は進化しない。無変のまま堂々巡りだ。
――彼が鈍感なら、私が変えるしかない!
私はテーブルの下で両手をぎゅうっと握りしめる。女は度胸。当たって、もし砕けてしまったら、骨は……誰か拾ってくれるだろうか。
震えそうな声をグイッと一口ビールを飲み込み、なんとか押さえつける。口端についた泡を指で拭い取って、目の前の鈍感すぎる彼に向き合う。
「ねえ、和樹さんは本当に私の家の壁紙になりたいの?」
「え? えっと……その」
突然の私からの問いに狼狽した彼は、それでもなお「はい」と言葉を発しようとする。その答えが聞きたいんじゃない、とひっそり眉根を寄せた私は人差し指でそっと彼の唇を塞いだ。
「私は、和樹さんに恋人になってもらいたいの。壁紙じゃ困るなあ」
首をコテンと傾げて見せれば、彼はしばらく時が止まったかのように惚けた顔をする。
しかし次の瞬間、私のこれまでの言葉の意味がようやっとわかったのか、真っ赤な顔のまま掘り炬燵から勢いよく立ち上がろうとしてテーブルにその長い足を盛大にぶつける。
「ぃだっ」
彼の焦っていて、でも笑みをはらんだ悲鳴に一連の様子を眺めていた私は思わずクスクス笑ってしまう。
「やっぱり壁紙のほうがいい?」
意地悪くそう言えば、ぶつけた膝小僧を摩っていた彼はふっ、と笑みを浮かべ、私をまっすぐ見つめた。
「ううん。僕を恋人にして、ゆかりさん」
恋愛ぽんこつは逆転してるけど、執着のヤバさは無自覚なくせに……という。
この和樹さん、己の発言がどれだけ危ないか絶対自覚してないですよね。




