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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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351 だってニンニクが

 ゆかりさんが和樹さんとお付き合いしてようやく一ヶ月経つか経たないかくらい時期のお話。

 作務衣を身につけた店の店主がおまちどおさま! と威勢のいい声とともにラーメンをカウンターに配膳する。ゆかりの前にはチャーシュー麺、隣に座るスーツ姿の和樹の前には白湯麺にチャーハン、そして餃子が一皿美味しそうな湯気を揺らめかせていた。


「和樹さん、ほんとに食べますよねえ。どこに入ってるの?」

「僕くらいの体格の男なら普通だと思いますよ」

「えー、ムダなお肉にならないのに……」

「そこはそれ、体力勝負の仕事ですから。いただきます」

「わたしだって立ち仕事なのに……いただきまーす」


 割り箸をゆかりにも渡しながら、和樹はひょいと肩を竦めた。それもそうだ、と半分納得、半分はずるいという気持ちのままチャーシュー麺に向き直る。麺にしっかり絡まるスープがおいしいらしい。食べ歩きが趣味だという喫茶いしかわの常連客に聞いた高架下の古びた店舗の中で、揃って麺を啜った。

 スープの熱で脂が馴染んだチャーシューも、しっかり味が染みていて口の中で溶けるようにほぐれた。んー、と口を動かしながら感嘆の声を上げると、和樹はチャーハンをレンゲで掬いながら幸せそうだなあ、と笑う。


 閉店間際にやってきた和樹が夕飯がまだだと言うので、食事に誘ったのはゆかりだった。しかし世間はクリスマスの近い夜の街とあって、居酒屋は忘年会だの送別会だののサラリーマンでどこも多く、かといってバルやカジュアルレストランはカップルばかりという有様だ。


 今更カップルまがいの扱いをされることには慣れてしまったが、いつもの色気のないノリでスペインバルに二人で飲みに行き、傍のテーブルに座っていたカップルの女性が和樹を見ていただとかどうとかで、ケンカを始めてしまったことは記憶に新しい。しんと冷える浮かれた空気にナパーム弾を投げ込むような真似はしたくなかった。


 色気のないところにしましょう、火種を作らずに済むところ、とゆかりが提案すると

「僕たちも一応付き合っていませんでしたっけね」

 と、和樹は眉間を揉みながら難しい顔をしたが、ゆかりは笑って誤魔化した。


 なにしろ始まりは喫茶店の店員同士。離れて再会してからも喫茶店員と不思議な常連客という関係性を保っていたのだ。関係性が変わってから――「付き合ってくれませんか」「いいですよ、どこに行くんですか」というお決まりのやりとりはあったものの――やっとひと月なのだ。なんとなく恥ずかしいという乙女心を判って欲しい。そう告げると「男心も判ってください」とぶすくれられるので、沈黙を守った。


 並んで歩く道すがら、いつもの上等なスーツを着た和樹は冬らしく長いダークベージュのこれもまた高そうなロングトレンチコートと首に掛けるだけのストライプのマフラーを翻す姿が街頭のブランド広告なら抜け出たかと思うような出で立ちであるというのに、街角のラーメン屋のカウンターにも不思議なほど馴染んでいた。

 ゆかりが三分の一を食べる間に、和樹が注文したものはすべて半分以上は平らげられている。乳白色の白湯スープをすする和樹からちろりと視線を落とし、皿の上に残り三つとなった餃子を見た。自家製らしい皮から透けるニラの緑がつやめいて鮮やかだ。


 口の中に溜まった唾液に従って素早く箸を伸ばし、ひょいぱく、とそのまま自分の口の中に一口で放り込んだ。

「あっこら」

「美味しいーモチモチですねえ」

 頬を押さえて口を動かしていると、和樹は目を細めてゆかりの方に箸を伸ばした。そしてチャーシューを一枚奪い、そのまま食べる。

「ごちそうさま」

「あっ、ひどい!」

「ゆかりさんだって僕の餃子食べたでしょ」

「和樹さんのラーメン麺か味玉しかないじゃな……食べたあ!」

「そりゃ食べるよ、僕のだし」

「ひどい……とう!」

「こら、二個目!」

 咎めた口角をムッと下げ、和樹は再びゆかりのどんぶりからチャーシューを奪う。


 そんな攻防を繰り広げつつ食べ終え、二人は白い息を吐きながら店を出た。

「ひどい……和樹さん二枚も食べた。わたしは餃子二個だけなのに」

「おあいこじゃないの」

「チャーシュー五枚しかなかったのに、五分の二と六分の二じゃ、和樹さんの勝ちじゃないですか」

「勝ち負けだったかなこれ……」

 苦笑しつつ、和樹はゆかりの手を握る。それに拗ねたように見せていたゆかりは和樹を振り仰ぎ、そして眉尻を下げて甘く笑った。


 ゆかりの住むマンションへと駅から遠ざかる道は、居酒屋の並びと道をひとつずれるとあって人通りはあまりない。街灯と街灯の狭間で影を伸ばしながら和樹のごつりとした手を握るゆかりに、和樹もまた目元を緩めた。そして足取りをもふと緩めると、つられて止まるゆかりの方へ身を屈める。ゆかりへと影を落とした近付く顔に、はっと息を呑んだゆかりは空いた手で和樹の口を押しのけた。


「……ゆかりさん」

 普段は感情をあまり面に出さない和樹もさすがに不機嫌そうに眉根を寄せる。

「だって、さっき餃子食べたし……」

「僕も食べましたけど」

「だからもう! ちゅーがニンニクのにおいになるの嫌なの!」

 乙女心だ。男心は脇にうっちゃってほしかった。そんなものを気にしなくとも、和樹ならば顔面だけでお釣りがくるだろうが。


 ゆかりの言い分に和樹は小さく笑った。

「ちゅーってかわいい言い方しますね。えぐいちゅーしたら怒りますか?」

「なんでえぐいえぐくないの話になるんですか! しーまーせーんー!」

「どっちのニンニクかなんてわかりませんよ。同じの食べたでしょ」

「女の子にニンニクのちゅー強要するのもどうかと」


 ぐいぐいと手を繋いで立ち止まったまま再びの攻防に、身を引いたのは和樹の方だった。和樹もまた空いた手で自分のスーツの胸ポケットや内ポケットを探り、タブレットケースを取り出した。コンビニエンスストアでも買えるミントタブレットを、器用に片手でケースの蓋を開けて二つ取り出す。流れるような動作でひとつ自分の口に放り込み、もう一つをゆかりの唇に押し付け、柔らかなそこを指で割り開きながらタブレットを押し込み、自分は奥歯でがりがりと音を立ててあっという間に呑み込んでしまうと、にっこりとお手本のような笑みを浮かべた。


「食べました」

「え、ちょっと待って食べてるとちゅむぐ」

 視線を彷徨かせたゆかりの言葉をすべて聞かずに、今度こそ唇を塞ぐ。いたずらに潜り込んできた舌にまとわりついていたミントタブレットの欠片も、ゆかりの口の中でまだ形を保つそれも、同じシトラスミントの味と鼻に抜ける香りがした。


 お付き合いの時系列を考えると年末の話になってしまうんだけど、思い付いたらねじ込みたくなってしまったのです。


 ふっと「時間ができたから」と連絡をとってから連れ立って行くので、予約しなくてもするっと入れる夜ごはんできるお店ばかり。

 必然的にラーメンとか牛丼チェーン店とか居酒屋のカウンターとか、あんまり色気のないお店が多くなります。


 ゆかりさんは美味しいお店ならそれで満足ですが、和樹さんは「デートなのに……雰囲気……」って悶々としてます。


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