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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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349 服に阻まれた下心

 お付き合い開始から同棲開始前のどこかの話。

 勝手知ったるという足取りで、和樹は自宅よりも甘い香りのする脱衣所から部屋の中に戻った。

 特にこだわりもないため、シャンプーの類はいつも部屋の主であるゆかりが使用するものを借りている。

 この部屋に和樹が泊まるようになってから徐々に持ち込んだものといえば、ひげ剃り用の剃刀、スーツと私服が二着ずつ、そして今着ている下着や寝間着のTシャツとスウェットくらいだろうか。

 食器類は二人で買いそろえたために除外する。


 代わりに、二人で過ごす機会はゆかりの部屋よりも少ないものの、和樹の部屋も同様にゆかりの持ち物のスペースがある。こちらはコンディショナーや化粧品も少し置かれていた。


 かつて関係のあった幾人かの女たちは和樹の部屋で一晩過ごすことがあれば、ピアスの片方などわざとらしく何かを『忘れた』ものだった。それは次も部屋に来るための口実に過ぎない。

 だがゆかりに至っては初めて部屋に招いた後「コロコロありますか?」と、ベッドシーツを替えた後に掃除をする徹底ぶりに加え、前の晩にコンビニエンスストアで購入した歯ブラシすらもきちんと自分のカバンへしまう有様であったため、和樹はこの子はきちんと自分との関係を認識しているのだろうか、と、これまでの女たちへの冷めた認識を棚に上げて、歯ブラシは奪い返した。

 そして「次に使えばいいよ」と告げたときのゆかりのマジで? とでも言いそうな瞳ににっこり笑って理解させる方が先決だと出掛ける予定をキャンセルした。


 それは遠くに放り投げるとして。


 会える機会も電話やメールなどのやりとりも普通の相手よりも確実に少ないが、とにもかくにも、和樹とゆかりはおそらく比較的順調に交際を進めている。

 ゆかりは相手のことを考え言葉を飲み込み自分の中で消化するほんの少しの悪癖があったが、顔や声に出やすいことが幸いして、和樹が連絡を取ったときに気付けることが多い。

 それに最近は互いにどこか遠慮――どこまで踏み込むべきかの探り合い――もなくなり、軽い口ゲンカから甘えたり、ということも増えてきた。


 そして今日も、仕事がようやく一段落して久しぶりにゆかりの部屋にやってきた。翌日は代休だが、どうせなら今夜のうちからゆかりの顔を見ておきたいと、和樹は自宅に寄らずまっすぐゆかりの住むマンションを訪れた。久しぶりに定時での退社にゆかりに連絡を入れ、ドアを開けたところ即風呂を指差されたのは遺憾だったが。


 仕方がないので言われた通りシャワーを浴びて脱衣所を出ると、ちょうどその扉の前にある玄関からすぐのキッチンでなにやら用意していたらしいゆかりがきり、と眉を吊り上げた。

「和樹さんちゃんと湯船に入ってないでしょ!? なんですかもう、烏の行水みたいに。体からちゃんと湯気が出るまで出てきちゃダメです! やり直し!」

 びしりと風呂を指さされた。


 そして冒頭に戻る。


 もう調理は終えたのか、キッチンには洗われたばかりの調理器具がカゴに入れてある。そのままフローリングを裸足で進むと、既に一人暮らし用の小さな丸テーブルには二人分の食事が湯気を立てており、そのラグに直接足を崩して座るゆかりはお気に入りだというぬいぐるみと肌触りの良いクッションに抱きついていた。


「あ、今度はちゃんと温まりましたね! 顔色良くなかったの気付いてなかったんですか?」

 ここでそうだ、と頷けばややこしくなることを知っているので、和樹はわざと笑みだけ残して応えずにゆかりの隣に腰を下ろしながら「夕飯?」と、首を傾げる。

「お兄ちゃんが出張先からおいしいお魚送ってきてくれたんです。身がふわっふわなんですよ、これ。すっごくおいしいの」

 小さな女の子が大好きなあめ玉を分けてくれるときのようなぴかぴかの笑顔で、ごはんよそいますね、と腰を上げようとしたゆかりを、さりげなく腰に回した腕で押しとどめる。


「和樹さん?」

「うん、腹が減ってるし」

「だからごはん」

「うん」

 イイ笑顔を浮かべている自覚はあった。それを見たゆかりが、和樹と同じ方向に首を傾げてから、びしりと固まる類いの笑みをだ。


 ラグの上で足を崩しているゆかりは、むき出しのふくらはぎが白くまぶしい。膝丈の薄いイエローのフレアスカートは春らしい装いで、和樹はまだ見たことがなかった。喫茶いしかわに出勤していたはずなので、これにスニーカーの姿を想像してうん、かわいい。と和樹は胸中で頷く。

 笑顔のまま、ラグに手をついてずいと体を寄せると、ゆかりもまた引きつった笑みでちょっと体を引いた。


「あ、あの、和樹さん!? ごはん食べましょう、わたしお風呂も入ってないし!」

「僕は入ったから平気。ゆかりさんはいいよ、後で一緒に入ろう」

 だって、となおも言いつのろうとした唇をふさぐ。塞いだ柔らかな唇の向こうでなにやら抗議の声を上げられたが、それは密かに笑って黙殺した。薄く開いた唇から覗かせた舌先で、薄く柔らかな皮膚を堪能しながら、さらに体をゆかりの方に寄せ、ゆかりはまたずるずると背中の方に体が傾いでゆく。


「ね、かずきさ、まって……」

「んー」

「ん、もお……!」

 胸元をぐいぐいと押しながら顔を背けようとするが、和樹からすればかわいい抵抗だ。唇を尖らせる隙間から軽く舌を差し入れつつ、先ほど目に止めた白い脚に手を伸ばす。瑞々しい肌は少し厚い和樹の指の腹で撫でるとぴくりと跳ねた。

 ふくらはぎを辿り膝裏から膝頭、そして太股の前面に手を這わせる。そわりそわりと撫でると、口付ける向こうでふ、と鼻にかかった息が漏れた。そしてスカートはそのままめくり、きわどい縁に触れようとした不埒な指先はしかし、布地に阻まれる。下着ではなく、そのスカートにだ。


 片方の眉を上げて、唇を離す。手と、それを載せたゆかりの白い足をよく見ると、スカートだと思ったそれは足を一方ずつきちんと包んでいた。

 そして和樹が体を離した隙に、ゆかりはこれ幸いとばかりにばたばたとボトムを整え、僅かに後ずさり真っ赤な顔で膝を抱える。

「……スカートじゃないの?」

「違いますよ、スカーチョです」

「スカーチョ……」

 和樹は恨めしげに、ゆかりらしいパステルカラーのボトムを見遣った。


「そういう紛らわしい服、おじさんどうかと思う」

「和樹さん、もう寝た方がいいんじゃないですか」


 スカーチョ、最近見かける機会は減りましたけどなくなったわけではないので。

 ……というか、そういう名前がなかっただけでけっこう昔からありましたよね。


 和樹さん、あんまりしつこくするとゆかりさんに

「とっとと眠って理性をひろってきてください」

 とか言われちゃいますよ?(苦笑)

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― 新着の感想 ―
[一言] この和樹さんは、いくら恋人でもアカン気がする
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