347-3 ハッピー・ハッピー・イエロー(後編)
ゆかりさん視点で始まります。途中で和樹さん視点に切り替わります。
「ああもお、今日は疲れたよぉ」
その晩。
ゆかりはお気に入りのぬいぐるみにしなだれかかるように抱きついた。
風呂上がりで蒸気した顔を埋める。
マスターが分厚い牛肉に心を満たされるように、ゆかりにとっては肌触りの良いお気に入りのぬいぐるみに埋まることがストレス解消なのだ。
ごろりと仰向けになって、壁を見上げた。
ハンガーには、今日買ったばかりの新品のスカート。和樹が見立ててくれたものだ。
だめにされてしまったのはピーコックブルーのガウチョパンツだったが、彼が選んだのは正反対の、カスタードみたいな色のミモレ丈のフレアスカートだった。
シンプルだけど同じ生地で作られた太いリボンのベルトがかわいい。
「ほっほぉう、和樹さんは私のことこういうイメージで見てるのね」
と言ったら、にやりと流し目で言われてしまった。
「ええ。ゆかりさん、プリン好きでしょう?」
好きですよ、そりゃあもう。週二の頻度で出勤前のコンビニで買って店の冷蔵庫に入れているプリン、全部蓋に『ゆかり』って書いてるの知ってますものね。
プリンも好きだしプリン色のスカートもとてもかわいくて、一目で気に入った。
試着したら和樹がみるみる表情をゆるめて、うんと褒めてくれて、我ながらなかなか似合ってるかもと思ってしまった。
スカートをゆかりに履かせたまま和樹は会計に行ってしまって、きょろきょろと周りを見回したら、いつもゆかりが行っている店とは価格帯が三倍も四倍も違った。
慌てて和樹を追いかけたが、「素敵な服は人からプレゼントされたほうが気分が上がるでしょう?」なんてウインクされてしまった。
それはまったく正論だが贈ってもらう理由がない、と食い下がると、じゃあ先日ドタキャンしてしまったお詫びです、と言われた。そう言われるとなんとなく反論できない。
結局適当に誤魔化されてなあなあにされてしまって、新しいスカートを履いて清水珈琲店へ向かった。
マスターに指定された豆を買って、今月のおすすめだというコーヒーをいただいたら、これがゆかりの好みにぴったりとはまる味で、自宅用に個包装のドリップを五杯分ほど買った。
そのあとは解散して直帰だと思っていたのに、ちょっと寄り道をしましょうと言う和樹に連れて行かれたのは、最近見つけたというタルト専門店だった。
木目調と緑色を基調とした落ち着いた内装に、キラキラ輝く甘く煮たフルーツ。
否応なしに上げられた気分のまま四つもケーキを注文して、ゆかりは端から順に食べ比べをした。
すべて三口ずつ食べたところでお腹がいっぱいになって、残りは和樹がぺろりと平らげた。
強張って緊張した気持ちも、表情も機嫌も、なんだったら今朝以上にすっかり浮上してしまった。
熱くぬるりとした掌の感触が残った体はまだ少し気持ちが悪いけれど、もうハサミの音を聞いた時ほどの恐怖感はない。
なにからなにまで和樹に世話になってしまったけれど、なんだか申し訳なく感じることすら失礼に思えてくるのだ。だって、
「どのタルトも美味しそうで僕も迷ってたので、シェアできてよかったです」
なんて、優しい嘘をつかれてしまった。
そんなゆかりでも気付けるような嘘をついて、気遣ってくれていることをわかりやすく示すなんて。
心配そうに顔を覗き込んで、冗談を言ってはゆかりが笑う姿に安堵したり、おいしいものを食べて綻ぶ顔にほっと微笑みを浮かべるなんて。
腰を抱く腕の力強さや、掬い上げて握ってくれた手を思い出す。
同じ男性の掌なのに、あんな痴漢とは何もかも違う。
安心できて暖かくて、心臓をざわつかせる。
「はあ~~……すごいなぁ……」
大人の男だわ、あれはモテるわ、と思って、ゆかりは頭を振った。
左右にふるふると揺らしたら、空気がひんやりして涼しかった。
いや、そうではない。
頬が熱いのだと気がついた。
◇ ◇ ◇
先ほどの別れ際を鮮明に思い出しながら、和樹は溜め息をついた。
疲れの見えた笑顔。時々小さく吐く息。
少し連れ回しすぎたか、と反省した。
けれど選んだスカートは本当によく似合っていたし、買い出しのあとのケーキ屋も、下調べだけしていて行ったことはなかったが、大当たりだった。茶器や内装もゆかりの好みにぴったりだったようだ。
概ね喜んでくれた、のではないかと思う。
切り裂かれた服は念の為証拠物件として警察に提出しておいた。
何度かは警察や弁護士からの連絡があって大変だろう。
ちらりと見えたゆかりの素肌や、服の中に侵入していた手や、男の顔は、意識的にはっきり思い出さないようにしている。
ゆかりと別れ自宅に帰る途中で振動に気付き、ちらりとスマートフォンの画面を見る。長田からの着信だった。
ガードレールに腰を預けて、スマートフォンを耳に当てた。
急ぎの報告に対し、指示を手早く返す。
その後、スマートフォンを耳に当てたまま少し考え込んでいると、躊躇いがちな長田の声が聞こえた。
「……あの、和樹さん」
「なんだ?」
「昼間、駅構内で和樹さんが女性を泣かせていたという噂が」
「はあ?」
思わず上げてしまった声のボリュームを、慌てて落とす。
心当たり、というか、どう考えてもゆかりのことだろう。
なにが噂だくだらない、と思いながら、弁解も面倒で、端的に言う。
「失礼な。僕が警官なら検挙一だぞ」
「え? あ……あぁ、そうですか……訂正しておきますか」
「いい、どうせそんな噂すぐに消えるだろ」
警察官でもない自分には検挙実績など存在しないし、手柄もなにもないのだが。
それでもその言い方で、親戚に警察官がいるという長田にはすぐに事情を飲み込めたようだ。察しがよくて助かる。
では明日、と通話を切って、和樹はまた歩き出した。
次に喫茶いしかわに行ったときには、同僚に優しくて面倒見が良くて、泣いている女性に肩も貸せない和樹としてゆかりと顔を合わせるのだ。
和樹が考える男らしさとはずれていて、男として若干の情けなさを感じないわけではないが、彼女の感じた恐怖がすべての男への嫌悪感にならないことが最優先だと思い直す。
看板娘の笑顔を曇らせることは絶対にしたくないのだから。
えー、まずは気色悪いモブが出てきたことをお詫びいたします。
ハサミまで使うのは珍しいかもしれませんけど、痴漢そのものは珍しくもないのが嫌だなぁ。
最近は痴漢あるあるみたいに「痴漢に遭っても通報する余裕がない入試に向かう途中の高校生を狙う」なんて情報も出てますけど。
今は布から指紋やDNAを検出したりとか、手から繊維を採取して鑑定したりとか普通にできるそうですね。駅にもそういう採取キットが設置されてるっていうのはどこで見たんだっけ?
とにかく、科学すごいな。
ちなみにミモレ丈は、ふくらはぎ丈と思っていただければ大丈夫です。
そしてこのとき和樹さんがプレゼントしたスカートは「326 とある応援し隊員の思い出 Case10」でゆかりさんが気に入ってると口にした黄色いスカートと同じものです。という裏設定もちらり。




