342-2 給油所は冷蔵庫の中(後編)
コンビニ袋を片手にゆかりの部屋のインターホンを押す。可愛い部屋着のゆかりに期待を膨らませながら待っていると「はーいっ」という声とともにドアが開く。
「和樹さんこんばんは、ようこそ」
「こんばんは、お邪魔します」
風呂上がりなのかふんわりとした石鹸のいい香りが鼻腔をつくが、その香りと反して目の前には可愛いの真逆をいく小豆色のジャージを着用しているゆかりがいた。
「……ゆかりさん。似合ってます」
「生地もしっかりしてるし楽なんですよね」
「何となくゆかりさんはふわふわした部屋着を着ているのかと思ってました」
「そんな洗濯したらごわつきそうなやつ着ないですって」
見てる分には可愛いですけどね、と和樹のスリッパを用意するゆかりのジャージに『石川』と名前が刺繍されているのを彼は見逃さなかった。間違いない、これは高校の指定ジャージだと確信した。
「ゆかりさん、これコンビニで色々買ってきたんで良かったらどうぞ」
「わ! こんなにたくさん! ありがとうございます」
部屋に案内され、コンビニ袋を手渡しながら和樹は部屋を見渡す。いい匂いがするキッチンに目をやると、封の空いたビールのロング缶がコンロの片隅に置いてあった。ゆかりはそれを飲みながら冷蔵庫へスイーツやぬるくなった酒を入れていく。
「ビールで良ければキンキンに冷やしてあるのでそっちで乾杯しませんか?」
彼女の用意してくれたビールは和樹が購入したものと同じロング缶。それはもう天国へ誘うかのごとくキンキンに冷やされており、堪らず喉を鳴らす。
「じゃあお疲れさまでーす! かんぱーい!」
缶同士がぶつかると二人は豪快にビールを煽った。その冷えたビールの美味しさに和樹は身震いした。“最高!”以外の言葉が出てこない。冷えたビールの前ではどんな文豪も素人に成り下がるだろう。
「んーーっ! 仕事終わりのビール最高ですよね! おつまみも用意してあるので食べてくださいな」
テーブルの上に並ぶのは枝豆に唐揚げ、モツ煮込みに漬物、女子会というより金曜日夜の飲み屋のカウンターと言った方がしっくりくるラインナップだった。
「いまエイヒレとたこわさも出しますねー」
和樹は自分が購入すべきは可愛らしいプリンではなくピーナッツ入り柿の種の方だったのではないかと思い始めていた。
「ゆかりさんはカクテルとか飲まないんですか?」
「自宅では甘いのはあまり飲まないですね。大体、ビールかハイボール……たまに焼酎の水割りとか」
「焼酎……」
目の前でグビグビと美味しそうにビールを飲むゆかりを和樹はジッと見つめる。イメージとは大分かけ離れてはいたが、彼女が飲む姿は見ていて清々しい。彼も残りの缶ビールを飲み干した。
「いい飲みっぷりですねぇ。次は何飲みますか? レモンサワーもあるし、ストロング缶もありますよ」
「二杯目もビールがいいですね」
「了解でーす、よっこらしょっと」
「ちょっとゆかりさん。うら若い乙女にその掛け声は早過ぎますよ」
ゆかりは立ち上がり冷蔵庫に向かうが、年齢の割に漂うおじさん感に和樹はつい吹き出してしまった。
「何笑ってるんですか?」
「いえ、喫茶いしかわの看板娘は可愛いなと思いまして」
「すぐそういうこと言うんだからこの人は」
冷蔵庫からビールを取り出しながらゆかりは彼に今日の喫茶いしかわでの出来事を楽しそうに報告する。どうやら今日はかつてない程に忙しかったらしい。
「看板息子考案の新メニュー目当てに若いお嬢さんがこれでもかと殺到しまくったんですから」
「それはそれは、そんな日にお休みですみませんでした」
「でもお陰様で売り上げは絶好調でした」
鼻歌を歌いながらゆかりは飲み物をビールからハイボールに変える。しかし、すっぴんで高校ジャージを着ている彼女と酒を飲んでいると、何となく後ろめたい気持ちになる。きっと彼女の童顔のせいだ。
「それにしてもゆかりさん、その格好だと高校生にしか見えませんね」
「和樹さんだって似たようなもんじゃないですか」
私たち年齢確認コンビですね、とケラケラ笑いながらゆかりは赤い顔をしながらハイボールを水のようにグイグイ飲む。
「ゆかりさん、ペース早すぎですよ」
「ぜーんぜん大丈夫ですよ。しじみ食べてるから肝臓は丈夫なんですぅ」
「そう言う問題じゃなくてですね」
「ほら和樹さんも飲んで飲んでー!」
おぼつかない手元で彼女は氷の入ったグラスにたっぷりとレモンサワーの素を注ぎ、それを気持ち程度の微々たる炭酸水で割ると和樹へと押し付けた。
「それとも私が作ったお酒は飲めないって言うんですか? 私がカフェドリンクしか作れないとでも思ってるんですかー?」
「まったく……喫茶いしかわの可愛い看板娘はもう酔っ払ってるんですか?」
彼女が作った濃すぎるレモンサワーの味に一瞬舌が麻痺しそうになるが、酒は喉で味わうものだと一気に飲み干す。胃の辺りが熱くなるような気がしたが悪くはない。
「うふふふ。和樹さんもいける口ですねぇ。イケメンで何でもできてお酒も飲めるなんてそりゃあモテますよね。JKの気持ちも分かりますよ、私みたいなのが同僚でごめんなさいって思いますよ」
「何かあったんですか?」
ゆかりは肩肘をつきながら片手に持つハイボール缶を形が変わる程に握りしめた。
「口を開けばみんなして和樹さん和樹さんって、私だって喫茶いしかわの店員なのに悲しくなっちゃいます」
今度は汗をかいたストロング缶のプルタブを開けると、溢れそうな思いと一緒に喉を鳴らしながら魅惑の液体を流し込んだ。
「二人で買い出しに行くだけで炎上、側にいるだけで炎上、普通に働いてるだけなのに炎上してたらそりゃ酒も進みますよ」
「ゆかりさん、分かりましたから一旦水を飲みましょう。ね?」
「何言ってるんですか? 私という車に酒というガソリン入れて何が悪いんですか。お酒とは人生のガソリンです」
「何言ってるんですかはこっちのセリフですよ」
ゆかりからストロング缶を取り上げると和樹はそれを自分が飲んでしまった。なるほど、これは飲みやすいが悪酔いしそうだと思った。
「私のガソリン返してください」
「ダメです。これは僕がいただきますからゆかりさんは水を飲んでください」
問答無用とばかりに酒を取り上げられたゆかりは恨めしげに和樹を見た。代わりに飲んだ純粋な水は火照った身体を鎮火するが今の彼女には物足りなかった。
「私も飲みたい気分なんですけど!」
しかし彼は聞く耳を持たずにゆかりの酒の味に舌鼓を打っていた。
「僕も思い切り飲みたい気分だったんです。今日はやけに疲れました……」
「本業が忙しかったんですか?」
「えぇ、そんなところです」
彼は思い出す。デスクに山積みとなった書類に胃が痛くなるような報告のオンパレード。鳴り止まない会社の電話を前に何度電話線を引っこ抜きパソコンの電源を落としたくなる衝動に駆られたことか。
「和樹さんにも飲まなきゃやってられない日くらいありますよね」
「酒も適量なら百薬の長というやつです」
「じゃあ百薬の長にかんぱーい!」
「しょうがないですね、飲み過ぎは今日だけですからね」
二人は適量という言葉の意味も忘れて飲み続ける。一時間もすればゆかりは完全に出来上がっていた。
「牛乳の代わりにビール使ったフレンチトーストを喫茶いしかわの新メニューにしましょうよー」
「それならビールにアイスを入れてビールフロートの方が良さそうですね」
「わぁ、和樹さんはメニュー考案の天才ですね!」
「ゆかりさんの褒め言葉は最高です、そそられます」
「そんなこと言ってたら店が放火されちゃいますよ。あ! ビールで消火すればいいのか」
上機嫌に笑う二人の肩と肩が触れる。多量の酒のせいで思考が鈍くなっていた彼であったがその距離感に警告音が鳴る。
「ゆかりさん、男とはしっかり距離を保ってください」
「えー? 硬いこと言わないでくださいよ。私と和樹さんの仲じゃないですかぁ」
なー、と肩を組んでくる酔っ払いには何を言っても通じない。このまま流れに任せて一線を越えられたら楽なのにどんなに飲んでも酔わない彼の理性は待ったをかけるのだ。
「そんなことやってたら何されても文句言えませんよ」
「みんなの看板息子は無農薬野菜みたいに安心安全なんですー」
つまり、彼女の目に和樹は男として映っていない。それも無農薬野菜同等の安全性ときた。腹の奥で湧き上がる焦りに似た苛立ちに戸惑いを隠せずにいると、そんな彼の気持ちなど知らないゆかりは更なる追い討ちをかけてくる。
「もう遅いし今日は泊まっていってくださいね」
ふらふらの足で立ち上がると彼女は布団を一組ズルズルと引きずり出してきた。ゆかりは乱雑に敷いた布団に座るとポンポンと隣を叩く動作をする。誰がどう見ても隣に来いという合図だった。
「いつも頑張る和樹さんはお疲れでしょうから、不肖石川ゆかりが特別に寝かしつけてあげますよ」
戸惑っていると遠慮するなと言わんばかりにゆかりは和樹を引っ張り、無理矢理横にさせる。ひんやりとした布団が火照った身体には心地良かった。拒否しようと思えばいくらでもできるのだが、あえてしなかったところに己の未熟さを感じる。
「子守唄でも歌いましょうねぇ」
子どもをあやすかのように一定間隔でトン、トンと優しく触れる。彼の心拍数は上昇し、気分も上々といったところだった。そのうちHeyDJ! と音楽が流れてきそうなほど、心の中に重低音が響き渡る。そのうちに彼女の優しい声が地獄のような子守唄を紡ぎ始めた。
「いーいーないーいーなー。かーずきさんっていーいーなー。かわいいJK 美人なOL、かーずきさんの出勤待ってるだろなー。私も行こーう、喫茶いしかわへ行こう。えんえん炎上しちゃってバイ・バイ・バイ」
「ちょっと待ってくださいゆかりさん。そんな過激な子守唄じゃ僕眠れません」
「あ、二番も聴きますか?」
「結構です」
残念そうにそっぽを向くゆかりは正座していた姿勢を崩し、そのまま和樹の隣へと横たわる。
「少し妬けちゃいます……」
「それは僕にですか? ……それともお客様に?」
背中から聞こえる熱を含んだ声に恐る恐る質問をする。しかし、返事はなく代わりに規則的な寝息が聞こえてきた。
「はぁ、まったく……このタイミングで寝るとはいい度胸してますね」
ゆかりに布団をかけてやると、テーブルを片付けるために立ち上がる。明日、和樹は喫茶いしかわの遅番に入る約束をしている。酒も思い切り飲んだことだし、さすがにもうお暇しなければならない。一歩足を踏み出すと左足首に違和感を感じた。
「あ、ゆかりさん……」
彼女の手が逃がさないとばかりに和樹の足首をしっかりと掴んでいたのだ。その光景だけ見ればただのホラー映画のワンシーンである。
「ダ、メですよ……たまにはJKじゃなくて私にも構ってください……」
「それじゃ僕がいつもJKにかまけてゆかりさんを放っておいてるみたいじゃないですか」
もう一度、布団に戻りゆかりの隣に横たわると和樹は眠っているゆかりの手をとった。
「安心安全の和樹でいてあげるのは今日だけですよ」
そっとその手に唇を落とすと彼もそのまま夢の世界へと旅立っていった。翌日、頭痛を伴いながらゆかりの部屋から朝帰りする姿を目撃され、質問攻めに合う未来が待っていることなど知らずに二人は仲良く幸せな夢の中を彷徨っていた。
話の展開上、後編がちょっと長めになってしまいました。
高校ジャージに童顔看板娘。それは年齢相応に見えてしまう背徳感があるとは思います。
が、逆に高校ジャージ着用の熟女は、それはそれで違う背徳感が湧きそうですけどねぇ?
実は和樹さんは和樹さんなりに女子に夢を抱いていたけれど……というお話でした。
結局はゆかりさんならなんでもいいんですねっていうオチ。
これに限らず「どこのファンタジーだよ」って女の子の話はいっぱい聞きますよね。
体型とか体重とか性格とか暮らしぶりとか……そんな幻想世界で生きてたら、そりゃ二次元しか愛せない人たくさん出てくるよねって納得したのは何十年前の話だったかな(苦笑)




