34 風変わりな試食会
8月下旬から9月上旬の半月ばかり、喫茶いしかわには特別メニューが現れる。
豚汁の横に添えられるのはアルファ米の五目炊き込みご飯。
離乳食になる乾パンミルク粥。
サバ缶とヤングコーンのオイスターソース炒め。
エトセトラ、エトセトラ。
そう。
防災用品……というか保存食を新しい物と交換して食べるとき、せっかくだから皆で持ち込んでおしゃべりしながら食べようじゃないか、と始まった試みが、いつからか定番イベントになったのだ。
常連のおじいちゃまやおばあちゃまのお話がきっかけだ。
「あるは米ってのは、水で戻せるのはええが、ものすごく時間がかかじゃろ。戻している間に忘れて、別のごはんを食べてしまう」
「私も、この前テレビで“災害のとき水でも食べられるようになってる”って聞いて、暑いから水で戻したきつねうどんを食べてみようとやってみたんですよ。そしたら作ってるの忘れちゃって。気付いたら3時間経ってて戻しすぎになってました」
そんなエピソードがいくつも披露され、揃ってため息を吐いていたのだ。
だったら喫茶いしかわで食べればいいじゃない。
軽いノリでマスターが放った一言がきっかけで、保存食イベントが始まったのだ。
とは言っても、いつもは食後に出すコーヒーを先に出して1時間待ってもらい、豚汁セットのごはんをお客様持ち込みのアルファ米にするとか、そういう対応だ。
たまに、たこ焼きだのケーキだのの風変わりな缶詰を、試食だとひとつの缶を皆でつつきあっているところは見かけるが、そこは黙認している。
メニューががらっと変わるわけではないし、お代もきちんといただいている。
普段との違いは、どうしても客の回転が落ちるので、原則相席になってしまうことだろうか。
保存食にするレトルト食品の賞味期限などを考えて、今はだいたい3ヶ月に一度開催しているイベントだ。
乾パンミルク粥などは、赤ん坊連れの親御さん(特にママさん)に好評だ。
もちろんレシピを知っていれば自分でも簡単に作れる。だが。
ひとに作ってもらえて。
調理中は奥の座敷で横になれて。
普段はろくに育児に参加せず子供の世話に慣れていない旦那がおろおろしていたとしても、店の常連客であるベテランママやレジェンドママたちのサポートがあって、昼寝中の自分にいちいち声をかけてこない。
わずかな時間ではあるが、とにかく気を抜いて休める。
これが好評なのだ。
粥を食べさせながら、同じ時間に喫茶いしかわに居合わせたママ友同士で情報交換する姿もよく見かける。
イベント中はどのテーブルも相席だから、初来店した人でも知らない者同士でテーブルを囲むハードルが低くなっているらしい。
シングルで子育てするパパやママも、公園の輪には入りにくくてもここなら入りやすいらしく、予防接種の話などをしているようだ。今度の休みの日に公園に連れていくので、よろしくお願いしますとあちこちにご挨拶している。
店の常連ママさんが豚汁を食べながら「ここは離乳食のリクエストも聞いてくれるし幼児でも食べられるおやつを出してもらえるから、よく息抜きに使わせてもらうのよぉ」なんて宣伝してくれている。
独りで抱え込みすぎてボロボロになって泣き出すくらいなら、喫茶いしかわを駆け込み寺にすればいい。
周りにはたくさん、助けてくれる人がいるって、気付いてくれればいい。
ゆかり自身も、お店と常連客に助けられて子育てをしてきた。
デカフェ商品を増やすなど、小さい子連れの親御さんが来店しやすいように、少しずつ店を変えてきた。
そんな緩やかな変化を、地域で見守ってくれた。
できることは少ないけれど、それでも。
顔見知りですらなかったご近所同士が顔見知りになり。
顔見知りになった個人商店の利用客が増え。
子供が顔と名前を知る大人が増え。
孤独な老人が減る。
そうやって、人の輪が少しずつ広がっていく。
これも地域で子供を育てる、ひとつの形になればいい。
今回も、保存食イベントはとても好評だった。
次回は11月下旬から12月上旬に開催予定です。
たくさんのお客様のお越しをお待ちしております。
防災の日(9月1日)にはちょっと遅れましたが、まだ防災週間(8月30日~9月5日)の期間中だし、セーフでしょ!
喫茶いしかわさんなら、こういう展開もアリかなあと。
ご都合主義でもなんでも、ここは日常の皮をかぶったファンタジー世界ですし、座敷わらしが常連客なお店ですし。
このくらいのラッキー展開はアリであってほしいのです。
現実世界でも、こんな好循環がうまれていればいいんですけどね。




