333 セント・ヴァレンタインの見返り
和樹さんだけが自覚してた頃のおはなし。
「で? 今度は一体なんなの……?」
いつもの喫茶いしかわで小さな常連、飛鳥がうんざりした顔でアイスコーヒーのストローを諸悪の根源であろう和樹に向けてピッ!と指した。
「えっ? 見てわからないかな?」
「こーゆーのよくわかんなーい! 喫茶いしかわにもおゆうぎ会があるの? 今度は喫茶いしかわで『勇者カズキ』でもやるの?」
「ははは、おゆうぎ会ではないかな? あと、ストローは危ないしお行儀悪いからやめなさい」
プラプラと揺れるストローを丁寧に押さえると、和樹はにこやかに飛鳥の問に答えた。
「バレンタインだよ、『喫茶いしかわ版バレンタイン』」
二ヶ月前のクリスマスにゆかりが身に着けた司祭服に帽子、聖釈を持ったこの店のマスターと、青と白がベースのロングコートの近衛兵のような軍服を来た看板息子。
『似合うだろう?』と己の顔面偏差値とハイスペックなスタイルをフルに生かしベストマッチに軍服を着こなした、普段よりキラキラ度マシマシ、シロップ大量追加なあざとい彼がにこやかに首を傾げた。
この人ホントアラサー詐欺だね。飛鳥はその言葉をひっそり飲み込んだ。
セント・ヴァレンタイン。
その昔、ローマ兵士の士気を削ぐと言う、言いがかりも甚だしい理由で結婚を禁止された時代があった。日本のペット大好き! 生類哀れみの令並の暴挙である。
嘆く彼女持ちのリア充達。湧き上がるボッチ達。所謂『ボッチの乱』『権力を持った非モテの逆襲』『実在したリア充爆発事件』『皇帝陰キャ疑惑』である。
そんな殺伐とした世の恋人たち(リア充)のために立ち上がったヴァレンタイン司祭が、彼らのために内密に式を取り仕切ったが故に……その咎により処刑されてしまった涙の日。
「ま、衣装は今回は見た目重視だから時代背景は無視したけど中々だろう?」
「あー、まぁ、……今回はゆかりお姉ちゃんが司祭じゃないんだ?」
カウンターの中でテキパキとバレンタイン限定を、チョコレートのルーツでその昔イタリア貴族にもてはやされたドリンク『チョコラータ』とビスキュイセットを用意するウェイトレスを伺う。
「スタッフ三人ともコスプレなんて作業効率悪いしゆかりさんは今回は裏方さ。バレンタインは甘い面ばかり目立つけど結局は司祭の……ぶっちゃけ『命日』だからね? ゆかりさんにそんなことさせられないよ。ちょっとそれっぽくメイド風のワンピースは着てもらってるけどね?」
ははは、福眼福眼!
……にこやかに笑うが、マスターはいいのか、マスターは。
しかし、彼の目は一切笑っていない。
飛鳥は誰にも聞こえないようにぽつりと呟く。
「どーせ、ゆかりお姉ちゃんに他の女との結婚を祝福されたくないからでしょ?」
あと、浮足立つ野郎の目から隠したいのが本音だろう。なんせゆかりは元からの常連はじめ、新参常連になった近隣オフィス勤めのサラリーマンたちに大変人気があるからだ。
「……にしても、今日は見事に女性客ばっかりだよねぇ」
チロリと店内を見渡せば、本を読むふりをして控えめに、または遠慮なくガン見で和樹を熱く見つめる女性客で溢れかえっている。
大盛況の理由は言わずもがな。
今年はバレンタインイベントの目玉としてコスプレした看板息子と『結婚式』の即興劇を喫茶いしかわにて行なうと告知をしたのだ。
開催はバレンタイン前の土日と当日の三日間。
午前、午後の一日二回、事前くじ引き当選者は軍服和樹を相手に約五分間の夢を見られる。
案の定、告知ポスターの前で喫茶いしかわは阿鼻叫喚の修羅場と化した。
二月の上旬にセットメニューを注文した女性客に配られた『番号』。
それを巡り狩りをする雌ライオンと化したJK、OL、マダム、その他諸々の、砂漠を生きる肉食系女子の恐ろしい戦いが、甘ったるい空気を切り裂き喫茶いしかわ店内の至るところで散見された。
キラキラしたネイルは女子力(物理)なのである。
抽選日は朝から番号を手に出待ちのように喫茶いしかわに並び、受験番号の合否発表の会場のような空気の女性客たちに、ご近所商店街の常連オジサマたちは『宗教みてぇだな』とドン引きして早々に引っ込んでしまった。
「和樹さん、よくOKしたよね?」
「ん?」
「だって、知らない女の人とフリでも結婚式をしようだなんて。誤解してストーカーとか大量発生しそうだなって思って」
すると、ああ! と飛鳥の懸念に気がついた和樹がいつものスマイルと共に腕を優雅に組むと自信満々に告げた。
「僕ね、記憶力と目がすごく良いんだ」
「え?(何? いきなりの自慢)」
「うん、だから、記憶力と目がね」
「あ! あー、はい。なんか、うん……うん。そっか」
飛鳥は益々死んだ目で和樹から目を逸らした。
当選発表は当事者であり恨みや八つ当たりを買わない彼が担当した。もちろん、くじを読み上げたのも彼だ。結果は
土曜日『二歳の双子姉妹』
日曜日『サクラちゃん』『大島のおばあちゃま』
当日『常連さんの柴犬の柴さん♀』
計五名。まったくもって無害である。
既に当日の柴犬の柴さんまで即興劇を終えた和樹は、現在、軍服の裾を軽やかに翻し、にこやかに接客に勤しんでいる。
『つまり、配布した客の顔と番号を、渡した時から全部覚えてたって訳ね』
なら、不可のない人間の番号だけ箱の中で避けときゃ良い。この人選は和樹による人為的策略の結果だろう。万が一、トラブルで混入しても、おそらくは長い軍服の、隠しやすい飾り袖の辺りにでも仕込みがあったんだろう。
和樹さんのことだから、マジックも得意そうだなぁ……なんて遠い目にならざるを得ない。
写真はNGだけど、頭に綺麗なベールカチューシャと寸劇で使ったミニブーケを貰って、キラキラした女の子の笑顔で嬉しそうにゆかりに見せていたサクラや大島夫人を思えば、これで良かったんだろう。
柴さんも造花の付いた首輪に犬用オシャレケープを着て、入り口で楽しそうにはしゃいでいたし、土曜日の双子ちゃんに至っては天使だった。父親は泣いていた。
バレンタイン当日の今日、午後の最終枠は平日の夜のため、当日枠としてその日の劇の直前に『当たり』を引いた女性客が対象となるが、はてさてこの男、何を企んでいるやら。
「それに、開店前にゆかりさんとリハしたんだよ。……可愛かったなぁ」
「へっ?」
「だから、可愛かったなぁ」
思い出したように口元を白い手袋を嵌めた手で覆い、漏れる忍び笑いを噛み殺す。
「二回も言わなくていいよ。和樹さん、それが狙いだね……」
開店前に何だかんだと口八丁手八丁でゆかりを丸め込み、彼女を花嫁に見立て『結婚式』のリハーサルを毎朝実行していたんだろう。
この男のことだ。一日二回、たった数分の寸劇の為に、「トラブルシューティング」を口実にねっちょりべっちゃり……さぞ時間をかけたに違いない。
軍服にクラシックメイド。誂えたように、しっくりと一枚絵になったはずだ。
「ほら、色々試したかったから。ね?」
なんせ、ゆかりではなくマスターを相棒に、身切りしてまで喫茶いしかわの売上高に貢献するのだ。
そこに旨味がなければ誰がこんなチャラついた真似するものか。
ふっ、ふふふ
とうとう堪えきれない笑いが指の間から漏れ聞こえ始めた。
「やりたい放題だね和樹さん」
この後、最終の花嫁役を決める前に、和樹さんの着信が店内に鳴り響き、彼は女性客の絶叫とゆかりの焦り声を背に喫茶いしかわから飛び出して行った。その電話がアラームと時報のコンボだったのは、その時和樹さんのお隣にいた飛鳥ちゃんだけの秘密だ!
閉店後、何食わぬ顔で飄々と帰ってきた和樹さんは、「花嫁セットが勿体ないから」ってゆかりさんにいい笑顔でにじり寄っていたよ! このアラサー、本当に怖いね!
前日の閉店作業中にこっそり喫茶いしかわに設置したという監視カメラを回収した後、彼のPCに『お嫁さん』が新規作成されるまでが彼のバレンタインデー。
クラシックメイド風ワンピースか彼のポケットマネーな辺りに狂気を感じる飛鳥ちゃんが悪夢を見るまでが今年の喫茶いしかわバレンタインデーイベントであった。
くじ引きは……自衛手段としてはまあわからなくはないけれど、それ以外に関しては……ねぇ?(苦笑)
乙女ゲームだったらこれ、疑似結婚式に辿りついたキャラクターの各種スチルになってるんでしょうね。見てみたいな。
わんことかおばあちゃまとか。




