331 だからアナタはお留守番なんです
「えっ、嫌ですよ? 一人で行きます」
「なんで!?」
妻がバレンタインデーのチョコレート購入のために百貨店を梯子すると言う。
フェアはじめに二人であれやこれや試食しまくり、二月は普段入手できない海外ブランドの空輸のチョコレートや、日本各地の日本酒チョコレート、有名店の催事限定チョコレート、クッキー等をしこたま手に入れ、毎日楽しんでいる。普段お目にかかれないラインナップにゆかりと二人キャッキャウフフしながらそりゃあもう楽しんでいる。
最近ではスイーツ男子なる面々も現れ、甘い催事にも男性の出現率が上がっているが、ゆかりの夫は凄ぶる顔が良い。どんなに混み合っていても売り場のお姉さんたちからちやほやされ、たくさん試食を食べさせてもらえて妻は大満足である。
もちろん、バレンタイン当日には奮発して買ったアイスワインと二人で作ったザッハトルテをつつく予定だ。
ゆかりが僕のために内緒で買ったオランジェットも確認済み。
きっと当日のお弁当にそっと忍ばせてくれるに違いない。
なら、何故彼女はまた百貨店に行くのか?
お気に入りのチョコレートの補充=NO! まだ冷蔵庫にもふんだんに残っている。
喫茶いしかわ常連さんへの差し入れ=NO! 前日に、喫茶いしかわで客用チョコクッキーを作成予定。
僕の同僚、部下への差し入れ=YES! ピンポンピンポンピンポーーン!
「………………僕も行く」
「駄目です!」
「なんっっで!?」
「むしろ何でOKと思ったの!? 去年を思い出して、和樹さん!」
はて、去年……………………?
「?」
ん? 何かあっただろうか? 自他共に認める愛妻家の僕がゆかりの怒りに触れる『何』かが。
ポクポクポクポクポクポク……うーん?
「?」
分からないので、ハテナマークを飛ばしながらゆかりを見やると、信じられない! と戦慄いている。
「本当に忘れちゃたの!? 『塩大福事件』!」
「大福って、ああ、あれか」
ぷりぷり怒りを顕にする妻を宥めながら、思い出したようにあー、そーだそーだと頷く。
去年、一緒にチョコレートを買いに行った時のことだ。
「これは駄目」
赤いハートなんて、飢えた野郎共が勘違いするから。
「これも駄目」
オレンジなんて甘酸っぱい物、飢えた野郎……以下省略。
「論外」
いちごなんて甘酸っぱい……以下省略。
「無理」
酒入りなんて思考が低下して……以下省略。
「駄目」
入手困難なチョコレートなんて……以下省略。
「ありえない」
チョコレートなんて昔は媚薬だったから……以下省略。
で、結局は和樹のチェックをくぐり抜けた『塩大福』に行き着いたわけだ。
バレンタインデー当日、密かに期待していた義理チョコをもらうあてすらない面々は泣いた。そりゃもうガッカリした。
「なんでさ? いいじゃん塩大福。京都・出町柳の名店のだぞ?」
違う違う! そうじゃ、そうじゃない!
値段じゃない! エラい人にはそれがわからんのです!
義理以下じゃないか!
あんたは俺の母ちゃんか!
「しかも和樹さん、それを聞いて『やっぱり』って思った私が慌てて用意して江口さんに預けたアソートチョコ、粉砕したらしいですね!?」
『チッ、長田か?』
「こらっ! 嫌な顔しないっ!」
「はーぁい」
まさかそのことまでバレていたとは。あのチョコ大好きチョコレート野郎め。
和樹たちの上司・江口が奈良のチョコレート専門店のプレミア洋酒を使った生チョコレートを食べながら、和樹の部下らに投げよこした量販店のチョコレート。
江口が食べていたソレに見覚えがあった和樹は素早くチョコレートの出処を察し、いい笑顔でアソートチョコレートに拳を叩き込んだのだ。男達の夢を砕く拳はワンパンだった。
潰れたってチョコレートはチョコレート。
「ほら食えよ」
ニヤリと笑う魔王の姿を見て、部下は泣いた。
「とにかく! そんなことがあったんだから今年は和樹さん抜き! いじめダメ! 絶対!」
「喫茶いしかわの看板娘からのチョコは我慢するけど、ゆかりさん個人のチョコレートが野郎に渡るのは僕我慢できないもん」
むーりー! とダレながらゆかりに抱きついて離れない夫を必死に引き離す。
「そんな甘いセリフ言っても駄目だからね! ハウス! 和樹さんはブランくんとお留守番!」
義理チョコを求める男性のためのチョコレートはゆかりの肩に掛かっている!
この場に子供たちがいたら、さすがの和樹さんももうちょっときりっとしてたのかな(苦笑)
必死に対策考えるゆかりさん、今回は江口さんか長田さんにチョコ預けるときメッセージカードつけるんじゃないかな。
『もし夫が差し入れをダメにした場合はすぐ私にご連絡ください。緑の用紙を提出する準備がございます。 石川ゆかり』
なんて強い一言が書かれたカードが。
(ご存じかもしれませんが、緑の紙=離婚届のスラングです)
本当はもっと弱いものでも効力を発揮するだろうと思ってても、さすがに「いちゃついてあげない」なんて書けないと迷ったら、読まれてもあまり恥ずかしくない表現を探して、結果的にこうなりそうかな……と。




