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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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328-1 if~春にお付き合いを始めた場合の初デート~(前編)

 お付き合いを始めた時期が春だったら、こんなワクドキそわそわもあったのかなと。

 場面転換するタイミングで視点が変わるので、その点はお含みおきください。

「それでは、デートは来週にしましょう。二人の休みが合う、その日に」


 和樹がゆかりに「どこに行きたい?」と問えばゆかりは顎を人差し指でとんとん叩きながら目を瞑ってうーんと唸るという分かりやすく考えるポーズをして悩み始める。その姿が和樹の目にはとてつもなく可愛らしく映り、いつまでも待っていられるなと思わず目じりを下げた。そんな和樹はカウンターに両肘をついて、組んだ指の上に顎を乗せて、いまだ悩むゆかりを眺めている。

 そしてゆかりが出した答えは。


「隣町に最近できたショッピングモールに行ったことありますか? 映画館もあるし、気になるカフェもあるんです! どうでしょうか?」

 そう、にこにこ笑ったゆかりにつられて和樹も頬を緩めて笑みを浮かべる。陽の高い時間からプライベートで会えるのも嬉しいのだが、ゆかりの提案するなんとも可愛らしい初デートのプランに和樹は年甲斐もなく胸が弾むのを感じる。

 即座に「いいですね」と言葉を返したのだった。


 ◇ ◇ ◇


 約束当日の朝。

 ゆかりは姿見の前で悩ましいとポーズを構えていた。今日は鏡をじっと見つめたままなので、そのタレ目はぱっちりと開いている。体を右に捻り、そして左半身も鏡に映す。背中も見えるよう鏡から目線が外れない程度にめいっぱい、体を回しながら全身のチェックを怠らない。


 ふわりふわりとゆかりが体を動かすたびに揺れるミモレ丈の若草色のチュールスカート。その上には淡いラベンダーの鍵編み針ニット。ゆるっとした形なので上着を羽織るには向かないトップスだけど窓の外は雲ひとつない晴天で、テレビの中のお姉さんも今日は上着はいらないでしょうと言っていたのを思い出して、ゆかりは一安心と笑みをこぼした。


「あ、えっ! うそ!? もう出ないと……!」


 ふと棚の上に置いてある置き時計へ目を向けると家を出る予定時刻よりわずかに長針が過ぎていた。急いでコンパクトなブルーグレイのポシェットを肩にかけたら、ポシェットの色とお揃いのパンプスに足を包んで玄関の扉を開けようと手を伸ばす。そこで一度振り返って、ベッドの上にいるお気に入りのぬいぐるみに向かって、いってきます! と声を張り上げたのだった。



 待ち合わせは最寄り駅の広場にあるモニュメント前。元々、待ち合わせ時間の十五分程前につくよう予定していたので家を出たのが少し遅くなったくらいでは遅刻するほどの影響は出ない。それなのに和樹の姿はすでに待ち合わせ場所にあって慌てて和樹の元へ向かった、のはいいものの、和樹まであと数メートルというところでぴたりと足が止まってしまった。


 モニュメントを背に立つ和樹はとても目立つ。端正な顔立ちとか、背の高さや体格の良さとか、それから纏うオーラというか雰囲気というか。そういうものはよくわかっていたはずなのに、改めて彼を客観的に見るとどうしようもなく目を奪われてしまう。


 ひとつひとつのパーツがはっきりとして配置の整った目鼻立ち。時折さらりと風になびく髪。彼の身を包む、無地の白Tシャツにネイビーのジャケットはシンプルだからこそ彼の造形美を引き立たせる。黒のスキニーパンツは逞しい脚の形をはっきりと伝えているし、その先にある革靴が大人の余裕を感じさせるし、彼が目線を落としている文庫本にかかる武骨な指が妙に色っぽく見える。

 思わず少し離れたところから和樹をじっと見つめていれば、その熱視線に気付いたのか和樹の顔が手元からゆかりへと向く。目と目が合えば、その端正な顔に微笑みを浮かべた。


「ゆかりさん、おはよう」

 ぱたりと閉じられた文庫本に、栞を挟まなくてもいいのかしら、と疑問がわいたけどそれよりも気になることがひとつ。それは、周りの視線だ。ゆかりや和樹と同じように待ち合わせをしているのだろう人から駅へと向かう通行人まで。必ずと言っていいほど彼に注がれる視線。特に女性からの熱のこもったあまい視線。

 そしてゆかりに突き刺さる好奇のまなざし。彼の相手がこんな平々凡々な小娘ですみません、と謝りたい気持ちにすらなってしまう。自己評価が低いんじゃなくて彼が規格外のイケメンなのが悪いんだもん、なんて心の中でごちて、気持ちを落ち着かせようと試みる。小さく息を吐いて、こちらへとやってくる彼へと顔を上げた。


「ごめんなさい、待ちましたか?」

「いいえ。僕も来たばかりですよ」

 テンプレートの返しすら彼の声で奏でられると未知の言葉のように聞こえてしまうのだから不思議だ。


 さっきまで気になっていた周りからの視線が、和樹が自分だけをその目に映していると思ったら気にならなくなってしまった。なんだかゆかりを見下ろす瞳の中に、ほんのりあたたかな色が混じったような気がして、自分だけにしか向けない顔があるのかなと思ったら嬉しくなってしまったのだ。

 ──わたし、単純。

 その考えがあまりに気恥ずかしくて、絶対に気付かれたくなくて、電車に乗りましょう、と努めて明るく声を出した。いつもの元気な自分を引っ張り出して、赤くなっているだろう顔を隠すように和樹に背中を向けて歩き出す。


「待って、ゆかりさん」

 その声と同時にゆかりの右手が和樹の左手に取られた。びくりと肩を揺らせば隣の彼がクスクスと笑い声をあげる。その声色は揶揄っているというより、優しげな音をしていて、思わずちらりと彼の横顔を見上げた。和樹も同じ様にこちらを見下ろしていて目と目がかちりと合う。すうっと細くなった目が柔らかな光を帯びていた。それにゆかりもつられるよう、気持ちが凪いで緩やかに笑みがこぼれる。


「やっと、笑ってくれましたね」

 とてもとても嬉しそうに言葉を紡ぐから、ゆかりはそれに応えるよう繋がった手をぎゅっと握り返した。


 ◇ ◇ ◇


 可愛い彼女の手を取った和樹はご機嫌だった。


 付き合うに至るまでそれはそれは大変だったので、やっと陽の下で彼女の隣を堂々と歩くことができる奇跡にいつになっても感動してしまうのだ。こんな心を弾ませるような恋なんて、まるで学生のような青くさい恋なんて、この歳でするとは思ってもみなかったから。


 プライベートを重視してこなかった和樹の優先順位は仕事だった。誰か一人を特別な存在にするなんて考えはなかったし、そもそも切り捨てるどころか優先順位をつける必要すらないものだと割り切っていた。自分の弱点になり得るもの。そんなものを作る気はさらさらなかった、のに。彼女に恋をして、愛を見つけて、そのぬくもりを手にして、初めてそれが強さになることを知った。


 彼女は愛される人だ。本当は自分の手で護ってあげたいけど、たとえ自分にそれができないときでもきっと周りにいる誰かが助けてくれるだろう。例えば彼女を何かと天秤にかけた時、和樹が迷わずその何かを選んだとしても。

 それが彼女の平和に繋がるのであればより誇りを持って仕事に励むことができる。そして、彼女が僕を待っていてくれるのなら、何が何でも彼女の元へ帰りたいと思えるから、自分を大切にしようとも思えるのだ。


(なんて、今日は難しいことはなしだ)


 小さく頭を振って、雲ひとつない空を見上げた。


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