327-2 さくらふわり(後編)
「シフォンケーキ、どのくらい食べます?」
「たっぷり!」
「はは……」
ケーキナイフを手にして、和樹は慎重に刃先を動かす。この大きさなら、五センチの厚みを取っても問題はないだろう。ゆかりのための皿にはクリームをたっぷりと、シフォンケーキを埋め尽くすように盛りつける。自分のはその半分くらいにしておいて、味見程度のクリームを添える。
「わ、桜色のクリーム!」
「季節物ですしね」
「それに、桜の塩漬けを乗せたらどうかしら」
「塩っ辛くなりません?」
「お水ですすいだら大丈夫だと思いますよ」
「やってみます」
瓶詰めの桜の塩漬け。初めて見るそれは、ぎっしりと桜の蕾が塩漬けにされていた。フォークを使ってひとつを引っ掛け、まじまじと眺める。少し考えて、カレースプーンにのせて、水を与えると、ふわりと広がって花が咲いた。
「あ、きれいですね、意外と」
「それ飾ったら素敵!」
「そうしましょう」
クリームに添えて、仕上げる。
さすがに湯飲みは用意していないから、紅茶のカップに桜の塩漬けをひとつ、その上から緑茶を注ぐ。ふわりと広がる花びら、桜が咲いたと思える距離感。
「へぇ、素敵ですね」
「和樹さんのシフォンケーキもとってもいいですね。これ、食べてもいいんですか!」
「いいですよ、ゆかりさんのために焼いたから」
「!?」
そういう発言はダメです! と彼女は眉根を寄せる。
炎上騒ぎで顔写真がSNSに載ったことが相当堪えたに違いない。和樹も、仕事に差し障りがあるから困ったのだが。
「和樹さんは?」
「僕も食べますよ。初めて焼いたものですしね」
「では試食会ですね」
「ええ、先に食べましょう。きっともうすぐ、飛鳥ちゃんたちが来ますから」
「サービスするんですね?」
「ええ、彼女たちの意見は的確ですからね」
子供たちがくる前に、癒しのひとときを。和樹の思惑を知ってか知らずか、ゆかりはいただきます、と嬉しそうにシフォンケーキを切り取り、口に運んだ。
「うっわー、美味しい! 和樹さん、これわたし、大好きです!」
「……それは良かった」
「クリームもほんのり桜色で!」
「桜色に見えます?」
「ええ、ちゃんと! 春らしくていいですねぇ、これ。他の色もやるんですか?」
「うーん……そこまでは考えてなかったです、春だし桜っぽい色になればいいなって思って」
桜色。
春の色は好きだ、とゆかりが前に言っていたから。
彼女が、桜色は儚いけれど、とっても夢があって、優しくて好きだ、と言っていたから。
ゆかりはきっと覚えていない。
彼女は紅葉も好きだと言う。そもそも、彼女が嫌いなものはあまり思い浮かばない。
けれど、それは、和樹の心に深く残った言葉の一つ。彼の非日常な日常に。
「お茶もいただきます、うん、美味しい」
「これは僕は初体験なんですよね」
「ちょっぴり塩っけがあって、それがいいんですよ」
「へぇ……うん。不思議な味がします」
緑茶なのに、桜と塩の味がする。桜の味、というのはよく分からないのだが、明らかに、郷愁に似た感覚が残る。
「それが桜茶の味ですよ!」
自信満々にゆかりが笑顔を見せる。美味しいです、とシフォンケーキはあっという間に彼女の胃袋に収まった。
「美味しいですね、このお茶。ゆかりさん、ありがとうございます」
「どういたしまして!」
「シフォンケーキも……初めてにしては上出来でしょうか」
「満点です!」
「はは……」
笑ってしまうほど、彼女は和樹に甘い。
その笑顔を守りたい、と思う。
彼女がいつでも笑って過ごせるように。
それは、恋というには切ない感情だった。
恋ではないと言い聞かせて続け、少し軟化して、少なくとも片恋であるかもしれないと自覚をしてからは、半年を過ぎている。
「でも……」
「でも?」
不意に、和樹は「現実」に引き戻される。
ゆかりはカップをじいっと見て、困ったように顔を上げた。
「やっぱりコーヒー飲みたいかも!」
「アイスコーヒーにしますか?」
「あったかいのいれましょう。和樹さんがさっきしてくれたし、私が!」
「じゃ、お願いします。僕、その間に洗い物をしますね」
和樹はシフォンケーキ最後の一口を咀嚼してから言った。
「ゆかりさん、口元にクリームついてますよ」
「え!?」
「ここ」
「……!?」
カウンターの内側に戻って来た彼女の左の口元を、親指で拭う。
ゆかりはきょとんとして、それから、やだもう、と渋面を作った。
「子供みたいにしないでください!」
「はは、スミマセン」
もうっ! とゆかりは和樹から顔を背けて、コーヒーの支度を始める。
指先に残ったクリームをうっかり舐めてしまったことは、ゆかりには秘密だ。
桜色なら春っぽいなというのもあるけれど、ほわほわした薄いピンクは可憐で可愛いゆかりさんに似合う、みたいな思惑も和樹さんの奥のほうにあったりして。
和樹さんがその気になったら、よもぎ白玉に桜クリーム、なんて和スイーツも出してきそうです。
で、「うち喫茶店ですよ?」って困り眉のゆかりさんに言われて
「ああ、そうでした。ではいつもお世話になってるゆかりさん専用の賄いということで」
「い、いいんですか?(笑顔ぱぁっ)」
「ええ、もちろん(僕だけに向けてくれる笑顔、可愛い)」
この瞬間、和樹さんのHP/MPのゲージはMAXまで回復したことでしょう(笑)




