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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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33-2 赤い糸の行方(中編)(飛鳥視点)

 ひぃっ。


 私は、喫茶いしかわのドアを潜り現場を確認するなり、悲鳴を喉に張り付かせた。


「いらっしゃい、飛鳥ちゃん」

 私を出迎えたのは、もちろん喫茶いしかわの看板娘・ゆかりお姉ちゃん。それからカウンターに座る常連女子高生たち。中学・高校の下校時間にも関わらず他の中高生の姿はなく、それ以外の客の姿もなかった。

 喫茶店営業としては、もっと客入りが合った方が好ましいだろうが、今はそれどころではない。


 揺らめくゆかりお姉ちゃんの『赤い糸』が、異常事態警報! レッドアラーム発令中! なのだ。

 ただただ、ゆかりお姉ちゃんの『赤い糸』……に絡んでいた『赤い糸』を凝視する。

 それはまさしく「どうなった? どうした!?」と問いたい、問い質したい状態だった。


 糸は、満身創痍。瀕死の状態。もうズタボロだ。

 ゆかりお姉ちゃんの『赤い糸』に辛うじてしがみついてはいるものの、地に伏すのも時間の問題だ。


「どうしたの? 飛鳥ちゃん」

 錆び付いたブリキの様に不自然な動きの私に、カウンターの遥さんが少し怪訝に首を傾けた。私は、慌てて頭を振って彼女らに倣ってカウンター席に腰掛ける。


 私は、席に着いてとりあえずオレンジジュースをゆかりお姉ちゃんに頼み、『赤い糸』についてどう切り出そうかと思案する。

 他人に見えず、自分しか見えない物というのは、なかなか話題にし辛いうえに、普段と余り変わりないゆかりお姉ちゃんに心当たりがあるか分からなかった。

 三日前とは変わらないように見受けられる。

 『子供』の私に気遣った可能性も多分にあるが、彼女の笑顔に陰りはなさそうに見える。


「で、さっきの着信。何だったの?」

 人知れず唸る私に、ゆかりお姉ちゃんがオレンジジュースを出すのを見計らって、遥さんがカウンターに手を着いて身を乗り出す。


 え、何? と遥さんに視線を送れば、キラッキラと輝いた眼差しがゆかりお姉ちゃんをロックオンしていた。

「別に、遥ちゃんの気にすることじゃないわよ」

「あたしも気になる。ゆかりさん、さっきちょっと落ち込んでたもの」

 聡美さんの援護射撃も続く。じいっと探る聡美さんの視線にゆかりお姉ちゃんは、狭いカウンター内で半歩後退ったようだ。


 どうやら、私がたずねる手間が省かれた。

 餅は餅屋。良いところに顔を突っ込んだ。


「やっぱ、この前の合コンダメだった?」

「あれは数合わせだって言ったでしょ。って、遥ちゃん! 飛鳥ちゃんの前でそんなこと言わないの。変なこと覚えちゃうでしょ」

「えー。こんなんいつものことじゃん」

 私は身を竦めてジュースを啜る。そっちじゃない! 話を戻して!

 祈りを込めると通じたのか、お子サマは置いといて……と、遥さんがぽいっと何かを捨てるジェスチャーをして、祈るように両手を組み合わせた。


「大丈夫。ゆかりさんなら、次がすぐに見つかるわ。何だったら、私たちと一緒に合コンする? 姉さんの伝で、イイ男すぐセッティング出来るわよ」

「いや、だから違うの。さっきのは友達からで……」

「友達経由で断られたんだ」

「違います! 友達が、急に転勤になったってメッセージだったの!」


 ゆかりお姉ちゃんの申告により、遥さんはバッタリとカウンターに突っ伏した。つまんない。と溢す遥さんを、聡美さんが嗜めつつ、コーヒーフロートのアイスをスプーンで掬って口に運ぶ。


「そのお友達って、女の人なの?」

 『赤い糸』が見えている私は、それでは引き下がれなかった。友達とやらのメッセージと『赤い糸』の因果関係はまだ晴れてはいない。

 ポツリ溢せばガバリ甦るのは、三度の飯よりスキャンダル、もとい色恋沙汰が栄養の女子高生。


「男っ!?」

「飛鳥ちゃーん?」

 再び標的(ターゲット)にされたゆかりお姉ちゃんが、恨みがましく私を見つめてくるが、『子供だから分かんない』スルーを発動する。


「ゆ・か・り・さーん?」

 年頃のお嬢様にしては少々下卑た含み笑いで遥さんが迫れば、ゆかりお姉ちゃんは溜め息と共に両手をあげた。


「確かに、男の人だけど……」

「マジで! 何時から付き合ってんの!」

「ゆかりさん、お付き合いされてたんですね……。もう、話してくれたって良いんじゃないですか?」

「いやっ、だから、友達なの!」

「またまた~」

「友達の彼氏の友達で、よく四人で飲んでたの」

「二人きりで会ったことは?」

「あるけど、現地集合現地解散でした!」


 女子高生達の矢継ぎ早の質問に、ゆかりお姉ちゃんはキッパリ否定で返す。

 遥さんを筆頭に、懐疑的な眼差しがゆかりお姉ちゃんに集中するが、返答に嘘はないだろう。何せ、ゆかりお姉ちゃんの『赤い糸』に絡んでいた糸が、虫の息だ。


 もう、可哀想すぎるから止めてあげてほしい。ズタボロにした犯人が、まさかゆかりお姉ちゃん本人だなんて!


 私は『赤い糸』の先の、声も姿も知らぬ男に同情を禁じえず涙を堪えて、ストローを銜えた。


 不意に。

 ゆかりお姉ちゃんの背後に蠢く物が見えた。


 なっ……!?


 驚く私を気にすることなく『それ』は、無惨な『赤い糸』を更に鋭く抉っていた。

 私のこめかみから滲んだ汗が、頬の外側を伝って落ちていく。

 これは、一体。


「随分楽しそうだね」

 背筋に悪寒が走る。

 顔を上げるとバックヤードの扉から、先日の顔色悪すぎイケメンが顔を出していた。


「アレ? なんであんなところから出て来たの?」

「ちょっとマスターに裏で修理を頼まれまして」

 イケメンがにこりと笑顔で返す。

「ああ、ゆかりさん。先程バックヤードに置いてったスマホに着信がありましたよ」

 イケメンが、携帯をゆかりお姉ちゃんへと差し出した。


「もしかして! さっきの!」

「さっき?」

 遥さんの食い付きが最高潮に達している。ゆかりお姉ちゃんが、露骨に嫌そうな眼差しだ。余計な事を……と浮かぶ視線がイケメンに向かう。


「あの……何が?」

「男友達が、別れを直前に愛の告白を……!」

「だから違うってば!」


 ゆかりお姉ちゃんは、もおっ! と頬を膨らませると携帯のメッセージを確認する。しつこい遥さんの追撃を交わすつもりだったようだが、それを目にした途端首を傾けた。


「どうしたんですか?」

「うーん……さっきは、転勤の準備でもう会えない、ってあったんですけど、やっぱり会ってくれ……」

「それって、こ・く・は・く」

「ど、どうするんですか!? 受けるんですか? 受けたら……ゆかりさん喫茶いしかわ辞めちゃう!?」

「ないない」

 盛り上がる女子高生とは対照的に、頑ななゆかりお姉ちゃん。


「どうして言い切れるの?」

「だって好きとか言われたことないし、そういう雰囲気になったこともないし」


 それは、アンタがフラグクラッシャーだからだよっ!


 この場に集うゆかりお姉ちゃん以外の共通認識は、誰も口には出さず、生暖かな眼差しを浮かべるに止めた。


「何か……馬鹿にしてます?」

「いえいえ、まさか」

 ゆかりお姉ちゃんは納得いかなかったようだが、パンっ、と手を鳴らした遥さんが、それよりも……と唇を尖らせる。


「会えないって断っておきながら、会ってくれって言うのは、よっぽどのことよ」

 ぴしり。指を突き付けられて、ゆかりお姉ちゃんは唸る。

 何故? 何故なぜナゼ?

 視線を巡らすゆかりお姉ちゃんの視線は、ぴたりとイケメンのそれと重なった。


「不安……なのかもしれませんね」

 いつの間にか、ゆかりお姉ちゃんからバトンを受け取ったイケメンが遥さんに応えていた。

「旅行くらいならともかく、知らない土地に一人住み替えるのは、男でも不安はありますよ」

「なるほど! つまり、激励してほしいってことですね!」

 イケメンの答えに、ゆかりお姉ちゃんはやはり斜め上の着地点を見出だす。うんうん、と一人何か考え付いたらしい。

 くるん。とイケメンに向き直る。


「友達に声を掛けて、送別会を開こうと思います!」

「いや……ゆかりさん、一人だけにメッセージ送ったんじゃあ……ないかな?」

「遠慮したのよ。私は、いつも喫茶いしかわ上がりはほぼ直帰って言ったことあるから、たいてい暇だって知ってたし」

「案外近場かもしれませんよ。それなら、大袈裟にしなくても……」

「九州だって。熊本。遠いよねぇ」

 女子高生たちのフォローも虚しく、ゆかりお姉ちゃんは、すみませんちょっと外しますお客さんが来たら呼んでください。と告げて、バックヤードに引っ込んで行った。


 残るは、苦笑いを浮かべた女子高生二人、幼稚園児一人(わたし)、イケメン一人。あと、ボロボロに崩れ堕ちた『赤い糸』の残骸。

 残骸は、すぐに消えて逝くだろう。

「あーあ。ここまでトドメ刺さなくったって良いだろーに」

「無自覚だからね」


 私は、抵抗虚しくちぎれた『赤い糸』に少しばかり顔を青くした。

 細く鋭い糸の犯行の一部始終は、余りにも残忍かつ非情で、圧倒的だった。

 あんな強烈な『赤い糸』は、非常識極まりない。


「おや? お嬢さん、どうかしたのかい?」

 イケメンに声を掛けられて、がたりと私は椅子をならした。

 女子高生たちが「?」を浮かべつつ、心配そうに伺ってくる。

 ちょっと用事を思い出して……と適当に誤魔化して、私は一気に残りのオレンジジュースを飲み干した。

「じゃあ私、そろそろ帰るね。ゆかりお姉ちゃんによろしく」

 椅子から飛び降りて手を振れば、釈然としないまでも女子高生たちは微笑み返してくれた。


 カラン。

 ドアベルが鳴るのを聞いて振り返れば、イケメンの小指に結われた『赤い糸』が、しなやかに軽やかに揺らめいていた。


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