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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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326 とある応援し隊員の思い出 Case10

 新婚さんか、それに近い時期のお話。

Case10 デザイナーズブランドの店員・20代女性


 店頭の一番大きなテーブル。そこは商品が一番映える場所で新しく入荷した物や一番人気の物、あるいは売りたい商品が鎮座する場所である。

 その前にひとり。ある商品を手に取って悩んでいるお客様がいた。髪を横に緩くひとつに結ぶ、まんまるのおでこが可愛らしい女性だ。


 いま、手に持っているのはパールボタンがついた綿素材の春ニット。UネックとVネックの二つの種類があり、長さは腰のラインに届く程度のもの。ワンピースにはもちろん、スカートやパンツにも合わせやすい定番のアイテム。この店では毎年春近くになると出てくる定番商品で、毎年ボタンの形が違ったりクルー部分に装飾がされていたり編み方が変わったり色展開を変えたり様々である。


 今年はパールボタンでペールトーンの色展開になっている。ミルク、ピンク、イエロー、グリーン、グレーの五色の内、どうやら彼女が目を止めたのはイエローとグリーンの色だ。クルーの形はUネックに決まっているようで、先ほどから交互に持ち上げてその二色を極力まばたきをせず見つめ、一生懸命悩んでいる。


「お色味でお悩みですか?」


 わたしは無難なお声かけをした。この質問の返答次第で離れて見守るか、接客につくかという選択肢を選ぶのだ。わたしの働くこの店は量販店ではなく、デザイナーズブランドであり価格設定が少し高めなこともあって購入に踏み切るまで不安要素が多く接客をされたいと思う人が多い。まあ、話しかけるなと睨まれることもあるのだけれど。

 この女性はどちらだろうか、と笑顔のまま見つめていればはっとした表情を見せてこちらに顔を向けた。


「あっ、すごく迷っちゃって。どっちが似合うと思いますか?」


 かわいい。率直な感想だが、かわいい。

 困ったように眉を下げて笑う顔が本当に可愛らしい。ややタレ目だがぱっちりした瞳をぱちぱちさせて意見を求めてくる姿は幼く見えるので、自分より年下だろうか。学生さんではないだろうけどおそらく二十代前半なのは間違いない。


 彼女の身なりはネイビーのギンガムチェックブラウスを濃いブルーのスキニーパンツにインしてミルク色のロングカーディガンを羽織っていた。今日は春を越えて初夏に近い気温まで上がるとは言っていたものの、夜は急激に冷えるとお天気キャスターが告げていたので、その格好では寒いのではないだろうか。なんて疑問も沸いたが今はそこじゃないと目の前の彼女に気づかれない程度の動きで頭を左右に振った。


「そうですね。お客様は肌が白いのでどちらもお似合いなんですが、個人的には顔色が明るく見えるイエローのほうがより似合ってると思います。あとはいつもお召しになるお洋服との相性にもよるかとは思うんですけど……」


 今日着ている洋服であればどちらも合うし、あとはこのお姉さん次第だなあと心の中で思う。わたしの言葉にうんうんと頷きながら顎に手を置く仕草が計算ではなく天然での行動だろうなと思えていちいち可愛い。

 ふと、カーディガンは他に何色お持ちなんですか? と問いかければ、彼女は頭の中で記憶を探り始める。目を瞑って思案し始めた姿にちょっと無防備すぎやしないかと不安を覚えた。その時、パチっと目を開いて彼女は人差し指を顔の横にピンと上げた。


「他の洋服に合わせやすいようにって白とか黒ばっかなんですよね。赤も持ってるんですけど出番が全然なくって」

「他のお洋服だと何色が多いんですか? ブラウスとかワンピースとか。パンツ以外もよく穿きますか?」

「んー、ブラウスは白が多くて、ワンピースは色々ですね。白地に柄が入ってるものとか、グリーンもイエローも、スカイブルーもあります。あ、ネイビーも合わせやすくて多いですね。スカートも穿くけどパンツの方が多いかしら」


 でもスカート、黄色のやつ気に入ってよく穿いてるなあ。とぼんやり言葉が続く。

 すべての言葉を総合しても、黄色のスカート以外はペールイエローのカーディガンがよく合いそうだとわたしは判断する。正直どちらもお似合いだから好きな方を選んでもらってもいいけれど、より活躍するものを選んでたくさん着てほしい。その気持ちのまま、イエローのカーディガンを持ち上げれば彼女の顔が綻んだ。そのすごく嬉しそうな顔に思わず面食らう。こんな顔をするということは最初から答え決まってたのかな、なんて思ってしまうくらい。


「えへへ、本当は最初からイエローが良いなって。でも似合わないかなって思って悩んでたから選んでもらえて嬉しいです」

 こちらも嬉しいです、と力強く言ってしまいそうになりどうにか耐える。でも口の端はきっと上がってしまった。それくらいは許して欲しい。お客様の要望に沿うことができて喜んでもらえるのが一番嬉しい瞬間なのだから。


 お会計、とレジに移動しようとしたその時。彼女の後ろにひとりの男性が現れた。見上げるほどの身長にびっくりするものの、その先の顔を確認して思わず動きが止まってしまう。

 えっ、モデルですか。と問いたくなるほど顔の整った男性だったからだ。白無地のカットソーの上にダークブルーのジャケットを羽織りデニムのジーンズに身を包んでいる。そして左腕にはベージュのトレンチコート。そこで気付く。上着は彼氏さんだか旦那さんだかが持っていたのか、と。


「ゆかりさん、決まりましたか?」

「あ、和樹さん! はい、これです」


 その声に合わせてわたしはカーディガンを彼に見えるよう広げて見せた。それを見止めた彼が彼女と同じく垂れた目の形をスッと崩して微笑みを浮かべる。軽薄な印象を持たれそうな色彩を持つ彼のその表情に一途さが見えて思わず赤面してしまいそうになった。

 だって、その表情。あまりにも優しさと愛おしさに溢れているから。


「うん、かわいい。ゆかりさんに似合いますね」

 えへへ、とまた彼女が柔らかく笑う。たださっきと違うのは目元が赤く染まり少し照れているような表情。

 あまい、とてつもなくあまい。


 ちょっとこの場に居た堪れなくなっていると彼がふとポケットから折りたたみの黒い財布を取り出した。その中からお札を二枚抜き出し彼女の手へと渡す。あまりにも自然な流れで渡すものだから彼女もそのまま受け取りキョトンとした表情で彼を見上げていた。


「じゃあ待ってるからそれで買ってきて」

「ええっ、いいんですか?」


 渡されたお札に視線を落としてからまた商品に目を向けて今度は店内をぐるりと見渡す。ちょっと考える素振りを見せて、何か悩んでいるのか首を傾げて困ったように眉を下げた。自分で買おうと思っていたのに思わぬ提案に困惑しているという様子だ。それにこのカーディガンは安いとは言い切れない。現に最高額紙幣を二枚は用意しないと買えない値段のものであるし自分で買うならまだしも買ってもらうとなるとなんでもない日のプレゼントとしては高価だ。

 巡り巡って答えが出たのか、彼女は彼を再度見上げて手を伸ばそうとした。それとほぼ同時、いや彼の方が一歩早く言葉を紡ぐ。


「それはもうあげたので受け取りません。もしカーディガンを買わなくてもそれは君のものです」

「えっ、でも」

「受け取ったんだから使ってよ。そのカーディガン着てるところ見るのすごく楽しみにしてるから」


 言うだけ言って彼は踵を返し店内から出て行ってしまう。それを見ていた彼女はひとつため息をついてこちらへと振り返った。お願いします、との声にわたしは接客の時に貼り付ける笑顔ではなく心からの笑みを返した。


「優しい旦那さんですね」

 彼氏さんか、旦那さんか。どちらかはわからなかったけれど二人の左薬指に輝くお揃いのシルバーリング(いや、プラチナかな?)と二人の間に漂う空気感で夫婦かなと思い旦那さんと呼んでみる。

 もうひとつ浮かんだ理由はこの仲睦まじい二人が夫婦であればいいなというわたしの願望だったけど。


「わたしのこと甘やかしすぎなんですよ、あの人」

 旦那さんという言葉が否定されなかったので予想は当たっていたようだ。良かった。

 彼女はそう言いながらも嬉しそうに目元が緩んでいる。愛おしげにカーディガンを見つめる彼女と同じように目を向けて商品タグを点線にそって千切りながら、先ほど店頭から出て行った旦那さんの姿を思い出した。


「このカーディガンの色、旦那さんのコーディネートともよく似合いますね」

 さっきまではポンポン言葉が返ってきていたというのにわたしがそう言葉にしてから彼女からの返答がなくなってしまった。間違ったことを言ってしまったかと慌てて顔を上げれば真っ赤に染まった彼女の姿。あ、正解だった。その姿にふふと笑い声を溢せば彼女もつられて小さく笑う。


「そんな理由で決めたなんて、内緒ですよ、ぜったい」

 人差し指を唇につけてお願いする彼女の愛らしい顔をもらってしまった。そんな表情を見せてもらったのだからちゃんと内緒にしてみせます。と思いつつ素直な彼女のことだから、きっと彼には筒抜けになってしまうんだろうな。そう思ったら微笑ましくて仕方なかった。

 このあと、和樹さんの脳内のお花畑が大変なことになっていたのは想像に難くないですね。

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