319-2 とある応援し隊員の思い出 Case9(後編)
「中村さん、こちらおかわりのコーヒーです」
「ありがとうございます」
お礼を伝えると笑みを浮かべながらペコ、とお辞儀をしてカウンターに戻る彼女。
すると彼女の帰りを待ち侘びていたかのように彼は「ゆかりさん」と声をかける。
「先日ここに来た時に話していたお店の話、覚えていますか?」
「あ! あの、日本酒がとっても美味しいって言っていたご飯屋さんですか?」
彼女が続けて口にした店名は最近リニューアルオープンしたという創作料理屋。和モダンをテーマにした全室個室が売りの店内は回廊式で、店の中央にある大きな桜の木はライトアップされるとキラキラと光り輝いていた。
食に疎い私がなぜこんなに詳しいのかと言うと「女性客に大人気なんです!」とテレビ番組でリポーターの女性がテンション高く話していたのを、徹夜明けに眠れずぼおっと眺めていたからだ。
彼女の返事に彼は「そう、それ」と笑う。
しかし、いつも流れるような所作で音を立てずにカップをソーサーに戻す彼が、今はガチャと騒がしい音をたてた。
(これはもしかして、もしかすると……)
コーヒーを啜るフリをしてそっと視線を彼に合わせれば、カウンターの下の膝元に置かれた手は血管がうっすら浮き上がるくらい力いっぱいに握りしめられ、小刻みに震えている。
(間違いない!これは、デートのお誘いだ……!)
彼と彼女を見守り続けて早半年。
今時の小学生でももっと進んでいるはずの二人の関係性は、周りにいる私たちが「ああもう、じれったい!」と叫び出しそうなくらいゆっくりなものだったが、そんな二人の関係が遂に、遂に進展する……!
(頑張れ和樹さん! いけ、言うんだ! さあ!)
心の中で旗を掲げ、太鼓を叩き、力一杯の三三七拍子でエールを送ったのが功を奏したのか、彼は遂に口を開いた。
「ゆかりさんさえよければそのお店に一緒に」
「あのお店すっごく美味しかったです!」
ピッタリ重なり合った二人の声。
少し鼻のかかったふんわりアルトボイスと、よく響くテノールボイスのハーモニーは、それはそれは見事なものだったけど、でもそのハーモニーを聞くのは今じゃない。
今、絶対聞いてはいけない言葉が聞こえたような気がするけれど気のせいだろうか。
いや、気のせいであってほしい。
「……え?」
気の抜けたような彼の声に、彼もまた私と同じ想いであることを悟る。しかし、彼女が続けた言葉で私と彼の願いは突き崩された。
「この前のお休みにユキエさんと行ったんですけどね、何食べても美味しいし日本酒も飲みやすくて絶品! もうさすが和樹さんだなって! また、美味しいお店教えてくださいね」
ふふふ、と嬉しげに語る彼女は、
(なんで先に行ってしまったんだー!!)
と叫ぶことすら憚られるほどに、とても幸せそうだった。
「そ、そうです、か……」
(ああ、すごい落ち込んでる。肩がすごく落ちている)
来店した時はピンと伸びていた背筋も、自信に満ち溢れていたオーラも、今ではしおしおと丸まってしまい、見ているこちらが泣きたくなってしまうような、もの悲しげなオーラを漂わせていた。
「あれ。和樹くん、いらっしゃい」
奥のドアが開き、ひょこっと顔を出したのはこの店の店主。穏やかそうな風貌とは裏腹に、よく看板娘に冗談を言っては揶揄い「もう、マスター!」と怒られているお茶目な人だ。
「こんにちは、マスター……」
いまだ調子を取り戻すことができていない彼の声は弱々しく、それを聞いたマスターは「あ」となにかを察する。
彼女に気取られないようにサッと店内にいる私と老紳士に視線を向けてきたので『ダメです』と頭を横に振れば、マスターは苦笑いを浮かべた。
「あ、そうだ。ゆかり、バックヤードの備品チェック、お願いしてもいいかな?」
「はぁい。じゃあ和樹さん、ゆっくりしていってくださいね」
「ありがとうございます」
ドアの奥に彼女が消えていったことを確認したマスターは頬をかきながら「大丈夫かい?」と彼に向き直る。
「すみません、気を遣っていただいて……」
「いやあ、なんのこれしき。ゆかりはやっぱり手強いかい?」
「ええ、かなり」
再びカップに口をつける彼を見ながら、マスターは「まあ、へし折っちゃうもんね」とまったくフォローになっていない言葉を呟く。
だがしかし、その言葉の通り彼女は“へし折ってしまう”のだ。
彼に限らず、ご近所商店街の若い男性陣、休息のためにやってくる付近のビルにお勤めのサラリーマンなどなど枚挙にいとまがないが、これまでも数々の、いわゆるフラグというものが立っていたにも関わらず、彼女はそのすべてをことごとく無意識のうちにへし折ってきた。
そんな彼女の異名は『純真無垢なフラグクラッシャー』。
看板娘として、身持ちが固いのは大変結構なことだが、彼女を口説き落とそうとしている彼らからしてみれば、RPGの大ボス並に攻略が難しいのだろう。
「僕が手助けしようか?」
カップを布巾でキュ、キュと拭きあげるマスターの彼を見つめるその暖かな視線は、一生懸命練習をしている子供を身守るコーチのようだ。
「いえ、いつまでもマスターを頼るわけにはいきません。でも、お心遣い感謝します」
ご馳走さまです、とカップを戻した彼は席を立つ。すると、バックヤードに続くドアから「あれ」と彼女が戻ってきた。
「和樹さん、もうおかえりですか?」
「ええ、仕事に戻ります。その……コーヒー、とても美味しかったです」
少しだけ震える語尾は、彼なりに精一杯勇気を振り絞ったからなのだろう。
失礼な話だが、女性関係に困ったことがなさそうな風貌と立ち居振る舞いで、最初こそ「看板娘を誑かすな!」と文句を言いにいってやろうかと思っていたが、何度も通い詰める彼の姿を見ているうちに、彼の彼女に対する想いの深さにいつしか「頑張れ和樹さん!」と応援している自分がいた。
一途に喫茶店の看板娘にアプローチし続ける彼の姿に込み上げてくるものがあり、私はひっそりとハンカチで目元を拭う。
「ありがとうございます! またお店に来てくださいね……いつでも、待っていますから」
「……ありがとう、ゆかりさん」
柔らかな笑みを浮かべ、彼は「じゃあまた」と手をあげる。ベルの音を一つだけ響かせてドアの外へと消えていった。
(ああ、新作のアイデア出ししようかと思ったけど、この頭じゃミステリーじゃなくて恋愛ものを書いてしまいそう)
デビューからミステリー一本でやってきた私は恋愛ものなんて今まで書いたことないけれど、この二人を観察し始めてからというものの『恋愛っていいな』と思う自分もいたりする。
まあ、人様の恋愛を応援する前に自分の恋愛を頑張れって感じだが。
安定の旗折り姫なゆかりさんでした。
ちなみにこの中村さん、もの書きって名乗ってるからゆかりさんは「雑誌のライターさんとかかな?」と思ってますが、実はゆかりさんもシリーズ物を楽しみに読んでいるミステリ作家さん。
でも気付いてません(苦笑)
その後、和樹さんのほうが先に気付いて、中村さんの新刊が出る際にこっそりサイン本をお願いしてゆかりさんにプレゼントしてたりします。
カウンターでこれ見よがしに。
自分が書いた本をプレゼントされて無邪気に喜んでくれる可愛い読者さんを見られる中村さんもハッピーでWin-Winです。




