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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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319-1 とある応援し隊員の思い出 Case9(前編)

 お付き合い前の、ゆかりさんに粉砕される和樹さん観察記っぽいもの。

Case9 もの書き・女性


 歩道に面した大きな窓から入り込む温かな陽の光。その光に照らされながら啜るコーヒーの味は何よりも美味だと本気で思う。ほうっと小さく溜息をついて店内を見渡せば、一席あけたテーブル席に読書を楽しむ老紳士が一人だけで、静かに流れるジャズと時折ページを捲る音だけが響いている。

 ランチタイムを終えた店内はケチャップやソースの香ばしい匂いがほんの少しだけ残っており、それが先程までの盛況ぶりをこっそり教えてくれた。


「お待たせしました」

 カチャ、という音ともに視界に入ってきたもの、それは一年半ほど前に初めて登場したというにも関わらず、すでに大御所感を漂わせている人気メニューの『ふんわりパンケーキ』だ。

 お日様色のふわふわした生地に雪のように真っ白なヨーグルトソース、そこに甘酸っぱい苺のソースが色を添えていて、目にも鮮やかなそれに私の胸はときめく。

「美味しそう……」

 思わず溢れた言葉に「あっ」と恥ずかしく思う間もなく、桜色のエプロンをひらりと翻して彼女・石川ゆかりさんは笑顔を見せる。


「ふふ、ありがとうございます! いつも注文していただけて嬉しいです」

 その言葉に私は驚きのあまり目を見開く。

「え、私が注文しているもの覚えているんですか?」

「もちろん。いつもいらっしゃっているお客様の注文は覚えていますよ」

 記憶力だけはいいんです、となんてことないようにニコリと笑みを浮かべる彼女に、私は思わず舌を巻いてしまう。


 この町に住んでいる人間なら誰もが知っている『喫茶いしかわ』。少し前に雑誌に取り上げられてからはさらに新規客が増え、毎日繁盛していることは以前から通っている客なら誰もが知っていることだ。

 私もその例に漏れず。

 そんな喫茶店で看板娘として働く彼女は一日に何十人も相手に接客するというのに、その注文内容を覚えているというのだから、看板娘は伊達ではないと感心してしまう。


「それにお客様はいつもこの窓際の席に座られていますよね。美味しそうにケーキとコーヒーを召し上がっていただけるので、いつかお話してみたいなって思っていたんです。なのでお話しできて嬉しいです」

 えへへ、と照れ臭そうに髪を撫でつける彼女の観察眼と記憶力に私はいよいよ白旗をあげる。


 そう、彼女のいう通り私は混雑していない限りは毎回必ずこの席に座っている。

 仕事柄、人間観察をするのが趣味かつ癖になっている私には、店内を一目で見渡すことができるこの窓際の席はもってこいの座席なのだ。


「こちらこそ声をかけていただけて嬉しいです。私は中村、物書きをしています」

 立ち上がって手を差し出すと彼女はお盆を脇に抱え、慌ててその白い手を差し出してくる。

「わ、私は石川ゆかりと言います! って、常連の中村さんならもうご存知ですかね……」


 ギュッと握られた手。それは年頃の女の子にしては少しだけかさついていて、水仕事が常である飲食店勤務において、彼女がどれだけ一生懸命仕事に向き合っているのか、言葉はなくとも教えてくれる。

 お客様に愛される由縁に触れて微笑ましく思っていると、ドアベルがカランと軽やかな音を響かせた。

視線をそちらに向ければ、ライトグレーのスーツを一部の隙もなく着こなす美丈夫が、陽の光を背に受けながら現れる。

 美丈夫は、音もなく視線をこちらに向けてきた。


 彼の視線は一瞬だけ私と彼女の繋がれた手元を捕らえる。

 その瞬間、背筋に氷を当てられたかのような鋭い冷たさを感じ、息を呑んだ。

「っ!」

 しかしそれはほんの一瞬で、すぐに消え去る。え、と突然の出来事に混乱していれば私の隣にいた彼女は、彼に向かって花が咲くような眩しい笑顔を見せた。


「和樹さん! いらっしゃいませ!」

「こんにちは、ゆかりさん。ブレンド一ついただけますか?」

 彼は彼女に向かってふわりと柔らかな笑みを向ける。

「はぁい! 中村さんもゆっくりしていってくださいね!」

「ありがとうございます」

 タタ、と駆け出す彼女を見つめながら席につけば、カウンター席に向かう彼と一瞬だけ視線が合った。

 すると、今度は柔らかな笑みとともに小さく会釈をされてしまい、慌てて私も会釈を返す。

(まさか、ね……)


 甘いマスクから向けられるその笑顔は思わずドキ、と胸が高鳴るが、彼の場合うまく笑顔を使い分けていることを知っているので、私が勘違いをすることはない。

 今、私に向けられたのは間に一線を引いている“第三者”に向けられた笑顔だ。

 じゃあ、そんな見目麗しい彼が作り物じゃない本当の笑顔を見せる相手は誰なのか。

 それは、考える間もなく答えがすぐに提示される。


「お久しぶりですね和樹さん。二週間ぶり?」

「二週間と三日ぶりですね。少し立て込んでいまして」

 コーヒーカップを用意しながらのんびり訊ねる彼女と、食い気味に答える彼。彼がわざわざ数字を細かく修正していることに彼女は気づかず「そうなんですねぇ」とやっぱりのほほんと返事をする。


(ああ、すっごい笑顔……ものすごい笑顔だ)

 視線を手元に落としている彼女はきっと気づいていない。彼女を見つめる彼の視線と笑顔がどれだけ甘いものなのか。

 まるで、キャラメルとチョコを溶かして、そこにさらにグラニュー糖をふんだんに混ぜ合わせたかのような甘い甘いその視線は、彼女の一挙手一投足すべてを捉え、その度に愛しいと言わんばかりの笑みを浮かべる。


 ケーキを頬張りながら彼のあまりの熱視線に苦笑いを浮かべていれば、隣の老紳士もまた和樹さんの視線に当てられたのか、口端をムズムズと忙しなく動かしているのが目に入る。

(ですよね……)

 私は思わず同調してしまうのだった。


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