33-1 赤い糸の行方(前編)(飛鳥視点)
飛鳥と佳苗ちゃんは、夏休みの間、喫茶いしかわでお手伝いをしていた。
学校がなく子供たちが家にいる夏休みは、ゆかりお姉ちゃんのシフトが減る。そのぶんマスター夫妻が喫茶いしかわに揃う日が増えるのだが、いかんせんランチタイムなど手が足りなくなることもある。
そういうときに、少しだけお手伝いをするのだ。
ふたりともまだ中学生なので、あくまでもお手伝い! いいですね?
もっとも、春のうちから試用期間のように短時間のお手伝いはしていた。
喫茶いしかわで宿題だの受験勉強だのをしながら、夕方の、お客さんの多い15分とか30分だけ、フロアで注文をとったりお皿を下げたり洗ったり、ちょっとした買い出しを引き受けたり。
この店にいれば、常連客の高校生や大学生が勉強のわからないところを教えてくれることもある。
ふたりは、その短時間のお手伝いでアルバイト代をいただくのではなく、ここのコーヒーやケーキやパスタやサンドイッチ(バイト代相当)をおごってもらう形にした。
放課後は喫茶いしかわでが合言葉になりそうなほど入り浸った。
今日はマスターひとりでモーニングを回していたため、食器の片付けを手伝った。佳苗ちゃんも家族旅行で不在のため、私ひとりだ。
それが終わる頃、ゆかりお姉ちゃんがお客さまとしてご来店した。今日は家族でのご来店だ。
家族でちょっと遅めの朝ごはんを食べると、いちゃらぶ夫婦は子供たちを残して笑顔で出かけていった。
子供たちは夏休みの宿題をがさごそと取り出す。今日は絵日記を片付けるらしい。
「……飛鳥お姉ちゃん」
「なに?」
「お父さんとお母さんの赤い糸って、最初から……っていうか、飛鳥お姉ちゃんが見えるようになった時からあんなふうだったの?」
私は“あんな” 呼ばわりされる糸を思い出し、苦笑する。
「違うよ。後からああなったの」
真弓も進も、目を見開いている。まあ、そうだろうな。あれが普通になった後の姿しか見ていないだろうから。
◇ ◇ ◇
「あれ? 何かあった、ゆかりお姉ちゃん?」
彼女の小指から垂れる『赤い糸』を見て、思わず私は問い掛けていた。
数日前にはただ揺れていた糸に、どこからともなく延びてきた別の『赤い糸』が絡んできていたのだ。
『赤い糸』は、運命の糸。
ゆかりお姉ちゃんには、今までも何本もの糸が寄って来ていたことはあったが、ここまで積極的な糸は珍しい。
少なくとも私は初めて見る状態だった。
「……この間の、ごうこん? だっけ? 上手くいったの?」
「ちょっ、誰から聞いたの? 聡美ちゃん……じゃないわね。遥ちゃん? もう。飛鳥ちゃんに何言ってるのよ~」
えーえー。そりゃあ愉しそうに話してましたよ。
今度イケメン揃えるから、私達もやらなーい? とか……そんな不要なことは、もちろん口には出さない。
アハハと曖昧に笑って、ミックスジュースをストローで啜る。
「お姉さんは、お友達とお食事会に行っただけよ」
「ふぅん。じゃあ、特に良いこととかなかったの?」
「お料理は、美味しかったわよ~。あのハンバーグ、うちで再現できないかしら?」
“お食事会”とやらを思い出し、人差し指を顎に当て唸るゆかりお姉ちゃんに、私はそっと苦笑する。
ここまで絡む『赤い糸』なら、それなりに好意を寄せられていて、ゆかりお姉ちゃん自身も好感を持っているはずなのに……さすが安定の鈍感さ。
ゆかりお姉ちゃんは喫茶いしかわの自慢の看板娘なのだから、もうちょっと機微の察知能力を保持してもらいたいと思うのは酷なのだろうか?
ま、何にせよ。
「良かったね。ゆかりお姉ちゃん」
「飛鳥ちゃん? ねえ、なんでそんなに生暖かい眼差しなの?」
ゆかりお姉ちゃんの『赤い糸』は、私には見えるが本人には見えない。
私も、ただ、見えるだけ。何ができるわけでもない。
「いつか、ゆかりお姉ちゃんにも恋人ができるといいなぁって思っただけだよ」
そう、私はただ黙って見守るしかないのだ。
「ううっ……ヒドイよ、飛鳥ちゃん。それ絶対無理って思ってる言い方だよ~」
見える者になってしまった私としては、赤の他人はともかく知人の、しかも親しい親戚の『赤い糸』は、何もできることがなくても気にせずにはいられなかった。
目下、ゆかりお姉ちゃんの『赤い糸』が筆頭だ。
何せ私の周囲で、そろそろ結婚適齢期の女性のひとり……のはずなのに、ゆかりお姉ちゃんの『赤い糸』はまっさら。
妙齢の女性の糸はだいたい繋がっているか引きちぎられた跡があるのだが、ゆかりお姉ちゃんの糸は、まっさら。
綺麗な綺麗な『赤い糸』。
恋愛経験ゼロ……とは言わないまでも、引き摺るような恋愛はなかったのだろう。
引きちぎられた糸は、それなりの失恋や別離の名残らしい。
故に、私が推察するゆかりお姉ちゃんの恋愛経歴は…いわずもがな。心配の一つもする。
ゆかりお姉ちゃんには、速やかに静かに、毒にも薬にもならない相手でいいから『赤い糸』を結んでいただきたいと切に願っている。
私は時間の空きを見つけては、喫茶いしかわの扉を開いていた。
一度、やたら顔色の悪いイケメンが訪れ、コーヒーだけ注文したのを叱り飛ばし、パパッと作った弁当を持たせていた。
そのとき、イケメンの『赤い糸』が、ゆかりお姉ちゃんの糸を撫でていったように見えた。
いやまさか、『赤い糸』が動くなんてそんな……きっと気のせいだろうと頭を振る。
顔色はむちゃくちゃ悪かったが、タイプじゃなくても万人がイケメン認定するレベルのイケメンだった。
ゆかりお姉ちゃん以外にも、差し入れする女のひとりやふたりいるだろう。あんな物で懐柔されるような甘い男には見えなかった。ゆかりお姉ちゃんには申し訳ないが、仮に付き合ったとしても、そのまま捨てられる可能性の方が大きいのではないか。
そのことをゆかりお姉ちゃんに伝えるつもりはない。が。
弁当を渡すって、普通は気がある相手にするものでは?
でもそれすらも、意識に上ってないんだろうなあ。だって、ゆかりお姉ちゃんだもん。
私は小さく溜め息を吐きつつ、ゆかりお姉ちゃんの『赤い糸』に絡み付く糸にエールを送る。
ゆかりお姉ちゃんは難攻不落すぎるが、どうにかがんばってほしい……と。
ゆかりお姉ちゃんの運命に絡む『赤い糸』を見つけて、はや三日。
展開は、私の予想を斜め上を駆け登っていた。




