313 『あなたを見守る』
和樹さんが長期海外出張に行っちゃう前のお話。
人には知らない方が幸せなこともある。
例えば、鍋のお供にぴったりな柚子胡椒に胡椒は使われていないこと。
例えば、宝くじで一等賞を当てるよりも買いに行く途中で交通事故に遭う確率の方が高いこと。
例えば、彼女が丹精込めて育てている植物が人工物であることだったりする。
◇ ◇ ◇
「あれ? マスター、これどうしたんですか?」
ことの始まりは数日前の彼女の一言。午後から出勤してきた彼女が指さしたその先には高さが二十センチほどの植物がちょこんとレジカウンターに鎮座していた。
「ああ、貰い物なんだ。おしゃれだし、家に置いておくのは勿体ないからここに置いておこうかなって」
バックヤードから出てきたマスターは彼女の横に立ち、僕に説明してくれた時と同じ内容を彼女にも説明する。
「へえー! でも確かに可愛いですね」
「でしょう? ゆかりがしっかり育ててよ?」
ハハッと笑うマスターとカウンター内で洗い物していた僕はバチっと目が合う。
またそんな冗談を……と呆れ顔の僕にマスターはまあまあ、とウインクをひとつ飛ばした。
マスターは茶目っ気たっぷりな人で、よく本当なのか嘘なのかわからない冗談を言ってくる。
そしてその標的になるのはゆかりさんであることが多い。なぜなら僕はすぐに「嘘ですよね」と言ってしまうからで、一方の彼女は「ええっ、そうなんですか!?」と百パーセント騙されるからだ。
今もまた、ゆかりさん相手にマスターは冗談を言っている。なぜならマスターが「育ててよ」と言った植物は一生育つことがない“人工物”だからだ。
まあさすがに今回は気づくだろう、と僕は洗い物を再開しながら考える。いくら本物のように見えても所詮は人工物。しっかり見れば作り物であることはわかるはずだ。
マスターも人が悪い、騙されたことがわかってゆかりさんに毎度怒られているのに懲りないんだから……とため息をつきかけたその時、彼女のハキハキとした声が店内中に響き渡る。
「はいっ! この石川ゆかり、しっかり育てさせていただきますっ!」
ピシッと敬礼する彼女に僕は持っていた泡まみれの皿をシンク内に落とす。マスターはつんのめった。
「……あ、あの……ゆかりちゃん……?」
「はい?」
「そ、その……目の前にある植物はね……そのぉ」
「あ、なにか育てるコツとか気をつけないといけないことがあるんですか?」
「い、いやないけど」
そりゃそうだ、作り物なんだから……と僕は取り落とした皿を持ち直しながら二人のやりとりに聞き耳を立てる。
「よかったあ! じゃあこの子のお水やりは私が担当しますね」
うふふ、と笑みを浮かべて彼女はちょんと葉っぱをつつく。マスターはそんな彼女を一瞥した後、真っ青な顔をして僕の方へと駆け寄ってきた。
「ど、どうしよ和樹くん……!」
「どうしようって……だからあれほどやめた方がいいって忠告してたんです……」
「だって、まさかこんなすぐバレる嘘に引っかかるなんて思ってもみなくて……! しかもあんなに嬉しそうに見つめちゃってるしさ……もうネタバラシできないよ……」
今度こそ口を聞いてくれなくなりそう……と僕よりも遥かに年上であるはずの目の前のマスターには威厳などなく、叱られた子供のように小さくなっている。
「ねえ和樹くん……」
「はい……」
「僕の代わりにゆかりに本当のことおしえてあげてくれないかな……」
「えっ」
「ほら、僕から言うよりも君からの方がゆかりも素直に聞き入れてくれるんじゃないかな……君もこう、サラッといい感じに言ってくれそうだし……!」
それがいい、とマスターはポンと手を打つ。
「いやいや、僕には荷が重すぎますって……」
そんな役回りは御免だ、と鉄壁の和樹スマイルで応戦するもマスターの次の一言で僕は泣く泣く了承することになる。
「来月のゆかりのシフトと君のシフト、融通してあげるから!」
それからというものの彼女へ本当のことを伝えようと何度も機会を窺っているが、彼女の植物を見つめる嬉しそうな横顔にここまで言い出せずにいる。
「大きくなあれ、大きくなあれ」
グラスから水をトポトポと注ぎ、おまじないのように植物へ語りかける彼女。
マスターも何てことをしてくれたんだ、と僕は彼女の後ろで頭をかかえる。
どう伝えたって彼女は騙されたと怒り、育ててるつもりの植物が育たないと知ればショックだろう。彼女の悲しむ顔なんて見たくないのに。
何かいい方法はないかと脳内をフル回転させる。彼女が傷つかない方法はないか、願わくば彼女が喜ぶ方法がいい……と必死に考え続け、僕はひとつの答えに辿り着く。
「これしかない!」
◇ ◇ ◇
「ゆかりさん」
「はい? どうしたんですか、和樹さん」
ランチタイムが終わり、休憩時間をクロスワードパズルを解きながら過ごす彼女に僕は声をかける。
「その……これをゆかりさんに」
背中に隠していたものをそろりと彼女に差し出す。不思議そうな顔をしていた彼女は目の前に差し出されたそれを見て「うわあ!」と嬉しそうな声を上げた。
「和樹さん! これって!」
「はい、テーブルヤシという植物です」
僕の手元にはマスターが持ってきたあの植物と同じくらいのサイズのテーブルヤシという観葉植物があった。
「でもどうして? わたし誕生日じゃないですよ」
「理由を話す前に一つ、ゆかりさんに謝らなければいけないことがあります」
「え?」
「ゆかりさんが育てているあの植物、実はあれ…人工の植物なんです」
緊張で口がカラカラになりうまく回らないなか必死に伝える。目の前の彼女はしばらく放心したかと思うとカアッと頬を赤らめてその顔を両手で覆った。
「嘘でしょ!? は、恥ずかしい……! そんな人工物だったなんて全然気づかなかった!」
「い、今の人工物は本物そっくりですからね」
ハハ、とフォローするように笑みを浮かべるが
「それでも育たないじゃないですか!」
と彼女はテーブルに突っ伏す。
「うう、もっと早く言ってください……もう、私何日も育たない作り物の葉っぱにお水あげてたなんて、いい歳して恥ずかしいじゃないですかぁ」
「その、ゆかりさんの楽しそうな横顔見てたら言い出せなくて……僕の方こそごめんなさい」
ぺこりと頭を下げれば彼女は慌てて立ち上がり僕のもとへ近寄ってくる。
「わ、頭をあげてください! たしかに恥ずかしいし、私のことまた揶揄ったマスターにはあとで一言文句を言いますが気にしてないですよ! だから和樹さんが謝らないでください」
ね、と言ってくれる彼女に僕はホッとしながら頭をあげた。
「……でも、和樹さんからのプレゼントはどういった理由が?」
レジカウンターにある件の植物の横にコトンと置かれた僕からのプレゼント。彼女は不思議そうに首を傾げる。
「それはその……すぐに教えず黙っていたことへの謝罪の意味もありますが……」
僕は頬をポリ、とかきじっと見つめてくる彼女から視線を逸らした。
「テーブルヤシは育てる人に寄り添うように育つことから『あなたを見守る』という花言葉がつけられています。ゆかりさんの一生懸命育てようという想いにこの植物はきっと合うんじゃないかと思って」
本当はもう一つの理由がある。
いつか僕がこの店からいなくなってしまっても彼女のことを見守り続ける存在でいたい、そんな淡い想いも込めている。彼女に伝えることのない小さな想いを。
「素敵な花言葉ですね」
ちょん、と葉っぱをつつきながら彼女は微笑む。
「しっかり、愛情たっぷりこめて育てますね。なんたって和樹さんからのプレゼントなんだもの」
幸運を呼び寄せると言われるその葉は、窓から差し込む午後の日差しを浴びてキラキラと光り輝いていた。
『あなたを見守る』という花言葉を持つ植物は他にもデュランタなどいくつかあるのですが、お店の中に置くものと考えるとテーブルヤシがベストかな、と。
ちなみにこの後マスターは「お母さん聞いてよ~!」とゆかりさんにチクられ梢さんにお説教されたそうです(苦笑)




