311 はんぶんこ
お付き合いを始めてちょっと経った頃のお話。和樹さんのおうちにお邪魔することにしてみたら。
「うーん」
右頬に指を添えて、隣の彼女は思案している。その姿はさながら難事件を目の前にしたホームズのようだ。
「ゆかりさん、決まった?」
「あっ待って! まだ決まってない!」
彼女はガシッと僕の左腕を掴むと下から覗き込んでくる。無意識の上目遣いは大変可愛らしいのだが、理由が理由なだけにどう見たってそれは色っぽいものではなく、まるでおもちゃを強請る小さな子供のようだ。
「ふっ、ゆかりさん……もう十分は待ってるよ?」
「だってぇ……全部美味しそうなんだもん!」
ここは、日付が変わるまで一時間を切ったコンビニエンスストア。
僕らの目の前にはひんやりとした冷気を放つアイスの山々。彼女はそんなお宝の山の前でかれこれ十分ほど、どのアイスを買うか迷っているのだ。
「それなら全部買って帰ろうか? 今日食べなくてもストックしておけばいいよ」
「うっ、そんな魅力的なセリフ言わないで……!」
それに無駄遣いはいけません、とピシッと指を差される。
「じゃあ選ばなきゃだ」
「そうなの……だから二つまで絞ったんだけど、どっちも魅力的で選べなくて……」
しょんぼりした声で彼女が手に取ったのは『これはご褒美アイスなの!』と言っていた、ちょっとお高めのアイスのいちご味と『星形が当たったらラッキーなんですよ!』と満面の笑みで頬張っていたチョコアイスだ。
「甘酸っぱいいちご味も魅力的だし、でもでもチョコとバニラをいっぺんに味わえるのも魅力的で……」
アイス一つで唸るほど真剣に悩める彼女は見ていてまったく飽きない。むしろ、ずっと眺めていたい気もする。
だけど、久しぶりに会えたんだ。今晩はそういう訳にもいかない。
僕は彼女が両手に掴んでいたアイスをひょいと奪い取り、カゴの中へと落とした。
「あ」
「半分こ。これでどう?」
「で、でも和樹さんだって好きなの食べたいんじゃ……」
「僕はゆかりさんほどアイスにこだわりないから」
そう伝えれば彼女は「でも」と眉を下げて不安げな表情を向けてくる。
そんな顔をする必要ないのになと思いつつ、ここに来た本来の目的をすっかり忘れている彼女のことが少しだけ面白くない僕は、彼女の耳元に顔を近づける。
「えっ、ちょっとなんです?」
「ねえゆかりさん……アイス食べるの明日になってもいいよね?」
「え」
手に持っていたカゴの中身を彼女にも見えるように持ち上げると不思議そうな顔をした彼女がぐいっと覗き込んできた。
「うん? どうし……っ!」
そこには、さきほど彼女の両手から奪ったアイスが二つと、それらとはまったく見た目が異なる小さな箱。
「思い出した?」
笑みが隠し切れていないのを分かっていながらそのままの表情で彼女に尋ねれば、口を金魚のようにパクパクとさせた彼女は真っ赤に染まった顔を隠さずに僕を「信じられない」と言わんばかりに見つめてくる。
「さ、アイス溶けちゃうから早く会計済ませちゃおうか」
そう言って彼女の右手を自身の左手で包み込んで歩き出せば、後ろからついてくる彼女は
「ううぅ、すっかり忘れてた……」
と小さく呟く。
今日の真夜中には食べさせてあげようかと思ったけど予定変更だ。
僕は脳内で、このあとのスケジュールを大幅に書き換えていくのだった。
和樹さんのがっつきぶりとふたりの温度差が……ねぇ?
当時の和樹さんは、周囲に反対されない(むしろ大賛成されてる)し何の障害もないからこそ、ご家族やご近所の印象を悪くしないためにも順番を守るのが大事と思ってたとかなんとか。




