32 恋をしたなら(進視点)
石川家の血筋には、たびたび『赤い糸』が見える者がいるのだという。
『赤い糸』は、彼の『運命の赤い糸』の事。
だが、伝説だか伝承だかに聞く『赤い糸』とは、少々趣が異なるらしい。
進もしばらく前に、穏やかな初恋をして、赤い糸が見えるようになった。
普通の赤い糸が繋がっている夫婦。これが一番多い。
やや黒ずんだ赤い糸が絡み合っているカップル。
ほつれて切れそうな赤い糸がかろうじて繋がっている恋人たち。
友達以上恋人未満のお兄さんとお姉さんは、赤い糸がふたりの間にふわふわ漂っていて、あと一歩で繋がりそうだ。
喫茶いしかわで、失恋したと泣いていたお姉さんの指には、ぶちっと引きちぎられた赤い糸が3本ほど見えた。
商店街で見た険しい顔のお兄さんの指にある糸は、誰とも結婚しないと言いたげに、先端がぎゅっと玉結びになっていた。
ほかにも、いろいろ。
なんで、こんなにいろんな赤い糸があるんだろう? 赤い糸ってひとつじゃないの?
よくわからなくて、朝食の席で母に尋ねてみた。
「まあ! 進くんも好きな子ができる歳になったのねえ」
穏やかに笑ってから、母が真面目な顔で解説する。
「必ずしも、繋がっているとは限らないの。生まれた時から誰とも繋がってないこともあるし、産まれた時は繋がっていても途中で切れちゃうことだってあるわ」
進は首を傾げる。
「途中で切れちまったら、全然、運命なんかじゃないんじゃないの?」
「あのね進。世の中、絶対に変わらないモノなんてそうそうないの。絶対にって断言できるのは、人間はいつかどこかで必ず『死ぬ』ってことぐらいよ」
ぶっちゃけ、保育園に通うようなお子様に真顔で「人間は死ぬ」なんて言うところが母のとんでもないところだ。
今ならそのあたりに対して一言物申すこともできるが、当時の進は神妙に頷き返した。
ゆかりは、そんな進の鼻先にトン、と人差し指を当てて微笑む。
「運命の人を探し当てるのも素敵なことだけど、好きになった目の前の人を運命だって選ぶのも素敵だと思うわ」
その気になれば、繋がってない糸が繋がっている糸を引きちぎって自らと結び直したり、繋がっていても他を選んで自ら解くこともあるそうだ。
「私は、そういうのはあまり目撃することはないから、ご先祖様の受け売りだけどね」
うふふと笑いながら説明する。
そんな『赤い糸』に意味はあるのか? そんな思いがつい顔に出る。
「『赤い糸』に結ばれているうちはね、どんなに遠く離れていても、必ず巡り逢えるの。それにね、互いに強く想い合ってるとね、どんな困難に遭っても邪魔が入っても切れないのよ。つまり!」
母は、ピッと人差し指を立ててどや顔で言い放つ。
「解けなくなった『赤い糸』が、『運命の赤い糸』ってことね」
進の疑問も悩みも、母は最後のウインク一つで吹き飛ばした。
「ふぅん」
彼女の小指と、父の小指を繋ぐ『赤い糸』が揺らめく。
街なかで見る糸は、けっして、太く頼りがいがあるとは言えない、ただの糸に見える。でもおそらく、そんな普通に見える糸が、どんな頑丈なワイヤーよりもしなやかに強く硬いのだろうと思っている。
だが、両親の糸はとても変わっている。とてもとても変わっている。
ふたりの間に揺れているのは鋼鉄の縄のように何十本も編み込まれたような太いものだし、それが繋がったふたりの小指は、他の糸が入る隙など許さないとでも言いたげに、お互いの赤い糸でぐるぐる巻きにされている。
もはや赤い糸ではなく赤い綱と呼ぶべきではなかろうかと思うほどのシロモノなのだ。
さらに、よくみるとうっすら光っているようにも見える。それだけ強い絆だと言われれば納得してしまいそうだ。
しかも、母が喫茶店でお客さんに口説かれているときに父が居合わせると、赤い糸が蠢いて母をガードするように動くのだ。
そのうちムチのようにヒュンヒュンしなって口説いてきた相手を攻撃し始めるのではないかとヒヤヒヤする。
どう見ても、父が母の運命を自らに引き寄せたのだろうと推察できる。
ここまでの状態になってしまえば、わらしくんにも、神様にも、きっと解きようがないだろう。
念のため、後日、わらしくんに聞いてみた。
「あれは、あれだけは絶対に手出ししてはいけない。手出ししたら痛い目をみるぞ」
ゆっくりと大きく首を横に振り、神妙な顔で言われた。
だから、周りから見て溺愛しすぎだと思う父の行動にもどこかで「このくらいのことはするだろう」と納得している自分がいるのだ。
自分も、それほど強い絆の相手と巡り合えるだろうか。
進は、両親の赤い糸のあまりの強さに思わず「いいな」と零れそうな口をつぐんで顔を逸らした。
赤い糸、こんなふうに見えてるんですね。
そりゃあ梢さんが「話を聞くだけで規格外」とか言うはずだよ。
次回から、また少し昔話します。
旗折り姫によるフラグへし折り事件の一例と愛のハンターの片鱗を。