305 残る跡
今日は年の瀬、大晦日。
相変わらず寒い冬空。とはいえ風が穏やかでしっかりと日差しもある。
せっかくなので温かい昼間のうちにと、和樹はヒーターや高い場所の掃除を買って出た。
タンスの隙間のような狭い場所や低い場所の掃除は子供たちが「はいはいはい!」と立候補してくれた。
ゆかりは、こたつ布団や枕カバーなどのリネン類をたくさん洗濯して干して、合間におせちの仕上げと昼食の支度をしている。
今日の昼ごはんはポトフと鮭のフリットとコールスローだ。
「だって夜は和樹さん渾身の力作の手打ち蕎麦が食べられるんだもの。だったらお昼は洋風のほうが味変になっていいかなと思って。ポトフ、あったまるし」
こたつ布団がまだ乾いていないので、掛け布団サイズのブランケットを三枚使ってこたつ布団のかわりにして、ぬくぬくしながらお昼ごはんを食べる。
ポトフには、はふはふしながら食べるじゃがいもやにんじん、唇の端から肉汁が零れてしまいそうなプリッとした大きなソーセージなどが入っている。香ばしいごまをまぶした鮭のフリット、口の中をさっぱりとリセットしてくれるコールスロー。今年も美味しいものが食べられる一年で良かったねと笑いあう。
食後は、ほうじ茶で一息ついた。普段はコーヒーや煎茶も多いのだが、なんとなく今日はほうじ茶かなと、皆の気分が一致したのだ。
ほうじ茶の入った湯飲みを抱えるようにしながらこたつに頭を預け、ほうっとため息を吐いて目を閉じている。全員が同じポーズだ。なるほど家族は似てくる。
「……ふう。よし、そろそろ動くか」
和樹の一言で皆動き始める。子供たちは食後の後片付けをしておつかいに行き、ゆかりはアイロンがけと残りの洗濯物の取り込みを、和樹は最後に残ったリビングの掃除を始めた。
和樹はヒーター掃除を終わらせてふうと一息。視界の端にちらりと映った動きに目をやると、アイロンがけを終えたゆかりが洗濯物を取り込み始めていた。
今年も一年、最愛のゆかりさんと子供たちと一緒にいられる自分は本当に果報者だとしみじみ思った和樹は、ゆかりと和樹を隔てる窓ガラスにいくつか指の跡がついているのに気付く。
こんな場所に指の跡があるなんて珍しいな。そういえば朝は結露していたから、子供たちが落書きでもしたんだろうかと想像しながら近付く。
窓ガラスの下のほうの指の跡は子供たちのものだろう。だがこれは、子供たちが落書きしたにしては位置が高い。もしやゆかりさんも何か書いたんだろうか。気になる。気になるぞ。
窓ガラスの、ゆかりの肩から鼻のあたりの高さに残る跡。和樹はその跡あたりに何度か、はあっと息を吐く。ほんのり白くなっていく窓に、浮かび上がる跡。それは直線で描かれた矢印のような絵と、ひらがな。そして絵の上の特徴的なマーク。
いわゆる相合い傘のマークだった。相合い傘には「ゆかり」と「かずき」と書かれていて、その上には大きなハートマーク。
和樹は驚いた。それと同時に頬のゆるみが隠せなくなった。少し姿勢を低くして、相合傘をじっと見つめる。
和樹の気配は感じたらしいゆかりは振り返る。和樹の姿勢を不思議そうに見たかと思えばハッとした表情だ。
「和樹さん、それ見ちゃダメです」
和樹が何をじっと見ているのか気付いて大慌てだ。ゆかりのことだから、結露が消えてしまえばバレないと思っていたのだろう。慌てて部屋に入ってきて手で消そうとするも、あっさりと和樹に阻止される。ゆかりはぎゅっと抱きしめて離さない和樹の手から逃れようと身体をひねるがさして効果はない。
「ゆかりさん」
「……なんですか」
ちょっとふてくされたような返事をするゆかりにふっと笑う。
「僕、嬉しいです。この相合い傘。来年も、その先もずっと、この相合い傘みたいに仲良くしましょうね」
「ぅ……はい」
ゆかりは和樹に向き直ると、ぎゅっと抱き着いてきた。和樹は右腕でゆかりを抱き締めつつ、左腕をごそごそと動かした。
カシャッ。
不審に思ったゆかりの視線が和樹の左腕を辿ると、スマホのカメラで相合い傘を撮影していた。
「ちょっ……和樹さん、そんなもの撮らなくていいです!」
「そんなものとはなんですか。ゆかりさんからの愛情のしるしじゃありませんか」
「消してください」
「いやです」
この攻防は子供たちがおつかいから帰ってくるまで続いた。
相合い傘の件でちょっと拗ねていたゆかりだったが、和樹が作った手打ちの年越しそば、それも絶品の鴨南蛮に仕立てられたものを食べると機嫌は全快した。
「はぁん。和樹さんのごはんって本当に美味しい! しあわせですぅ」
こうして石川家はいつも通りの年越しを迎えるのだ。
ということで、2021年の更新おさめでございました。
本年は大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。




