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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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303 if~両片思いだけど妙に鋭い策士なゆかりさん~

 和樹さん目線のifストーリーです。

 わっはっは、とあちこちからくぐもった笑い声が聞こえてくる。目の前には水滴がツーっと垂れる黄金色の液体が入ったジョッキに、鮮やかな緑が眩しい枝豆、ほかほかいい匂いがする湯気をたてる揚げ出し豆腐、橙の照明に照らされピカピカ光輝く串物たち。

 そう、僕たちは今居酒屋の個室にいる。

 周囲からどっ、と響いてくる笑い声の中、一言も話さずに僕は俯き、彼女はじいっとそれを見つめながら。

 なぜ、こんなことになっているのか。



 時は少し戻って二時間前。

 この日はラストまで勤務している彼女の元へ仕事を死ぬ気で片付けて、コーヒーを飲むという口実を作り、会いに行った。

 閉店間際、ラストオーダーを二十分も過ぎているにもかかわらずドアベルを鳴らした僕に、


「あら、和樹さん! いらっしゃいませ!」

 と思わず目を覆いたくなるくらい眩しい笑顔を彼女は向けてくれた。

「すみません、閉店間際に……」

「いえ、和樹さんお忙しいんですから気にしないでください」


 ふわりと笑みを浮かべながらテキパキとコーヒーの準備に取り掛かる彼女。

 カウンター席に腰掛けながらふと、視線を店内に走らせるとバックヤードへ続く扉にモップが立てかけられてることに気づく。

「もしかしてもう閉店作業してましたか?」

「へっ、ああっ! すみません、片付けてなくて!」

 僕の視線の先のモップを見とめるや否や彼女は顔を真っ赤にし、ガチャンとカップとソーサーをぶつけてしまう。

「あ、気にしないで……こちらこそ片付けようとしてたころに飛び入りしたんですから」

「ごめんなさい……」


「お待たせしました……」

 真っ赤な耳を髪の間から覗かせながらカウンターテーブルにコーヒーがそろりと差し出される。

「いただきます」

 ふわりと芳るコーヒーの香りにふっと緊張が解ける。僕の顔が緩まったことを確認した彼女はふふっと小さく笑みを溢しながら食器を洗う。

 僕と彼女、二人しかいない静かな空間に水の音だけが響いていた。


 今日だ、今日こそ誘うんだ。

 僕はゴクっと、コーヒーを飲み込む。

 今日この時間に来たのは偶然ではなく、狙ってきたものだった。ラストまでいる場合、店を片付ければ彼女は自宅へ帰るだけ。そこに合わせて店を訪れ、閉店作業を手伝って僕はこう言う。

「時間もいいですし、よければ食事でも……」

 お腹と背中がくっつきそうなくらいお腹ペコペコな彼女は瞳をキラキラさせ、拳を握りしめてこう言ってくれるはずだ。

「いきますっ!」

 と。

 何も不自然じゃない、これなら身構えることなく気軽な感じで彼女と過ごすことができる。

 我ながらいい作戦だ、と三徹した脳内は自画自賛を始める。

 コーヒーを啜るフリをしてこちらに背を向けながら皿を片付ける彼女の後ろ姿をチラリと片目で確認する。今だ、言うんだ! 微かに震える手を必死に押さえつけながらソーサーにカップを置く。


「ゅ……ゆかりさん」

「はい?」

「あ、あの……」

 声をかけられ、くるりと振り返る彼女。情けなくも声が震えてることに彼女は気づいてるだろうか。


「閉店作業、よければ手伝います……僕のせいで遅くなってしまうんだし」

「やだ、あの本当に気にしないでくださいね?」

「い、いえ僕が手伝いたいだけなんで……」

「は、はあ……」

 微かに眉を寄せクエスチョンマークが頭上に浮かぶ彼女に向かってコーヒーを飲んでるにもかかわらず緊張でカラカラな口を必死に動かす。


「そ、それで片付け終わったらそのっ、よければ食事に行きませんか?」

「えっ」

「その、僕もお腹が減っててゆかりさんもお腹減ってるんじゃないかなって……!」

 なんとか言いたいことを言い切り、残っていたコーヒーをグイッと飲み干す。カチャンという音ともに顔を彼女の方へ向けると、「ふふっ」と口元に手を当てて笑っている。

 なにか可笑しかっただろうか?

 いや、おかしいといえば僕の態度はすべておかしいか……。焦る僕をよそに彼女はなおも笑い続ける。


「あの、ゆかりさん……?」

 不安になって声をかけると彼女はふーっと深呼吸をし、晴々とした笑顔を見せた。

「ふふ……はいっ喜んで!」


 それから一時間後、閉店作業を終わらせ、賑わう夜の街を訪れた。

「何が食べたい、とかありますか?」

「うーん、そうだなあ……和樹さん今日お車は?」

「職場の方に停めてきてますからお酒は飲めますよ?」

 そういうと彼女は「やった!」と両手をパチリと合わせる。


「じゃあ居酒屋さんにしませんか? 前に言ってた串物の種類がたくさんある居酒屋さん!」

「いいですね、そこにしましょう」

「よし! そうと決まれば早く行きましょう! もう私お腹ペコペコ!」

 そういうと彼女は僕の腕を自身の腕にグイッと引き寄せ、小走りになる。勢いよく引かれた僕の腕は彼女の胸元に当たってしまい、全神経が腕にどうしたって集中してしまう。

「勘弁してくれ……」

「ん? なにか言いました?」

「い、いえ」

 真っ赤になってる耳が夜の暗闇で見えないことに感謝しつつも小さく溜息をついた。



 彼女のリクエストで訪れた個室居酒屋はそこそこ埋まっていて通された部屋は二人用のこじんまりとした個室だった。


「結構混んでますね……やっぱり週末だからかな?」

「そうですね……」

 お互いに上着をハンガーにかけ、向かい合わせで着席する。


「……ち、近いですね」

「はい……」

 お互いの距離はおおよそ五十センチほど。すぐ後ろに壁があるのでとても近く感じてしまう。

 チラッと彼女を見ると、彼女もまた距離の近さに「ふふ」と照れ臭そうにしながら頬に両手をペタリと当てていた。


「とりあえず注文しましょうか」

「そうですね、食べて呑みましょう!」

 タッチパネルで注文する最中も時折彼女がこちらに近づき、その度に香る彼女の柔軟剤の甘い香り(おそらく)に、酒も飲んでいないのにクラクラしそうになるのをなんとか平静を装って耐え忍んだ。


「かんぱーい!」

 ガチっという音ともにビールから宴を始める。

 ぷはーっと飲んだ彼女の口元にビールの泡が付いているのを笑いながらトンっと自分の口元を指して教えると、

「わ、恥ずかしい……」

 と近くにあるティッシュで拭う彼女。


「ねえ和樹さん! このだし巻きすごいっ! お出汁がじゅわーっていっぱい溢れてきます!」

 と口いっぱいに頬張る彼女。

 どの彼女にもいちいちグッときてしまい、うっかり変なことを口走らないようにするのに僕は精一杯だ。


「ほら、和樹さんも呑んで! 私の方が先になくなっちゃいそう!」

 アルコールでほんのり赤く染まった頬に潤んだ瞳で彼女はずいっと顔を近づけてくる。

「あ、ゆかりさん……ペース早いんじゃ……」

「まだまだ序の口ですよお、だいじょーぶです」

 既に呂律が少し怪しいが……と思いながらも次のビールを注文する。


「ねえ、和樹さん」

「はい、どうしました?」

「今日はなんで私のこと誘ってくれたんですか?」

「え」

 手にしていた枝豆を皿に落とす。


「ビールお持ちしました~」

「ありがとうございまーす」

 このタイミングで店員がジョッキを二つ運び入れると、彼女はのんびり返事をし、またゴクゴクと呑み進めていく。


「そ、それは」

「あ、嫌だとか面倒とか文句を言いたいわけじゃないんですよ? ただ、なんでかなって」

「それは、ええと……」

「車も。職場の方に停めてきたということは、私から言い出す前からお酒を飲む予定だったってことですよね?」

「……」

「無言は肯定と受け取りますよ?」


 俯く僕とは対照的に彼女は二杯目のビールを飲み干し、僕が飲むはずだったもう一杯のビールに口をつける。

「和樹さんとは何度かご飯食べてますけど、いつもアルコールなしでした。なのに今日は最初からそのつもりで来ている……これはどういうこと?」

「っ、それは」


 まったくもって彼女の言う通り、今日は最初から酒を飲むつもりだった。これまでにも何度か

「周辺の人気カフェのメニューを参考にメニュー開発しましょう」

 とか

「僕らは同僚の立場ですから仕事の一環です」

 などとそれらしく説得し、彼女と食事をした。だがそれはすべて日が昇っている時間帯で、もちろん酒を飲んだことはない。再会してからはまだ食事すら行くことができていなかった。

 それがなぜ食事に、しかも酒を飲む前提での誘いだったのか。


 答えは簡単だ。

 酒の力を借りたかった、ただそれだけ。


 再会し、募る想いを彼女へ何度も伝えようと試みた。だがいつも肝心なところで頭が真っ白になって言葉が詰まってしまい、「好きだ」のたった一言が言い出せずにいた。

 このままではいつまで経ってもよくてお友達、最悪元同僚ポジションで終わってしまう。

 いつ、どこぞの馬の骨ともわからない男に彼女を掻っ攫われるか分からない。そう思った僕はこう考えた。

 いっそ酒の力を借りてしまおうと。


 生憎、僕は酒に強いため完全に酔うことはない。ただある程度の量を飲めば多少気が大きくなって言いたいことを素直に伝えることができるのではないかと、今日のこの計画を二徹目の夜に企てた。

 こんな計画、正常な脳の状態ならまず絶対実行しないが三徹明けの今日、勢い余って実行した、というわけだ。


 言えない、言えるわけない。最高に格好悪い。


 言葉を出せずに俯く僕と、それをじいっと見つめる彼女。周りのわはは、という声だけが響く。

 すると彼女は三杯目の最後の一口を飲みきり、ジョッキをゴトンとテーブルに置いた。


「ねえ和樹さん、お酒って凄いよね」

「……え」

「酔っ払っちゃえば普段言えないことも言えるし、聞けないこともできないことだって聞けるし。なんだってできちゃうんだもん。お酒って凄い」 

 んふふ、と笑いながらテーブルに置いた腕に顔を乗せて下から僕を見上げてくる。


「ねえ、和樹さん」

 彼女はゆらりと右手をこちらに伸ばす。

「わたし、ちゃんと和樹さんの言葉で聞きたい」


 好きって言って? と囁く彼女。

 僕は彼女のじんわり汗ばんだ手のひらの温度を左頬に感じながら、場違いにもこんな言葉を思い出した。


『酒は呑んでも呑まれるな』

 ふふふ。ゆかりさんがなんだか恋愛上級者。

 というよりも、どちらかと言えば和樹さんの自白を引き出してるような……このテーブルにカツ丼は並んでおりませぬ(笑)


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