295 背徳の夜食
カタン、という物音で眠っていた意識は急浮上する。
「ん……」
喉奥はカサつき、掠れた声しか出てこない。目元も幾度となく両手で擦ったお陰で、腫れぼったくなりヒリヒリと痛む。
彼が着せてくれたのであろう、キャミソールの紐を肩にかけ直しながらムクリとベッドから起き上がれば、隣にあるはずの彼の体温がないことに気がつく。
「あれ、どこだろう和樹さん……」
キョロキョロと視線を巡らせても、その姿はどこにもない。そっと右手を伸ばせば、微かに温かかった。おそらく彼がベッドから抜け出して、そんなに時間は経っていないのだろう。
職場に呼び出された可能性も考えたけれど、それなら廊下は真っ暗のまま、彼は音もなく出ていくはず。
それが、今は僅かに開いたドアの隙間から廊下のフットライトの灯りが漏れ、奥にあるキッチンから物音もしてきた。きっと、彼はそこにいるのだろう。
私はひんやりと冷たい床に足を下ろし、そっとベッドから抜け出した。
「……カップ、焼きそば」
「あ」
ぽそりと呟いた私の声に気づいた彼は、悪戯しているところを母親に見られてしまった小さな子供のように、バツの悪い顔をする。
「ごめん、起こしちゃったね」
「ううん、それはいいの。それより、今からそれ食べるんですか?」
私が指さした先の彼の手元には、カップ焼きそばが握られていた。
「うん、なんか腹が減って」
「和樹さん、今三時ですよ? お腹もたれません?」
深夜のお夜食とは、なんとも甘美な響きで罪深い味だけれど、その代償がとてつもなく大きいことは、この身をもってよく知っている。
この時間にお夜食、しかも高カロリーなカップ麺なんて絶対太るに決まっている、としかめっ面をしている私をチラリと見ながらも、彼はカップ焼きそばの容器にお湯を入れる手を止めない。
「僕は男だし、そんなに柔な胃袋じゃないから大丈夫だよ。あ、ゆかりさんも一緒に食べる?」
悪魔のようなことを囁きながら爽やかに笑う彼。私は「結構です!」と、フンと鼻を鳴らす。
カップ焼きそばに蓋をしている彼の背後を通り抜け、その先にある冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、パキッとキャップを緩めた。
ひんやり冷たい水で喉を潤そうと口をつけようとしたその時、背後からひょいとボトルを奪われてしまい、「あ」と声を発する間もなく、ごくごくという喉を鳴らす音と、彼の上下する喉仏が目に入る。
「ちょっと! 私が先に開けたのに!」
「ごめんごめん、僕も喉渇いてて」
恨めしげに見つめれば苦笑いをした彼にはい、とボトルを手渡される。
口を尖らせながら、私はキッチンからも見える居間のソファに体育座りをし『不貞腐れてるぞ』と言わんばかりにチビチビと水を飲む。
その様子を見ていた彼はふは、と小さく笑いながら戸棚から小皿を取り出した。
「え、どうして小皿出してるの?」
カップ焼きそばを食べるだけなら皿など要らないはずだ。それなのに彼はさらに引き出しから箸を取り出す。しかも二膳。
「だって、ゆかりさんが食べたくなるかもしれないでしょ」
「なっ……! だ、だから食べませんよ私は!」
「まあまあ、一応だから」
なんだか見透かされているのが悔しくて、彼からプイッと視線を逸らせば、セットしていたらしい小さなアラーム音が静かな部屋に鳴り響く。
アラームを止めた彼はお湯をシンクの中に流し捨て、ペリッという音とともに蓋を剥がす。
もわもわと真っ白な湯気の奥で、彼がソースを容器の中に注ぎ、箸で混ぜ合わせればたちまち部屋の中は甘酸っぱいソースの香りと、最後に一振りした青のりの香りでいっぱいになった。
匂いにつられてきゅう、っと小さくお腹が鳴るけれど、ぐっと右手で押さえて自身のお腹の虫を宥めていれば、彼がキッチンの横にあるダイニングテーブルに座り「いただきます」と手を合わせた。
「うん、美味い」
ズッ、ズとリズミカルな音を立てながら焼きそばを啜る彼は、CMの出演依頼が来るんじゃないかと思わず妄想してしまうくらい、美味しそうにモリモリと食べ進めていく。
「ゆかりさん、美味しいよ」
「そ、そうですか」
ニコリと笑顔を見せながら彼は報告してくるが、私はとにかく必死に自分の欲とお腹の虫を抑えるのに必死だ。
和樹さんなんか太ってしまえ、と恨みをたっぷり込めた視線を送り続けていると、焼きそばを啜り続けていた彼が箸を置き、私と視線を合わせる。
「ねえ、ゆかりさん」
「……なあに?」
「おいで」
左手でちょいちょい、と手招きする彼の瞳は優しげで、でも隠しきれていない上向きな口端はちょっと愉しげだ。
「……それ、ズルい」
深夜のカップ焼きそばと、それを食するなんでもお見通しな彼に、私は呆気なく陥落するのだった。
ゆかりさんはきっと「うぅ……お腹のぷよぷよ……二の腕の振袖……」ってなるでしょうね。
それを見た和樹さんはダイエット向けの映え料理に全力でスキルを発揮したり、いろんな運動のご提案したり……こういうやりとりは何度もあったと思われます(笑)




