291-3 閉じ込められました(中編2/2)
きょとりと辺りを見回すと、エレベーターの壁に寄りかかっていた和樹がいきなりゆかりの真横に現れた。スッと指を伸ばすと、行先の階のボタンの上にある電話マークのボタンを押す。
「あ、緊急時のボタン……」
ゆかりが納得すると同時に管理会社の人の声がした。和樹が簡潔に状況を説明しているので、下手に口を挟まない方がいいかなとゆかりは奥に下がった。
「どうやら、この辺り一帯が停電したようですね」
会話を終えた和樹がゆかりの隣へと戻ってきた。
「停電……雪のせいでしょうか?」
「おそらく。まだ詳しい情報は入ってきていませんが、管理会社の方がこちらにきてくれます。ただ、この天候ですので、すぐにという訳にはいかないでしょうね」
「あれ? 停電でも電話ってできるんですか?」
「緊急用の連絡はできるそうにしておかないと意味がないでしょう?」
「確かにそうですね」
和樹はスマートフォンを取り出すと画面を操作する。
「ああ、変電施設の近くでトラックがスリップしたようですね。これは……復旧に少し時間がかかるかもしれませんね」
「え? じゃあ、しばらくこのままでしょうか?」
「かもしれませんね。幸い僕たちに怪我はありませんし、大人二人ですから保護の優先度は低いでしょう」
「あ、なるほど。そうですよね。怪我をした人とか、子供さんや年配の方が優先ですもんね」
と、そこまで言うとゆかりはハッとした。
「そうだ、すぐには店に戻れないってマスターに連絡しておかないと!」
「そうですね。ただ、今は通信回線がパンクするといけませんから、携帯電話会社の災害伝言ダイヤルを利用した方がいいですね」
「あ、そうですね。わかりました」
『ゆかりです。私は大丈夫です。届け先のビルのエレベーターが停電でとまってしまいました。階段も建物の外の非常階段だけなので、停電が復旧するまでビルで待たせてもらいます』
多少、嘘を混ぜてしまったけれども、エレベーターの中に閉じ込められてますなんて伝えたら、きっとマスターは心配してしまう。幸いケガもしていないので、無事に帰ってからキチンと本当のことを伝えよう。ひょっとしたら、伝えない方が大人として正しいのかしらなどと思ったが、笑い話として常連さんとの話のタネにでもしてもらえばいいだろう。
「私は良いんですけど、和樹さんがエレベーターに閉じ込められてるのは大変な損害なんじゃないですか?」
エレベーターの隅っこに座り、反対の隅に座っている和樹を見てゆかりはなんとなく言った。
「大丈夫ですよ」
和樹は目を閉じたまま答えた。疲れているのか、体力を温存しているのかわからないけれどもあまり話しかけない方が良いのかもしれないと、ゆかりは体育座りで立てた膝を抱きしめた。
ふいに風を感じたので見上げると、天井に五センチ角の穴が十個ほど並んでいる。その穴の先には少し空間があり、天井と同じ色の、さらにもう一つの天井が見えた。通気口だろうか。
通気口はその役目をしっかりと果たしていて、エレベーターの箱の上に広がる冷たい空気を容赦なく送り込んできている。もともと暖房の入っていないエレベーターではあったけれども、断熱材で囲まれた空間は少しは温かかったのだ。なのに容赦なく小さな穴からひんやりとした空気が入ってきて温度を確実に下げている。
「ゆかりさん、寒いんですか?」
不意に和樹に話しかけられたので、そちらを見ると和樹が心配そうにゆかりを見ている。
「少し。なんだか上から冷たい空気が入ってるなって思って」
「屋内とはいえ、身体を動かしていないと寒いですよね……」
そう言うとジッとゆかりを見つめてきた。
「和樹さん?」
「ゆかりさんさえ嫌でなければ、こちらに来ますか? くっついていた方が温かいですよ」
「あ、雪山での凍死対策ですね?」
たしか何かで読んだことがあるような気がする。極寒の地では吸水性のない衣服を着ていると汗が冷えて体温をどんどん吸収して身体を冷やしてしまうらしい。そんなとき、暖を取るのは人の体温が良いとかなんとか……かなりうろ覚えの知識だったが、ゆかりも先日、寒い夜に布団に潜り込んで寄り添ってくれた大福(ちょうど友人が泊まりがけの出張で預っていた)との至福の時を思い出した。たしかに誰かとくっつくと温かいのは間違いないのだ。
「……何だか激しく間違っている気がしますが、面倒なので訂正しません」
呆れた顔の和樹だったが、トテトテと近寄るゆかりに何か一瞬言おうとして止めた。
「大福ちゃんと寝たとき、とても温かかったんです。動物との添い寝って幸せですよねぇ」
「…………」
なぜか不機嫌そうな和樹は無言でファスナーを空けるとコートの前面を開いた。
「?」
どうも、ここに来いということらしい。この寒いのにコートを開くのは和樹にとっても負担になるはず。一刻も早く彼の保温をと思った瞬間、ゆかりはふと止まった。
「ゆかりさん?」
ゆかりが着ているのはダウンコートだ。これは保温効果は高いけれども、表面は化繊でスベスベ。もっと言うと雪で少し濡れているので、このままでは和樹さんの熱を奪う一方なのでは? そう思ったゆかりは素早くコートを脱いだ。
「え、ゆかりさん!?」
「和樹さん! 失礼します!」
コートを脱ぐとさすがに寒い。ゆかりは素早く和樹が作ってくれた空間にスッポリと収まる。さすがに向かい合ってくっつくのは恥ずかしすぎるので、和樹の胸に寄りかかるようにして座った。和樹のコートは男性用とはいえ二人を包むのは不可能なので、ゆかりは脱いだ自分のコートで前面を覆う。
「うーん……やはり化繊だから滑りますね」
肩の辺りにかけたコートがスルリと滑り落ちる。ゆかりはずっと腕にかけていたロングマフラーを「えいっ」と取り出すと、和樹の背中に回し、さらに二人の身体をコートごと縛る。なんとか縛れたので、再び和樹の前にスッポリと身体を収めるとコートの内側からはみ出た部分を直し、隙間ができないように微調整をする。
「上手くできました~。これなら、暖かいですよね」
和樹の胸に寄りかかりながら言うゆかりに「そうですね……」と何とも言えない和樹の声が降ってきた。身体を密着させているので、どんな顔をしているかわからないが、あまりゆかりのアイディアに感動しているふうには聞こえないので、呆れているのかもしれない。
「あ、でも和樹さんのスーツに皺ができちゃうかも……」
「スーツの皺とゆかりさんの健康を秤にかけないでください」
「私はかなり温かいんですけど、和樹さん的にはどうですか?」
「……温かいですよ。とてもね。でも、そうですね、一つお願いしてもいいですか?」
「はい」
「ゆかりさんの頭を、僕の左右どちらでもいいので肩に寄りかかるようにしてくれませんか? 今の状態だとゆかりさんの髪が顔に当たってくすぐったいです」
「あ、なるほど。わかりました。……よいしょ。どうですか?」
「……ありがとうございます。ちょっと待ってください。座りなおしていいですか?」
「はい。どうぞ」
和樹も両膝を立てる様に座っていたが、胡坐をかくように座り直すとゆかりの身体をヒョイと持ち上げ、組んだ足の中にゆかりのお尻をストンと入れた。
「和樹さん。この体勢だと私、和樹さんの足に座ってる状態ですけど、痛くないですか?」
「大丈夫ですよ。ゆかりさんが膝を立ててくれているので、ゆかりさんが思っているほどの負担はありません。それに、この座り方の方が長時間座っていられるんで」
「そうなんですか? 足が痺れたら言ってくださいね?」
「ええ」
壁に寄りかかっている和樹にゆかりは寄りかかる。密着しているところがポカポカと温かいし、コートの中がまるで小さなかまくらの様に熱を保ってくれている。ゆかりのお腹の前で組まれた和樹の手のおかげで、ゆかりのお腹も温かい。ゆかりはお礼としてそんな和樹の手に自分の手を重ねる。
「……」
和樹が何か言おうとした気がしたが、結局何も言わなかった。ゴツゴツとした手。荒れてはいないけれど大きくて硬い手はゆかりのそれとはかなり違う。それが男女の差なのか、生きる世界の差なのかゆかりにはわからない。




