291-1 閉じ込められました(前編)
タイトル、「if」つけようかやめようか、すごく迷いました。どっちでもアリかなと思うので。
時期は、和樹さんが喫茶いしかわをたまにお手伝いしてくれるようになったけどまだちょっとふたりに距離があった頃です。
今年の冬、この地域は強力な冬将軍に気に入られたらしく異様な寒波が記録的に続いていた。例年なら雪はあまり降らない地域なのだが、最近は低温と強風が連日猛威を振るっている。
喫茶いしかわの看板娘・石川ゆかりは気合を入れて装備を整えていた。
「ヤバい……少し楽しい……」
非日常と冒険心、ゆかりのテンションはマスターの心配をよそにドンドン上がっている。
ゆかりに課せられた使命。それはここから徒歩で二十分程の所にあるオフィスにケータリングを配達することだ。
なんでも今日は、そのオフィスで働く所長さん(四十三歳・女性)の誕生日らしく、サプライズランチをするらしい。そんな大切な日に喫茶いしかわを頼ってくれる事実にゆかりは感動して、天候を心配して確認の電話をしてきたスタッフさんに
「大丈夫です! 命にかえてもお届けします!」
と元気に答え、マスターに「重いよ」と笑われた。
しかし、本日も冬将軍が絶好調で最高気温はかろうじてマイナスがつかない二度。だが強風が昨晩振った粉雪を舞い上げるホワイトアウト状態で、その風のせいで体感温度はマイナスだ。
ゆかりは今日に備えた装備を準備していた。とりあえず七分袖のあったかいインナーに、身体にフィットしたハイネックのセーターを着た。裏起毛のあったかジーンズにスキー用の靴下を履き、着ぶくれした足を長靴に突っ込む。ロングマフラーを頭にグルグルと巻き、さらに冷たい空気を吸わなくても良いように口元にも巻き付ける。そしてモコモコのダウンコートを羽織る。
薄手の綺麗なシルエットなど今のゆかりには不要なもの。今のゆかりが欲しているのは保温効果のみである。
マフラーのおかげで大きくなった頭を、コートについているフードに無理やり詰め込む。これでどんな風が吹いてもフードを飛ばすことはできないだろう。手首までカバーしてくれる手袋をはめると、準備完了。ゆかりはポテポテとバックヤードから店内へと移動した。
「ゆかり!?」
マスターがビックリしている。
一回り大きくなって目と鼻しか見えないゆかりは動くぬいぐるみ状態である。ちなみにマフラーで鼻をカバーしなかったのはマフラーの毛が鼻をくすぐるというとんでもないイタズラをするので断念したためだ。
「どうですマスター! 完璧でしょう!」
ものすっごいドヤ顔で言ってやった。
本当なら今日の配達はマスターが行く予定だった。だが昨日、凍結した道路で転倒したマスターは腰を痛めてしまった。腰を痛めた人物をこの暴力的な低温に放り出せば痛みが悪化してしまうし、そもそも歩くの自体が辛そうなのだ。
「う、うん。すごいね……さすがにこの天気じゃ通行人もいないだろうから、通報もされないと思うよ」
「この雪ですもん。このくらいの恰好してても『対策満点』って思われるくらいですよ」
オードブルとサンドイッチのセットが入ったオードブル皿は万が一を考えてラップでグルグル巻きにし、ビニールの風呂敷で更に包み、持ちやすいようにオードブル用のビニール袋に入っている。それを傾けないように右手に持ち、喫茶いしかわの美味しいコーヒーが入った保温ポットを左手に、小皿やコーヒー用の保温紙カップ等が入ったリュックを背負い、ゆかりはマスター以外いない喫茶いしかわから通行人のいない外へと足を踏み出した。
「では! いってまいります! 二時間経っても帰ってこなかったら、捜索隊をお願いします!」
「うん、とりあえず向こうに無事着いた時点で連絡してね。さすがにこの天気で車は走ってないと思うけど、十分注意するんだよ」
「はい!!」
元気いっぱいに返事をすると、幸せを届けるという使命に燃えるゆかりは真っ白な世界へと旅立っていった。
「すっご~~い!」
ゆかりは感動の声を出した。
一面真っ白。地面にいた粉雪が強風で天高くまで舞い上がり遠くのビルが霞んで見える。完全防寒のゆかりは寒くはないが、強風がまつげを攻撃し、鼻の頭が痛くなってきた。
「これは……ゴーグルも持ってくれば良かったかなぁ」
風に負けない大きな独り言も誰の耳にも届かない。人っ子一人歩いていないし、車も走っていない。滅多に雪が積もらないこの町では、冬用のタイヤを持っている人は少ないのだ。おまけにテレビではお天気お姉さんが「不要不急の外出は避けて、お家で温かくしてくださいね」と連日言っているし、公共交通機関も大半がマヒしているので、外出しても移動手段がない。学校は休校だし、お店は荷物が入ってこないから臨時休業。コンビニも開いてはいるが商品が届かないためお弁当等の棚は空っぽ状態だ。
朝と夕方は何とか通勤する会社員がいるが、出勤できない人も多いようだし、無理に出社させて怪我でもしたら一大事。ゆかりはこんな状況でも出勤して所長さんの誕生日を祝う人たちの元へ美味しいコーヒーとご飯を運べる幸せを噛みしめている。
「待っててくださいね~。今、行きますよ~」
どうせ誰も聞いていないので、ゆかりは大声を出す。こういう状況を楽しめるのはゆかりが子供だからだろうかと思う。きっとイケメンの同僚(仮)に見られたら苦笑されるんだろうなと思った。
「ドコ行くんですか?」
「にぎゃ!?」
不意に声をかけられて、変な悲鳴を上げてしまった。まさか盛大な独り言を聞かれているとも思わずに赤面する。というか、こんな天候で自分以外に外出している人がいるとは思わなかった。しかも、それが顔見知りとはどんな確率だろう。
「あら和樹さん? お久しぶりですね」
「ええ、こんにちは。というか、今、それが一番に言うことですか?」
目の前にいる彼を知らない人にどんな人? と聞かれれば「反則的にイケメン」と言えば済むくらい際立った美青年だ。和樹はマフラーに有名ブランドのダウンコートにショートブーツ。わずかに見えるズボンはスーツのスラックスなので仕事の途中なのだろう。この極寒の街を歩くには少々軽装のように思えるが、スーツが仕事着の和樹にゆかり並の装備を要求するのは酷というもの。
「そんな恰好で寒くないですか?」
「ゆかりさんはそんな恰好で不審がられないですか? どこのぬいぐるみが歩いているのかと思いましたよ」
「不審に思うも何も、誰もいませんから」
「ええ、天気予報でも外出は控えるように言われているはずですから。それなのに、どこへ行こうというんですか?」
「ケータリングと幸せをお届けに♪」
「……はぁ」
納得したのかしていないのかあいまいに和樹は答えると、ゆかりの手にある荷物を見た。
「どこまで行くんですか?」
「あと十分くらい歩いたビルですよ。余裕もって出ましたけど、お昼までに届けないといけないので、そろそろ行きますね。和樹さんも気を付けて。では、失礼します」
「は?」
キチンとお辞儀をして先へ行こうとするゆかりに和樹が思いっきり不機嫌そうな声を出した。
え? 今の和樹さんの声? どこかの素行の悪い学生?
「何、行こうとしてるんですか?」
「だから、早めにお届けしないといけないんです。私、急いでるので失礼しますね」
モコモコと歩き出すと、ビックリするくらい大きなため息が聞こえてきた。この強風の根源は和樹さんなんじゃないかと思いたくなるくらいの長さと大きさの溜息だった。いつの間に風神にジョブチェンジしたんだろう。
「待ってください。こんな日に一人で行くなんて、あなたには危機管理能力ないんですか。僕もお手伝いしますから、そのオードブルをこちらへ渡してください」
渡してくださいと言ったくせに、強引にゆかりの手からかっぱらわれた。毛糸ではなく革手袋がよく似合っているなどと思ったけれども、軽くなった右腕にゆかりは慌てた。




