29 あなたのための鯛茶漬け
遅い帰宅に嫌な顔ひとつせず迎えてくれた妻。
その笑顔に、優しいハグと体温に、疲れがすうっと溶かされていく。
「はああああ……ゆかりさん、どこからマイナスイオン出してるんですか」
「はあ? なんの話ですか?」
もしやうちの妻はマイナスイオンを発生させるどころか回復魔法の使い手なのではなかろうか。
彼女の肩に埋めた頭をぐりぐりと動かし、抱きしめる力をほんの少し強める。
「はいはい、お仕事よく頑張りましたね」
しょうがないなあ、という雰囲気で、左手で背中をぽんぽん叩き、右手で頭を撫でてきた。
ひとしきりゆかりさんの柔らかさと癒しを堪能すると、先にお風呂済ませてくださいと言われ、しっかり湯船に浸かってからダイニングに顔を出す。
「お。今日は鯛茶漬け?」
「ええ。和樹さんが出張先から贈ってくれた甘鯛ですよ。もう時間も遅いですし、さらっと食べられるのがいいかなって」
きゅうりとわかめの酢の物も、鯛茶漬けの側にコトリと置かれる。
「届いたのが昨日ですし、さすがにお刺身で食べるのは怖いからちゃんと火を通したくて、でも焼くのも身をほぐすのも時間かかるから、先にお風呂に入ってもらったんですよ。まあ何より、甘鯛は焼くと美味しいからって理由が一番ですけど」
そう言って朗らかに笑う。
疲れが溜まってるときにこれは効く。
結婚前からずっと、僕はゆかりさんの鯛茶漬けに救われている。
◇ ◇ ◇
久しぶりに喫茶いしかわに足を運んだ。
閉店間際のこの時間、疲れが溜まりに溜まった身体を引きずってドアを潜る。
「いらっしゃいま……って和樹さん!? 酷い顔色ですよ!?」
と、慌てたゆかりさんに言われ、問答無用で席に座らされる。
「ちょっとだけ待っていて下さいね」
カウンターの中で何やらゆかりさんは料理を作っているらしい。
しかし、見たところ喫茶いしかわのメニューではなさそうだ。
「はい。どうぞ、召し上がれ」
和樹の前に置かれたのはお茶漬けである。それは粉末を白米にかけるだけのお手軽なものではなく、れっきとした手作りのお茶漬けだ。
「これは、お茶漬けですね」
「はい。先ほど兄が鯛をお土産に持ってきまして。ここのほうが自宅より調理しやすいので、鯛茶漬けを食べてから帰ろうと準備してたら、とんでもなくお疲れなご様子の和樹さんが現れるじゃないですか! 鯛には疲労回復効果があるので、これは食べさせなくてはと。さ、温かいうちに召し上がってください」
湯気の立ち上がるお茶漬けをひと口頬張れば、香ばしいゴマと海苔の風味、醤油の効いた鯛の刺身と固めに炊いてある白米に染み込んだほうじ茶が口内をしめる。
美味しい、と言おうとする口は次のひと口を求めて手を動かす。
はふはふと無心で食べ進める。
ふとカウンター越しのゆかりさんを見ると、彼女も自分の鯛茶漬けを食べつつ、にこにことこちらを見つめている。
その視線にむず痒さを感じた和樹は目の前のお茶漬けを食べることだけに集中することにした。
気が付くと、中身が空になっていた。
目を閉じ、ほうっと息を吐く。美味さが身体の隅々に沁み渡り、ゆるゆると身体をほぐし疲れを霧散させていく気がする。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
「とても美味しかったです。やっぱりゆかりさんはいいお嫁さんになりますね」
「またまた、そんなこと言って」
くすくすと笑うゆかりさんは慣れた様子で僕の言葉を受け流す。
僕好みの、ちょっと渋めで温かい煎茶を差し出して、洗い物を始めた。
彼女に聞こえないように、ぽつり呟く。
「なりますよ、僕のいいお嫁さんに」
あの恋愛方面にひたすら鈍感力を発揮する娘をどう攻略してやろうか。
まずは今日の帰り道だ。
鯛茶漬けのお礼を口実に家まで送り届けさせてほしいとお願いし、道すがらアピールするにはどうすればいいかと頭を悩ませた。
今回ちょっと短めで。
これ、昔流れていた、はふはふお茶漬けCMとかしば漬け食べたいCMを脳裏によぎらせながら書いてました。
(え? めっちゃ昔すぎて知らん? それはごめん)
最近は、いただいた感想やレビューを力にしてアイディアを捻り出しながら執筆するのに少しは慣れてきたような気がします。
「あ、こういうのが楽しんでもらえるんだな」というのが伝わってくるので、方向性を決めるときの自信に繋がるのです。
(と言いながら、季節感どうしようとか、昔話ばっかりもイマイチかしらとか、けっこう迷ってます・笑)
とにもかくにも、とてもとても力になってます。
ありがとうございます。
感想は何度でもお気軽に。
「ここまで読んだよ!」みたいな一言も大歓迎です。




