283-2 if~格好のつかない告白~(後編)
「失礼します!」
勢いよくふすまが開けられそこには明らかに動揺した長田が立っていた。相当急いで来たのか、汗が滲んで呼吸も荒い。
「長田さん……!」
「……なにしに来」
「和樹さんをお迎えに参りましたっ」
長田は和樹の声にかぶせるように声を上げ、和樹に近づきゆかりを拘束している腕を解いた。さすがの酔っ払いも部下の前ではそこまで甘えた姿は見せないようだ。初めは露骨に機嫌を悪くした和樹も落ち着いてきたのか、抵抗を弱め長田に顔を近づける。
「長田……悪かったな、こんな時間に呼びつけてしまって……キツイことも言うが、お前には本当に感謝しているんだ」
「か、かずきさん……」
「とりあえずきょうは、ゆかりさんのいえにとまるからおくってくれるか?」
「あ、こら! もう騙されませんよ! 長田さん、まともに取り合っちゃダメ……え、なんで涙ぐんでるんですか!?」
「……失礼、誉められ慣れていなかったのでつい……」
酔っ払いの戯言が長田の琴線に触れたようで、彼ははうっすら涙を浮かべている。マスターのように魅了されなかったのは喜ばしいが、ゆかりにしてみたら和樹にはこれでもかというほど日常的に誉められているので、あんなので涙ぐむなんて不思議で仕方ない。
長田はすぐに涙を拭って和樹の帰り支度を始めた。
「ところで、彼は何か変なことを言っていませんでしたか?」
「言ってたよ? 普段の和樹くんからは想像もできないことばかり」
「……っ! それは、仕事の話ですか……?」
ふいに長田の表情が張りつめたように緊迫したが、気にすることなくマスターはケラケラと笑って話を続けた。
「いやいや、見たまんま。酔ってゆかりに盛大に甘えちゃってねえ、好き好き言ってたよ」
「マスター言い方!」
「そう、ですか……意外ですね。彼が酔ったところは見たことがなかったもので」
長田はあからさまにほっとしたような顔をした。仕事の守秘義務を心配したのだろう。急な呼び出しに応じて迎えに来てくれたり、仕事のことを心配してくれたり、つくづく面倒見がいい人だ。
「さあ和樹さん行きますよ」
「……どうしても?」
和樹は大きな目を惜しげもなく潤ませて長田を下から覗き込んだ。
「さっきは油断しましたが、俺は自分の顔がいいとわかっている人間の上目遣いは、基本的に信用しません」
「……チッ」
ピシャリと言い放つ長田に和樹はまさかの舌打ちをしてズルズルと引きずられその場を後にした。あとに残されたマスターとゆかりは、あの爽やか好青年が舌打ちをしたことにただ呆然とするばかりだ。
「なんか、一気に酔いが醒めました……」
「人には意外な一面があったりするからねえ……」
それにしたって変わりすぎな気がするが、普段やんわりと境界線を引く和樹が、素かどうかは置いといて別の顔を見せたことに悪い気はしない。あの甘ったるい空気を抑えてくれればの話だが。
和樹が去った後の室内で改めて飲み直す気にもなれず、ゆかりとマスターも解散することになった。
はたして和樹は明日出勤できるのだろうか。とりわけ豹変するほど泥酔していたのだ、記憶はなくなっているかもしれない。むしろ下手に蒸し返されるより、忘れてくれた方がこっちも知らないふりができる分マシだ。
いつも通り笑顔で働けるだろうか。熱の引かない頬を隠しながら、ゆかりはタクシーへ乗り込んだ。
翌朝、和樹は自室のベッドで目を覚ました。アラームが鳴るよりも早く、体内時計が和樹を起こす。それに気づいたブランがおはようと尻尾を振って乗りかかってきた。
「おはよう、ブラン」
自分の声がやけに掠れていて、身体は妙に重い。まだぼんやりとした頭で昨夜のことを思い出して数秒、和樹は固まった。脳内を駆け巡る映像は、酒に酔った挙句にゆかりや、あまつさえマスターにまでとんだ奇行を繰り広げる自分の姿。
セクハラ……いや、強制わいせつか、そもそも酒に飲まれた時点でとんでもないことだ。和樹の背中に嫌な汗が流れた。
「やってしまった……」
いっそ夢であれと思ったが、記憶に残っている唇から伝わる肌の熱や、手に残る自分とは明らかに違う柔らかい感触がそれをバッサリと否定する。
「待って、ブランちょっと待って……」
餌をねだる愛犬を片手だけでなだめて、和樹は真っ赤になった顔を再び枕へ埋める。
さて、どう取り繕うべきか。早めに行って開店準備をしておいて、二人が出勤したらまずは謝ろう。それに長田への連絡だ。ゆかりとマスターにはさすがに怒られるかもしれない。長田には冷ややかな目で見られるだろうしおそらく説教は免れない。
それでも昨夜のゆかりの反応を思い返しては、この状況とは裏腹に緩んでしまう口元を押さえて出かける準備を始めた。
幸いなことに多少の気怠さはあったものの頭痛などの二日酔いの症状は出ておらず、出勤時間よりもかなり早く和樹は喫茶いしかわに向かった。どうせ誰もいないからと高を括ってドアを開けようとすると鍵が開いており、コーヒーの香りが鼻を掠める。見ると開店準備はあらかた終わっており、サイフォンの横でゆかりのカップがコーヒーを注がれるのを待っていた。
「あ……」
カチャと空いたバックヤードから砂糖の袋を持ったゆかりが顔を出す。和樹を視認すると一瞬ギクリと強張ったが、そこはさすがの看板娘、それを勘付かせないようにすぐにいつもの笑顔を和樹へ向けた。
「おはようございます。体大丈夫ですか? マスターは午後から出勤ですって」
「あ……はい。え、ゆかりさん早いですね……」
「あはは、和樹さん起きられないかと思って」
それは嫌味などではなく、純粋に和樹の体調を気遣う言葉だったが、よほどバツが悪い顔をしていたらしい。ゆかりはクスクス笑って「気にしないで」と言ってシュガーポットに砂糖を補充している。
「そうだ、和樹さんもコーヒー飲みます?」
「はい、ぜひ」
ぱたぱたと和樹の横を通り過ぎる瞬間、ゆかりの髪からシャンプーの香りが和樹の鼻孔をくすぐって昨夜の愚行が頭をよぎる。やたらと記憶力がよすぎるせいでこればかりは忘れられそうもない。
淹れたてのコーヒーに口をつけるとスッキリとした後味が体に沁み込んだ。
「ありがとうございます。おかげで目が覚めました」
そう言うとゆかりは湯気の向こうで黙って微笑んだ。いつもと変わらない、開店前のひと時だ。その笑顔に和樹は人知れず覚悟を決めた。
「昨日は本当にご迷惑をおかけしました」
「もういいですよ。和樹さんが記憶をなくすまで酔っちゃうのは意外だったけど、まあ次から気を付ければいいじゃないですか」
「ゆかりさん、僕記憶が飛んだなんて言いましたっけ?」
「え?」
「……忘れてないんですよ。昨日のこと全部覚えてます」
途端にゆかりの顔が真っ赤に染まった。正直自分で昨夜の痴態を掘り返すのは気が引けたがこの先の話をするにあたってこれはどうしても避けられない。
「う、うそ……」
「それで考えてみたんですけど……」
和樹はカップを置きテーブルの上で指を組んだ。その手には心なしか汗が滲んでいる。思ったよりも緊張しているようだ。
「ぼくたち結婚を前提に付き合いましょう」
「はあ!? え、まって、なんでそうなるんですか?」
「計画していたよりもずいぶん早くなってしまいましたけど、まあ僕の気持ちがバレてしまいましたし仕方ないですね」
「け、計画?」
「ああ、それに今はやらなければならないことがあるので公にはできませんが将来的にはキチンと……そうだ、マスターには報告しましょうか。それから──」
思いもよらない告白に口をパクパクさせているゆかりを置き去りにして、和樹はペラペラと今後の予定を話している。
「ていうか気持ちって……昨日のあれですか? それなら私は別に……」
「気にしてくれなきゃ困ります。あれは僕の本心ですから。それにほら、酔った時の方が本音が出るって言いますしね。ゆかりさんも僕のこと好きって言ったじゃないですか」
あんなのは言ったうちに入らないとはっきり否定出来たらいいのだが、ゆかりが和樹に対して恋心のようなものを抱いていたのは事実だ。あの色気の暴力を目の当たりにしてこれは自分の手に負えないと諦めるつもりだったのに、有無を言わせない笑みを浮かべる和樹にゆかりの声は萎んでしまう。
「あ、和樹さんまだ酔って……」
「ませんよ。とはいえ、さすがに昨日のあれはカッコ悪すぎたので、今日の帰り食事にでも行きましょうか」
仕切り直しです、と言って和樹は着替えるためにバックヤードへ歩き出す。すれ違いざま、ゆかりの耳元に顔を寄せた。
「今度は素面だから、覚悟して」
そう囁くと、ただでさえ赤いゆかりの顔はもう湯気が出そうなほどに紅潮した。その反応に気を良くしてドアを閉めスマホを取り出すと着信が一件。いまさら小言が増えても痛くも痒くもない。まあ今回は迷惑をかけたので甘んじて受けようではないか。
スマホを耳に当て、長田への電話を折り返す。説教を聞き流しながら、今晩どこへ行こうか、緩み切った頬で和樹はそんなことばかり考えていた。
泡盛って製造過程的には酔いにくいほうに分類されるはずなんですけどねーおかしーなー(笑)
お手軽居酒屋に普通に置いてあって悪酔いしやすいお酒がどれになるのかよくわからなくて、今回の犯人は泡盛になってしまいました。関係者の方がいらっしゃったらごめんなさい。
これはこれで面白いんだけどね、この後の怒涛の色気ダダ漏れ攻撃をどう仕掛けるのかってところが苦しいなぁと思って不採用にしました。
だってそんなの、喫茶いしかわでやられたら出禁になりかねないし、お店以外でそれされたらストーキングで通報案件になりそうなんですもの(苦笑)
そして長田さん、相変わらずの不憫枠……どんまい!




