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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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283-1 if~格好のつかない告白~(前編)

 こういう告白劇も、考えなくはなかった。

 駅前に新しくできた創作居酒屋はお酒もお料理もおいしいのにとてもお財布に優しい値段設定で、ゆかりの最近のお気に入りだ。掘りごたつの個室が心地よくて友達と来てもつい長居してしまうこの居酒屋に、今日はマスターと和樹を誘って三人で飲みに来ていた。

 寒さが和らいできた頃から、春には仕事終わりに夜桜でも見に行きたいと話していたのだが、なかなか予定が合わないうちに桜が散ってしまい、結局新年度キックオフ飲み会になってしまった。


 週の始まり月曜日ということもあり客足はいつにも増して少なめで、三人はゆっくりと食事を楽しんでいた。とはいえ明日も喫茶いしかわは朝から通常営業だ。そう長居はできないので、あとはデザートを頼んでお開きとすることになった。ゆかりはメニューを開いて目的のものを吟味し始めた。

 ふいに個室の外が賑わった。大方トイレに立った和樹に女性客が色めきだったのだろう。特に珍しいことではないので「相変わらずですね」とマスターへ視線を送ると「ほんとにね」と苦笑が返ってくる。


「……もどりました」

「おかえりなさーい。もしかして逆ナンされてたとか?」

「ん? んー……」

  メニューから視線をそらさずに質問だけ投げると、和樹は珍しくはっきりしない返事をしてのそりとゆかりの横に座った。ゆかりはその様子にわずかに引っ掛かりを覚えたが、今はミニ抹茶パフェとほうじ茶アイスで絶賛脳内会議中だ。いっそ両方頼んで和樹さんと半分こしようかしら。そう思い立ったところで「失礼します」と声がして女性店員が顔を覗かせた。


「こちら、ほうじ茶アイスでございます」

 デザートはたった今決めたところで、それはまだ和樹に了承を取っていなくて、つまりこれはゆかりたちがオーダーしたものではない。もしかして他のテーブルのものが手違いで来てしまったのかも。頼んだ覚えのないデザートを人数分テーブルに置かれてゆかりは慌てて声を掛けた。

「あの、デザートはまだ頼んでませんけど……」

「失礼しました、こちらは当店からのサービスですので」

「あ、ありがとうございます……?」

 口コミサイトから予約したから特典でも付いたのだろうか。それとも何度か来ていて顔を覚えられたとか?

 いずれにせよ間違いではないのならありがたく頂こうと手を伸ばすとゆかりの肩口にとす、と軽い衝撃が走った。

 

「ゆかりさーん……」

「わ、びっくりした。どうしたんですか? 具合悪くなっちゃった?」

 和樹とは普段から気を抜くとつい距離が近くなってしまう気安さはあったが、さすがにこの体勢は初めてだ。サラサラとした髪が首筋をくすぐってゆかりはたまらず身をよじる。

 触れた所から伝わる熱に思わず体調不良を心配したのは、和樹が先日会ったとき、咳き込んでいたからである。今日はもともと風邪なんて引いていなかったかのように元気だったので、マスターもゆかりも彼が病み上がりだということをすっかり忘れてしまっていた。


「ゆかりさん、すき」

「……うぇ!?」

「あは、照れてる? かわいー……」

「ちょ……っ近い近い! えっなに、和樹さん急にどうしたんですか!?」

 和樹らしくない間延びした声がゆかりの耳元で囁いてゆかりが驚いて顔を上げると、日焼けした肌でも分かるほど赤く染まった頬、とろりと熱を帯びた甘い目元──いくら鈍いゆかりでも本能が警鐘を鳴らす。これ、ヤバいやつだ。


「え、やっぱり君たちそういう関係なの?」

「違いますよ! やっぱりって何ですか!?」

「そうですよマスター。僕たちはまだ付き合ってません! ね、ゆかりさん?」

「和樹さんは黙ってて!」

 和樹の言動は完全に酔っ払いのそれだ。しかもめんどくさいタイプ。

 さすがは年長者というべきか、他人事と言うべきか、マスターは和樹の豹変に多少の驚きはあったものの面白い物でも見るかのように笑いながらデザートを口に運んでいる。その間にも和樹はじりじりと距離を詰めているというのに。


「ちゅーする」

「ひぇあ!?」

 抗議をする間もなく強引に腰を引き寄せられ、こめかみに触れる唇。ちゅっちゅとわざとらしく響くリップ音にゆかりの顔に熱が帯びる。

 ほんの数分前まではこれからの季節に合う新作メニューはどうしようかとか、先日入荷した珍しい豆の蘊蓄とか、いつもの雑談の延長のような会話をしていたはずだ。一定数飲むと急に酔いが回る人間もいるが、和樹は強い酒を飲んでたとは言え量を自制できない男ではないはずなのだが。


「お似合いなんだけどなあ」

「マスター悠長なこと言ってないで……え、うそ全然離れない!」

 ゆかりは腰ともお尻ともつかない絶妙な位置にある和樹の手を引きはがそうとするも、ふにゃふにゃした雰囲気の割に張り付くようにガッチリと押さえられて指一本動かせない。ゆかりはいよいよ危機感を覚えてきた。


「でも和樹くんがこんなに酔うなんて珍しいよね。初めてじゃないかい?」

 本当に何がどうしてここまで酔ってしまったのだろう。三人で話をしていて、ゆかりのグラスを「飲みすぎですよ」と取り上げた時はまだいつもの和樹だった。さすがイケメンは窘め方もスマートだと感心したばかりだ。

「あ、もしかして……泡盛」

「泡盛?」

「和樹さんが席を立つ前に私から取り上げたグラス、泡盛だったんです。和樹さん、一気に全部飲んじゃった……」

「まあ特定のお酒に弱い人っているよねえ。それよりゆかり、泡盛なんて飲んでたの?」

「ちょっと挑戦してみたいなーと思いまして……」

 原因が分かったところで鎖のように絡みついた手がほどけるわけでもないがこれだけは言える。今後は和樹の前では絶対に泡盛を飲むのはやめよう。


「ほら和樹くん、ゆかりが困ってるからそろそろ離してあげて。はいお水」

 マスターは口をつけていないグラスを和樹の前に差し出した。ゆかりの腰に手を置いたままもう片方の和樹の手はそのグラスを通り過ぎ、引こうとするマスターの手に撫でるように重ねられた。

「マスター……」

「あ、和樹くん?」

「いつもご迷惑をかけてすみません……滅多にシフトに入れず。事情が事情とはいえ社会人としてあるまじき行為だと思います。そんな僕を叱責するでもなくマスターは優しく送り出してくれて僕は……僕は……」

「和樹くん……そんなに自分を責めないで。君たちのことは応援しているんだから。ゆかりのこと、大切にしてくれよ……?」

 やっと出された助け舟は魅惑の口車によって一瞬で陥落してしまった。無理もない。暖色の照明に同調するかのように艶めく髪、そこから覗く伏し目がちで色気ダダ漏れの瞳、悩まし気なテノール──計算づくを疑ってしまうモテ仕草だ。

 これ以上マスターの知られざるボーイズでラブな部分が開花する前に何とか収集をつけなければ。


「ストーップ! マスターしっかりして!」

「え……あ、僕はいったい……」

「和樹さんに乗っかって適当なこと言ってます!」

「ああなんだろう……目を合わせた瞬間、引き込まれたみたいに和樹くんしか見えなくなってね……」

 なにそれ怖い。ゆかりだって背後から発せられるいつも以上に甘ったるい声や視線には心臓がばくばくと波打っている。少しでも気を抜くと和樹の色香にあてられそうでとてもじゃないが振り返ることはできなかった。触れた唇がこめかみだったのはせめてもの良心か。

 思えばさっきのデザートだって和樹目当てに店員が持ってきたものだろう。少しでも自分に対してサービスされたと思ってしまったことが悔しい。凡人のリピーターはイケメンの一回の微笑みに完敗したのだ。


「ね、和樹さんタクシー呼ぶから帰りましょう。ちゃんと立てる?」

「ん、帰る……ゆかりさん()……」

「待って、なんか私の家に行こうとしてない?」

 だめだ、話が全くかみ合わない。かといってゆかりの家に連れて帰るわけにはいかないし、マスターの家に連れて行くこともできない。この無駄に色っぽい酔っ払いをどうしてくれようと二人は頭を悩ませた。


「そうだ長田さん!」

「長田さんってこないだ僕の代わりに練習試合に出てくれた長田くんかい?」

 相談の結果、野球の練習試合に助っ人で出てくれた長田に恥を忍んで助けを求めることにした。図々しいお願いではあるが、どう考えてもこの状態の和樹を彼よりも小柄な二人が送り届けるのは無謀だったからだ。


「和樹さーん、長田さんの電話番号教えてくださーい」

「ながた? ……ゆかりさん、ぼくよりアイツのほうがいいんですか?」

「わぁ、予想以上」

「違うよ和樹くん、こないだの助っ人の件でね、僕がお礼を言いたいんだ」

 思った以上に面倒くさい和樹をなんとか丸め込み、マスターは電話のため個室の外へ出て行った。ゆかりが驚いたのは和樹が長田の電話番号を暗唱していたことだ。長田は本業の部下だと言っていたし、もしかしてよく頼りにして仕事を振っている右腕さんなのかもしれない。


「ねえゆかりさん……」

「びゃっ」

 長田に助けを求めることによりすっかり油断していたゆかりの耳に再び甘い声が響く。

「ねえ、なんでぼくのこと見てくれないんですか?」

「そ、そんなことないですよ? さっきまで楽しくお話してたじゃないですか」

「……うそつき」

 一難去ってまた一難。びしびしと感じていた視線に気付かないふりをしていたのが、どうやらお気に召さなかったらしい。ゆかりのあごに添えられた手がぐい、とゆかりの顔を和樹の方へ向けられた。目が合ってしまった。いつもよりずっと柔らかい表情をしているのに、ギラギラと熱を宿す眼差しはゆかりの視線を離さない。


「ゆかりさんは、おれのことすき?」

「おれ!? いやあの、そりゃあすきですけど……まって、顔が近い……!」

 至近距離でで見ても紛れもない端正な顔立ちにゆかりは息をのむ。少し乾燥した親指がゆかりの唇をふにふにと撫でて和樹は意地悪く目を細めている。近い、というか近づいてきている。

「待って……! かずき、さん」


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