1-3 聞こえなくても(中編2)
飛鳥ちゃんはほどなくやって来た。急ぎ気味に豚汁ランチセットを食べながら、いかに今日のライブが楽しみかを話している。聞こえてくる話では、どうやら私でも名前を知っているイケメンアイドルグループのライブらしい。
待ち合わせのふたりを見送ってほどなく、ランチタイムのお客さまがひけてアイドルタイムに入った。マスターがのんびりと告げる。
「今ならお客さまも少ないから、先に休憩しておいで」
「はーい。では、お言葉に甘えて」
消費期限の近いものをチェックして、ナポリタンとサラダの具材を決めると手早くちゃちゃっと仕上げた。
「ゆかり」
自分の腰のあたりから聞こえてきたこどもの声。そちらに目をやり、小さく頷く。
「マスター、私、向こうでお昼食べてますから、もし休憩終わる前に忙しくなったら呼んでくださいね」
普段はカウンター席で食べる私がこう話したことで、状況は理解してもらえたらしい。
「ああ、うん、ごゆっくり」
小ぶりの塩むすびを入れた小皿と、お茶をいれたふたつの湯呑みを賄いと一緒にトレイに乗せて、そそくさと和室の奥に移動する。
和室の奥の、いかにもな丸い卓袱台。そこの座布団にぽすりと座る、井桁絣の青い着物の男の子。さっき私の名前を呼んだ子。彼の前に手早く湯呑みと塩むすびの小皿を置く。
「はい、どうぞ。わらしくん」
「ん」
そっと手を伸ばして塩むすびをもそもそと食べ始めたのを確認して、私もサラダに手を伸ばした。
彼は、いわゆる座敷わらしだ。たまに、私のような“見える”人間の前に現れる。時折、喫茶いしかわにも来てくれる。そのおかげか、店は穏やかに経営できている……と、思う。
姿を見せてくれるのは、アドバイスをくれるときや他のあやかしとの仲立ちをしてくれるとき、食べたいもののリクエストをするときがほとんどだ。
ふう、と満足げに息をついたわらしくんが、ゴロリと大の字になる。
「ゆかり。隣町のが、また欲しいって言ってた」
「隣町の? あっ、いなり寿司ですね。わかりました。近いうちに子供たちに届けてくれるように頼まなきゃ」
油揚げ多めに買わなきゃ、などいくつか算段して手元のメモ用紙にさらさらと書き留める。わらしくんが、まどろみを感じさせる声で続ける。
「……さっき、飛鳥と一緒にいた女」
「佳苗ちゃんですか?」
「名前は知らない。佳苗っていうの? その佳苗ね、飛鳥ととても仲良くなる。だんだん糸が強くなってる。飛鳥との糸が強くなると黒い糸が弱くなってる」
「そうなんですね。教えてくれて、ありがとうございます」
わらしくんは、いわゆる運命の糸が見える。おなじみの赤い糸はもちろん、友情の糸や商売の糸、金運の糸、悪縁の糸なんてものもあるらしい。その気になれば結び直しもできるそうだが、以前ひどい失敗をしたらしく、今は滅多に手を出さないとのこと。
そのかわり、ごはんやおやつのお礼だとたまに糸の状態を教えてくれるのだ。全部ではなく、よほどのときだけ。
例えば、お店の常連さんに悪縁の糸が巻き付いて悪いことが起きそうなとき。逆に良いご縁の糸がうまれそうなとき。
そんなとき、私はそのお客さまからの注文の品に力をこめる。
私には良縁を結び悪縁を退ける力があるらしい。だから縁。そこまで強力ではなくほんのりと、今日はちょっと調子いいかもしれないと思う程度の力だ。
別にオカルトな店として繁盛したいわけではないので無闇に力をこめるつもりはないが、それでも、うちのお店に来てくれる皆がちょっぴり幸せになってくれればいいと思う。
◇ ◇ ◇
日曜日の午後、飛鳥ちゃんと佳苗ちゃんは連れ立って来店してくれた。カウンター席で、先日のライブがいかに楽しかったか伝えてくれる。
幼い頃からお店の常連な飛鳥ちゃんは、他の常連さんにも可愛がられている。居合わせた皆が、くるくる変わる楽しげな表情を微笑ましく見守りながら相づちを打っている。
佳苗ちゃんが聞こえないことも、飛鳥ちゃんがサラリと伝えていた。飛鳥ちゃんが伝えたいことは、スマホに書いたものを飛鳥ちゃんが読み上げてくれた。聞こえなくてもライブは会場スクリーンの字幕や照明などで魅せる演出、腹に響いてくる重低音の振動ほか、聞こえなくても一体感を感じるポイントはたくさんあって、存分に楽しめるものらしい。はー、なるほど。言われてみればそうかと納得した。
「皆と一緒に楽しめたらいいのにな。私の言葉で説明するだけじゃ、きっと足りないよね」
少し悔しそうに言う飛鳥ちゃん。それほど楽しかったのか。ちょっと困ったように首を傾げた佳苗ちゃんが、パッと表情を明るくして、スマホに打ち込む。
“去年のライブのブルーレイ持ってるよ。皆で見られないかな?”
「それいい! マスター、ゆかりお姉ちゃん、今度のお休みの日、お店貸して! 鑑賞会しようよ!」